壁
「だからな! 見たんだよ、昨日、おれは!」
「なにを?」
「だから、何べんも言ってるだろ!
おばけだよ、おばけ! お・ば・け!」
「幽霊じゃなくて?」
「どっちでもいいだろ!」
翌朝、ラランは昨日見た「幽霊」のことを、
アリエスとファルに話した。
二人はラランの目にくまができているのを見て驚いたが、
それでも半信半疑だった。
「こんな森の中におばけが出るわけないよ」
ファルが両手を頭の後ろで組んで言った。
「森は関係ねえだろ」
「そんなことよりさ、」
「そんなことより!?」
「この森を出ようよ。
ラランをお医者さんに診てもらわないと」
「あ、ああ。医者はともかく、森を出るのは賛成だ。
こんな森、さっさと抜けるに限る」
「怖がり」
「こ、怖がってねえよ!」
ラランはまだ立ち上がると痛みが走ったが、
歩けないほどではないと言うので、
アリエスが肩をかして歩くことになった。
「……」
「大丈夫?」
「ああ、平気だ」
***
日が真上にのぼる頃、三人は森を突っ切って、
谷の反対側の岸壁までたどりついた。
途中、何度か道に迷ったが、
木に目印をつけることでどうにか反対側にたどりついた。
崖は見上げると首が痛くなるほど高かった。
バンダリーの壁の倍はありそうだ。
「またおいらが登ろうか?」
ファルが腕をぐるぐると回しながら言った。
崖を殴るつもりなのかな、とアリエスは思った。
「やめとこう。
危ないし、僕とラランはどのみち登れないよ。
もっと登りやすそうなところを探そう」
「ふーん」
ファルは少しつまらなさそうだった。
自分が活躍できる機会を逃したと思っているのだろう。
アリエスたちは崖沿いに歩いた。
しかし、行けども行けども崖は続いている。
やがて、ファルがしびれを切らした。
「ねえ、やっぱりおいらだけでも崖を登ってさ、
村に行ってくるよ。
それで、助けを呼べばいいだろ?」
「うーん……」アリエスはすぐに返事をしなかった。
「それでいいんじゃねえか?
ファルにだって、おつかいくらいできんだろ」
「そう、だね」
アリエスは歯切れ悪く、肯定した。
指をたてて、ファルに言い含める。
「いい? 昨日の人たちをみかけたり、
魔物にでくわしたら逃げるんだよ。一目散に。
村とかいいから。ああでも道に迷わないかな」
「おいらのこと、信頼してないの?」
「してるよ! してるけど……、心配なんだよ」
「それって信頼なのかなあ」
「信頼よりも心配が勝ってるんだろ。
おまえは弱っちいからな」
「そりゃ、ララン兄ちゃんに比べたら弱いけどさ……」
「それがわかってるなら、いい。気をつけていけよ」
「うん」
「心配だなあ……」
アリエスの心配をよそにファルは崖を登り始めた。
ラランはそっとアリエスと肩を組むのをやめた。
ファルはするすると登っていく。
しかし、そこらの木の高さくらいまで登ったところで、
ファルは止まった。
そこでなにかよくわからないことをした。
片手で空中を押している。
しばらくそうしていたが、やがて下りてきた。
「どうしたの?」
不思議そうに眉をしかめ、
うつむいているファルにアリエスは尋ねた。
「どうして下りてきたの?」
「進めなかった」
「え?」
「よくわかんないんだけど、
なんか壁……みたいなのがあって、
あれ以上登れなかった」
「壁だぁ……?」
「ホントだよ! ホントに壁があったんだもん!」
「ほーん」
ファルが腕をふって力説すると、
ラランは口をへの字に曲げて上を見上げた。
「見えねえな」
「見えない、透明な壁……。
たぶん……、そう! 魔法の壁なんだ!」
「アリエス、石を投げてみてくれ」
「うん」
アリエスは足元にあった小石をひろい、振りかぶった。
「思いっきりな」
「わかってるよ」
投げた石はファルが下りてきたあたりで、
なにかにぶつかったようにはねかえり、落ちてきた。
「ね! ホントだったでしょ!?」
「ああ……」
ファルは嬉しそうだったが、ラランは浮かない顔だった。
それはアリエスも同じだった。
嫌な予感がした。
もしもこの「壁」が谷全体を覆っていて、
出ることを許さないのだとしたら。
ディーノの仲間の魔法使いがおれたちを出さないよう、
閉じこめているのだろうか?
「アリエス」ラランがアリエスに近づいてきた。
「進もう。肩かしてくれ」
「あ、うん」
「……とりあえず、進めるところまで行こう」ラランは、
アリエスにだけ聞こえるようにささやいた。
「心配するのはその後でいい」
「そうだね」
「なにしゃべってるの?」とファル。
「髪がくすぐったいって言ったんだ」
「ラランのすけべ」
「誰がすけべだ」
***
谷から出られない、
ということはその日のうちにわかった。
崖沿いにしばらく進むと、
ファルが出くわしたような「壁」があって、
それ以上進めなかった。
今度は「壁」沿いに進み、落ちた側の崖も調べたが、
やはり「壁」があった。
すがる思いで最後の一辺にも行ったが、
やはり「壁」で覆われていた。
それが一日でわかった。
つまりはその程度の小さな領域しか、
移動できる場所がないということだ。
ちなみに、ララン達が落ちてきたと思われるあたりにも、
穴のようなものは空いていなかった。
「おいらたち、ここから出られないの?」
「どうだろうな」
ララン達は野営地まで戻ってきた。
ラランはベッドに寝そべり、
焚き木を集めたり食事の用意をしている、
ファルとアリエスを眺めた。
こうしてぼんやりするのも板についてきた。
心なしか二人の視線が鋭く感じることもあるが、
ケガ人なのは本当なので気兼ねなくくつろいでいる。
「どんなものでも、形があるなら、破壊できるはずだ」
「ラランなら、あの壁を斬れるの?」
「……どうだろうな。見えないんじゃあなあ」
「バンダリーの壁は斬れないって言ってたよね。
ラランの斬れる、斬れない、の基準ってなんなの?」
「どれくらいの硬さか、わかっていることだ」
「えっ?」
ラランの返答にアリエスは驚いた表情をみせた。
「なんだよ?」
「それって、どんな硬さでも斬れるってこと?」
「刃が通るなら、だけどな。当たり前だが」
「バンダリーの壁は、どうして斬れなかったの?」
「あれは見るからに、石やら土やらが混ざり合ってた。
斬った時にどう硬さが変わるのかわからねえから、
うかつに斬れなかった。
危ない橋は渡りたくねえからな」
「危ないって、どういうこと?」
「刀が折れるってこった」
「なるほどね。じゃあ、ここの壁は?」
「わからねえ。
どうしようもなかったら、斬ってみるしかねえが、
正直やりたくはねえな」
「出られないとしても?」
「ああ。刀を振ることはおれの生きがいなんだ。
最悪、出られなくても、刀さえありゃ、いい」
「僕たちが出られなくても?」
「いまのは一人だったらの話だ。
まあ、しかし、斬る以外の選択肢は先に試したい」
「斬る以外の選択肢って?」
「さあな。まだわかんねえ。
アリエスはどうだ? なんかアイデアあるか?」
「あ、一つ、あるよ。
ラランが見たっていうおばけを探そう!」
「えっ」
ラランはギクッと身をこわばらせた。
おばけのことを、すっかり忘れていた表情だ。
「ね? いいアイデアでしょ?」
「え、えーと、あー、おい、ファル、ファルはどうだ?
おばけなんか嫌だよな。おばけだぞ、おばけ。嫌だろ?」
「んー。朝はラランからかってたけど、
おいら、正直、おばけとかよくわかんない」
「くそっ。
あー、ほら、でもよ、この谷をさまよってるってことは、
出る方法なんか知らねえんじゃねえの……?」
「出る方法を知らなくても
この谷がどうして壁で囲われてるかとか、
知ってるかもしれないし!」
「それは、そうかもしれねえけど……」
「よーしじゃあ、今晩さがしに行こう! みんなで!」
「おー」
「あ……、う……、わかっ、た……」
ラランは虫をすりつぶしたスープを、
目の前に出されたような顔でうなずいた。




