夫婦の日常 #1 〜 ある週末の物語 〜
夫婦のささやかな日常を描いた短編です。
特別な出来事ではありません。
少しでも温かい気持ちになっていただけたら嬉しいです。
今日は会社の歓迎会があった。本当は早く帰りたかったけれど、自分の歓迎会を欠席するわけにもいかず、一次会だけ顔を出してきた。
帰り道の夜風にあたりながら、ふと夫の顔を思い出す。
あの人は最近、どこか疲れている。
人の気持ちに鈍いはずの人なのに、妙に落ち着かない表情を見せることが増えた。
新しい職場で何かあるのだろう。口にはしないけれど。
もし、あの人が本当に行き詰まったとき――その時、私が働いていれば少しは安心できるだろうか。
そんな思いもあって、私は派遣でフルタイムの仕事を始めた。
ようやく家に着き、リビングのソファに体を沈める。
ほっと息をついた瞬間、喉の奥にひりつくような違和感が走った。
体もじんわり熱い気がする。
――風邪、かな。
明日は土曜だし、気分転換に一緒に出かけようと思っていたのに……。
とにかく今は早く寝て、一刻も早く治さなきゃ。
ベッドに入ろうとしたその時だった。
「ただいまぁ」
「おかえり」
夫が帰宅した。慌ててマスクをつける。
「なんか、ちょっと風邪っぽい感じなの」
「大丈夫? 早く横になりなよ。何か食べた?」
相変わらず必要なことしか口にしない。
気を回してくれる人ではないけれど、伝えたことには誠実に応えてくれる。
彼に私が言葉にしない思いは伝わらない。
昔は戸惑い、その歯痒さや時々感じる孤独感のようなものに苦しめられた。
でも今は、そういう彼の取り扱い説明書みたいなものが、自分の中にできあがった気がする。
全てを受け入れられるわけではないけど。
「私は飲み会で食べたから大丈夫。陽介は?」
「んー、会社で夕方食べたから、そんなに腹は減ってないよ」
「じゃあ……風邪うつすと嫌だから、先に寝るね」
「うん」
せっかくの金曜。一緒に夜更かしして、ゲームしたり明日の予定を立てたりしたかったのに。
そう思いながら、布団に身を沈めた。
あれこれ考えすぎては、自分にぐったりする。
久々のフルタイム勤務の疲れと体のだるさに押し流されるように、そのまま眠りについた。
――恵は普段あまり風邪をひかない。
手洗い、うがいも欠かさないし、仕事を始めてから特に、規則正しい生活をしているようだ。
彼女は、派遣でもバイトでもとにかく外にいる時は精一杯。全力だ。
誰かと会うと、いつも相手は楽しそうにしてる。
そのぶん家では、結構口うるさい割にだらっとしている。
でも、そうじゃないといけないと僕は思っている。
そうしないと爆発しちゃうからだ。
いつも彼女がしてくれているように、自分も恵に何かしてあげよう。ご飯を作る?
最近は、お互い帰りが遅くて買い食いや外食が多いし何か作ろう。
――翌朝
目が覚めると……すごい喉が痛い。熱も上がったみたいだ。
寒気もひどい…最悪だ。。頭もぼーっとしてて…
「おはよう。恵、大丈夫」
「お゛はょぅ」
「辛そうだね」
「ん゛ん゛」
「茶碗蒸し作るよ。具はあんまりないけど。あ、何かゼリーとかヨーグルトとか食べやすそうなもの買ってくるついでに材料も買い足してくる」
「ヨーグルトはだめ……だ…ん絡んじゃう゛」
「わかった。もう少し寝てて」
私はうなづいて返事をした後、そのまま眠りについた。
僕はとりあえず、すぐに買い物に出かけた。
ゼリーやジュース、栄養ドリンクなどをたくさんと、茶碗蒸しの具に銀杏やかまぼこなどを買って自宅に戻る。
まだ彼女が眠っているのを確認した後、早速茶碗蒸し作りに取り掛かった。
僕はほとんど料理をしたことがない。
でも茶碗蒸しだけは、何度か作ったことがある。
インターネットでレシピ検索をして、具を丁寧に細かく切り、出し汁の準備をして、卵を割る。
恵が好きなカニカマ買ってくればよかったなぁ。
卵の黄身が崩れてしまったけど、殻が入らなかっただけマシだ。
卵が泡立たないようによくかき混ぜてから、だし汁に卵を混ぜ入れる。
器に具と出し汁を入れて、あとは蒸しあげれば完成。
もう一度彼女の様子を見に寝室に行くと、彼女はまだ眠っていた。
蒸しあがったら声をかけてみよう。
スイッチ、スタート。
ピッピー、ピッピー。
よし。完成した茶碗蒸しを持って寝室を見に行くと、ちょうど彼女も体を起こしていた。
「起きたんだね。ちょうど茶碗蒸しできたんだけど、食べられる?」
「うん、汗かいたからかもしれないけど、少し熱が下がったみたいで、楽になった。」
「そっか。飲み物とゼリーもたっぷり買ってきたよ」
「ありがとう」
「茶碗蒸し、いい匂いだね。少しお腹空いてきたかも」
「うん、熱いから気をつけて食べてね」
「美味しそう、ふぅふぅ」
「美味しい。んん…でも少し味が濃いかも」
「あぁ…作り直すよ。」
ん、余計なことを言っちゃったな。
彼の少しがっかりした声に、自分の言葉への小さな後悔が責め立てる。
慌てて訂正しつつ、自分の素直な気持ちを添える。
「え?待って、待って。でも、美味しいよ。嬉しいし」
「そっか。じゃあ食べたら、栄養ドリンクも買ってきたから飲んでね。」
「ありがとう」
嬉しい。
頼んだわけでもないのに、こうして私のために茶碗蒸しを作ってくれた。
彼は最近、疲れすぎているせいか、寝不足でもなかなか眠れない様子だった。
精神的なこともあるのかもしれない。
それでも、私のことを思って茶碗蒸しを作ってくれた。
私が会社で辛いことがあるのかと彼に尋ねても、きっと答えてはくれないだろう
――というより、自分の状況をうまく理解したり説明したりすることが、彼には難しいのだと思う。
学生時代は、多少変わり者の彼でも受け入れてくれる友達に恵まれていた。
彼のご両親についても真面目で誠実なお義父さん。
少し頑固だけど穏やかな優しさを持つお義母さんを見ると、家族にも恵まれていると分かる。
けれど、結婚を機に元の会社を辞めて転職してからは、人間関係の壁にぶつかっているように見える。
はっきりと彼が口にしたわけではない。
けれど、会社でのやり取りを聞く限り、環境はあまり良くないのだろうと感じている。
無理をせず、別の会社を探してほしい。
でも、それは彼自身が決めることだ。
私にできるのは、休みの日や仕事が早く終わった時に、少しでも一緒に楽しい時間を過ごしてストレスを減らすこと。
そして、もし彼が仕事を辞めると決めた時には、「大丈夫。私も働いているから」と笑って言ってあげること。
それだけだ。
――早く風邪を治さなくちゃ。
さらに翌日。
「おはよう!」
「恵、おはよう!熱下がったんだね」
「うん!」
「考えたんだけど、昨日作った茶碗蒸し、ちょっと白出汁を入れすぎちゃったみたい。だから、さっきもう一回リベンジしてみた! 一緒に食べよう!」
彼らしい提案になんだかほっこりする。
「うん!私も手伝うから、美味しくなるまで何回も作らないとね!材料もったいないし!でも、卵って一日何個まで食べていいのかなぁ。」
「食べたかったら何個でもいいと思うよ。恵は、そういうのよく気にするよね。」
「どうせ私は面倒くさい女ですよーだ。」
「恵は面倒くさくないですー。」
この後も二人で茶碗蒸し談義をしながら、楽しく日曜日を過ごした。
「来週はどこか出かけられるといいね。」
「いや、出かけなくてもいいよ。来週は焼きそば作るよ。」
「出かけようよ。」
「まぁ、焼きそば買いに行こうか。」
私たちの大切な週末。
ちょっと面倒くさい私と、面倒くさいことにも気づかない夫の週末のお話。
最後までお読みいただきありがとうございました。
このお話は、ちょっと変わってる、ちょっとクセがあるね――と思うような夫婦の日常です。
特別な事件は起こらないけれど、ささやかな出来事の中に夫婦の気持ちや絆が垣間見える。
そんな一コマを切り取れていたら、嬉しいです。