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悪戯小僧ファル

 アリエスは全員分の飲み物を用意した。

 アリエスはコーヒー、

 ラランとファルにはホットミルクが手渡された。

 ラランは肘をつきそっぽを向いてミルクをすすっている。

 ファルは両手でカップを持ち、

 ラランをちらちらと見ながら、

 気まずそうにミルクを飲んでいる。

 それをながめながらアリエスはにこにこと笑っていた。

 ついさっきスリをした人間と、スラれた人間が、

 静かに同じテーブルを囲んでいるのが、

 彼女にはなんだか嬉しかった。


「熱かった?」


 ファルはちびちびとミルクを飲んでいた。

 アリエスが尋ねると、

 ファルはびっくりして顔を上げ、首を横に振った。


「ううん、ちょっと……、久しぶりだったから」

「なあ、」ラランが口をはさんだ。

「聞きたいんだが」

「なに?」

「お前たち、何を待ってるんだ?

 どうして他の街へ行かない?」

「兄ちゃん、バカじゃないの?」


 ファルはラランをじろりとにらんで言った。

 ラランの眉間がぴくりと動いたが、

 立ち上がる前にアリエスに制止された。

 ファルは続けた。


「おいらたちがバカだって思ってるんだろ。

 出てかないのは、

 臆病だからじゃないかとか、なんとか……。

 違うよ。この街は、リリーボレアなんだ。

 壁で区切られてるけど……。

 だから、他の街へ行けない。行っても働けないんだ」

「旅券無しで入れる街もあるだろ。イーロスとか」

「そこって歩いてどれくらい?」

「一週間」

「兄ちゃん、バカじゃないの?」

「おーう、よく言った。いい度胸だ。

 覚悟はできてんだろうなあ」


 ラランは口元にひきつった笑みを浮かべて立ち上がった。

 アリエスが止めようと手を伸ばすが、

 するりとかわしてファルの目の前に立った。

 逃げようとしたファルの首根っこをつかまえる。


「うわあああ、助けて!」

「ララン! ダメだよ!」

「いーや、こいつは二度もバカと言いやがった。

 許せねえ。尻を叩く」

「ダメだって!」

「あ、あんたら、

 国境を越えたいんだろ!? そうだろ!?」


 ファルは首根っこをつかまれて宙づりになりながらも、

 叫ぶように言った。


「おいら、力になれるよ!」

「あん? なに言ってんだ、お前」

「手を放してくれよ。そしたら協力してやるよ」

「だったら、その前になんか、

 言うことがあるんじゃねえのか?」

「悪かった! バカっていってごめん!」

「ふん」


 ラランはファルを床におろして手を放した。

 腰に手を当て、顔を近づけてファルをにらむ。


「力になるってなんだ? なにができるんだ?」

「おいら、壁を登れるんだ」


 ファルはヤモリのように壁をよじ登る真似をしてみせた。


「ロープを壁にかければ、

 あんたらを向こう側に連れてっていけるよ?」

「ならどうして自分で行かねえ?」

「母さんを連れていけない」

「ああ。なるほど」ラランはうなった。

「だがな、生憎とおれたちは旅券が欲しいんだ。

 この街を越えてからも、

 リリーボレアを旅しなくちゃなんねえからな」

「じゃあ、領主の屋敷から金をかっぱらえばいいよ。

 そんで旅券を買うんだ」


 ファルはあっけらかんとそんなことを言った。

 ラランが目を見開き、アリエスは息をのんだ。


「あっ! いや、その、

 い、今のは言葉のはずみっていうか、

 冗談っていうか……」

「ファル……」


 ラランは重々しく言い、ファルに一歩近づいた。


「お前、天才だな!」


 ラランはバシバシと音をたててファルの背中をたたいた。

 力が強くて叩くたびにファルは「うっ」と声を漏らした。


「いやあ、そんな手、思いつかなかった!

 金をふんだくってるやつから、巻き上げるってのがいい!

 よし、やろう! すぐやろう!」

「ちょっ、ララン、本気!?

 本気で、領主を敵に回すの?」

「敵になんかしねえよ。ただかっぱらうだけなんだから。

 バレなきゃいい。バレないほどいい」

「でも……」

「じゃあ、一年か二年、どっかの街で働くか?

 来年の英雄祭までには稼げるといいよな。

 まあ、旅券の値段がそのままっていう保証もねえけどな」


 ラランがそう言うと、アリエスはハッとして息をのんだ。

 苦悶の表情をうかべ、やがてため息をついた。


「はー……。そうだね。わかった。やろう」

「そうこなくっちゃな!」

「あ、あの、おいら、大口たたいちゃったけど……」


 ファルは手をそわそわと合わせて震えている。

 あんなことを言っていたが、

 本当にやるとなると怖くなってしまったらしかった。

 アリエスはすぐにファルに駆け寄って手を握った。


「あのね、大丈夫だから。

 いやなら断ってくれていいよ。

 僕たち、他の方法を考えるから……」

「待て。アリエス。

 ファル、一つ、聞かせてくれ。

 お前はなぜこの街にいる。壁の向こうへ行きたいのか」

「……ああ、行きたい。

 壁の向こうには兄ちゃん……、おいらの兄貴がいるんだ。

 おいらたちを待ってるはずだ」

「よし。なら、選べ」


 ラランはファルに指をつきつけた。


「このまま領主に屈して、

 ズルズルとこの街で干からびていくか。

 おれ達と一蓮托生。一矢報いて一発逆転。

 上手くいきゃあ兄貴に会える。ダメなら一緒に牢屋行き。

 さあ。選べ」


 ファルはしばらくの間、ラランがつきつけた指を見つめ、

 その指を握りしめた。


「いいよ、乗った。兄ちゃんたちに賭けるよ」

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