手
王城の外の堀は、二本に分かれている。
正面の門の真下で左右に分かれて流れ、
城の裏側へと流れていく。
これにより外周をぐるりと囲う形になっている。
その裏側、堀の最終地点では水は地下へと流れていく。
ただし、流れていくのは水だけだ。
地下への入り口には鉄格子がはめてあって、
大きなゴミや人が誤って入らないようになっていた。
その鉄格子に一際大きなものが引っかかっていた。
ラランだ。
「ぶはーっ! はーっ、はーっ!」
ラランは、泳げなかった。
鉄格子をつかんでどうにか顔を水面から出している。
もしも堀がもう少し長く、
鉄格子に引っかかるのが遅れれば、
普通に溺れていただろう。
ラランは、レンガをつかんでどうにか堀から這いだした。
「げほげほっ! ぺっぺっ!
はぁー……、死ぬかと思った……」
もし死んでいたらと思うとぞっとした。
剣士の死因が溺死ではなんとも格好がつかない。
……などと肝を冷やしている場合ではなかった。
「いたぞ! 捕まえろ!」
「うー、げぇー……」
兵士たちがすぐそこまで来ていた。
さきほどのような重装歩兵ではない。
鎧は来ているが、それほど厚くはない。
ただ、問題は彼らが馬に乗っていることだった。
数も多い。
「くそっ」
ラランは城下町へむけて駆け出した。
カストルムで見せたような全力疾走だ。
馬も顔負けの速度だったが、本物には負ける。
差はじりじりと縮まっていく。
「うおおおお!」
「もっと急げ! 逃げこまれるぞ!」
もし、互いに武器をふれば切っ先が触れるか、
という距離まで迫られたところで、
ラランはからくも城下町に逃げこんだ。
騎馬が走ることを想定しているほど広い道ではない。
だが、走れないほど狭くもなかった。
「どけどけどけえええ!」
「王国軍である! 通行人は道の端によれ!」
ラランと騎馬兵の叫びと、
警報のようなラッパの音が響いた。
通行人は彼らをみると無表情な仮面を崩し、
急いで道の端に身体をこすりつけてこれを避けた。
追いつかれまいと路地をめちゃくちゃに曲がった。
騎馬兵は小回りが利かないため、
追いつくのが難しくなってきたが、
彼らは一騎ではない。
連携して追い詰める動きを見せている。
騎馬兵たちに土地勘はあるが、ラランには無い。
ラランは徐々に追い詰められていった。
「くそっ」
馬が入れないほど狭い路地に入ったはいいが、
前後をはさまれてラランは悪態をついた。
路地の両端で騎馬兵が馬を下りている。
剣を抜き、続々と路地に入ってくる。
暗い路地で、ララン以外には誰もいない。
まずいな、とラランは冷や汗を流しながら刀を抜いた。
数が多い。
みえているだけで十人ちかい。もっと増えるだろう。
彼らは手練れだ。鎧を着こんだ手練れだ。
それをこんな狭い場所で、何十人も斬る?
前後をはさまれた状態で?
累々と増えていく死体で身動きが取れなくなっていくのに?
いや、それは向こうも同じか。
「おい! それ以上近づくな!
その数じゃあ、手加減できねえぞ!」
「手加減無用! 脅しても無駄だ! 大人しく捕まれ!」
無理か。当然だ。
これで引くようなら、王国を守る兵士失格だもんな。
しかし、どうするか。
逃げ道は無い。前後だけだ。
どちらかに突っこんで無理矢理押し通るか―――。
「おい! ララン! こっちだ!」
あまり聞き覚えのないが、聞いたことはある声がした。
振りむくと、すぐそばの家の裏口がひらいていた。
そこから浅黒い肌の男が顔をみせている。
「お前っ……!?」
そいつはファリオだった。
ファルの兄貴でカストルムでアリエスを人質にとった奴。
「お前、なんでここに―――」
「いいから来い! 早く!」
「くそっ」
ラランは考えるのを後回しにして、
先にファリオの開いている扉に飛びこんだ。
「手伝え!」
ラランが中に入るなり、
ファリオは裏口のすぐそばの食器棚を、
動かそうと力を入れていた。
棚がゆれて食器がいくつか落ちて割れる。
ラランはすぐに手を貸した。
食器棚を扉の前に移動させた直後、扉に衝撃。
兵士が扉に体当たりをしているのだろう。
ラランが必死で食器棚を支えていると、
ガアン!と何かが後ろからぶつかった。
振り返ると、ファリオが必死の形相で見ていた。
どうやら押していたテーブルがぶつかったらしい。
「どけ!」
「そんなもん、足しになるか!」
「いいからどけ!」
ファリオが「腰にぶつかっても構うもんか!」とでも、
言わんばかりにもう一度テーブルを押してきたので、
ラランは飛びのいた。
今すぐぶん殴ってやりたい気持ちだったが、
ぐっとこらえた。状況が状況だ。
「そこに椅子があるから持ってこい!
テーブルの後ろに重ねりゃ、少しはもつ!」
「その前に玄関に回りこまれるぞ」
言いながらラランは椅子とやらを探しに行った。
「そうなりたくなけりゃ、さっさとしろ!」
「あった、これか! ほらよ! 受け取れ! ほら!」
「おい……、おい! 投げんな!」
「もう一丁!
……ふん、受けとったのか。やるじゃねえか」
「このバカ!! 真面目にやれ!」
「誰がバカだ!」
「お前だ! バァカ!」
二人は台所を食器棚、テーブル、椅子六つで、
端から端まで突っ張り棒のように、
壁から壁までつなげた。
これでしばらくは裏口は開けられないだろう。
裏口は。
「バカバカいいやがって! ああもう限界だ!
上等だよ、こっちこいやコラァ!」
「状況わかってんのか! 時間がないんだよ!」
「状況!? そんなもん忘れたって、いい!!」
「おれはよくない!
ファルを助けるにはお前が必要なんだよ!
いいから、来い!」
ファリオは怒鳴ると、
台所を抜け出して二階へとつづく階段を上った。
ラランは顔を思い切りしかめてしぶしぶついていく。
その途中でラランは、
少女二人と母親らしき女性が部屋の隅で、
おびえたような目でこちらを見ていることに気づいた。
「おい、ここ、ただの民家じゃねえのか!?」
「そうだ」
ファリオはラランの怒鳴り声にとりあわず、
屋根裏部屋まですたすたと歩いていく。
振りかえりすらしない。
そのまま窓を開けて、外に出た。
手だけがにゅっと戻って来て「早く来い」と促している。
ラランはその手をつかんで外に出た。
「関係ねえ人を巻きこむなよな」
「あのまま殺されてもよかったのか?」
「あ、あんくれえ、どうにかできたさ」
「言いよどんだぞ。ほら、こっちだ」
「……ちっ」
ラランはファリオについて屋根伝いに王都を逃げた。




