別れ
授与式からさらに一か月経って、
ラランは帰り支度をしていた。
魔法で指をちょいちょいと動かして、荷物をつめていく。
竜の力を操るのもだいぶ慣れてきた。
慣れれば刀でヒゲを剃るようなもので、
元々器用な方だったラランは、
あっという間に魔法を習得した。
ファルはファリオとともにすでに故郷に帰っている。
元気でと言い合って別れたのが昨日のことのようだ。
昨日のことのようなのに、
一昨日、バンダリーから手紙が届いた。
無事に親子三人、再会できたらしい。
手紙を読んで、ラランはクィナと喜びあった。
そのクィナも、今日の昼に旅立っていた。
二人は街はずれの安宿に泊まっていたのだが、
いつのまにかいなくなっていた。
ふらっと出かけただけかと思ったら、置手紙があった。
『いままで迷惑をかけて、ごめん。
クィナがもらった褒賞を置いていく。
国や王様からの褒賞と思わず受け取ってほしい。
これはクィナからお前への謝罪と感謝の印なんだ。
またいつかどこかで会おう。
アリエスによろしく。
追伸
旅費として少し抜いたのは許してくれ。』
手紙とともに金貨がぎっしりつまった袋が置かれていた。
そして、上の方に銀貨が数枚。
おそらく、金貨一枚を銀貨にかえて、
おつりを返したのだろう。
律儀なやつだとラランは苦笑した。
いきなり黙っていなくなるなんて、
まさにクィナらしいやり口だった。
今頃、口笛でも吹きながら街道をあるいているのだろう。
疲れた、などとぼやきながら。
クィナのことは心配するだけ無駄だ。
あいつはいつでも、どこでも、
たくましく生きていくだろう。
授与式依頼、アリエスとはほとんど会えていない。
二、三度と遠くの方に顔を見かけたくらいだ。
アリエスからは見えなかっただろう。
ラランは褒賞をもらわなかった弊害として、
気軽に城に出入りできなくなった。
復興の手伝いはしているから、
兵士たちはラランのことを知っている。
あのとき戦った連中も多いから、
仲間なのだろうとは薄々察しているはずだ。
余談だがビルハイドに石に変えられたやつは、
バラバラにされたやつも含めて、
クィナと一緒に元に戻している。
だから兵士たちは基本的にラランに対して友好的だ。
直接戦ったやつは多少複雑な表情をするが、
一緒に働いているうち、そういうのも消えた。
そういうわけで、兵士たちはラランの頼みなら、
大体聞いてくれた。
アリエスへの伝言や手紙も頼まれてくれたのだ。
ラランは、ファルから手紙をもらった翌日、
アリエスに手紙を書いた。
明日には王都を離れる。いつかまた会おうという内容だ。
そこにファルからの手紙も同封した。
その手紙をわたして戻ったら、
クィナがいなくなっていたのだ。
ラランがきりきり働いたおかげで、
壊れていた王都もほとんど元に戻った。
ラランは、自分の力が必要なくなっていくのを、
実感していた。
それは朗らかな達成感と、
ほんの少しの寂しさを伴っていた。
ラランは旅支度を終えた。
最後にアリエスの顔をみたかったが、仕方ない。
それもこれも、おれのせいなのだ。
おれが、竜の力に負けて、彼女を殺したのが悪いのだ。
***
主人にあいさつして宿を出た。
相変わらず人通りが多い。
初めて王都に来た時は、
まるで人形のように無表情だった人の表情が、
少しずつほぐれてきているように感じる。
いつどうなるかわからない不安から解放されたことが、
ようやく実感できつつあるのだろう。
城門にさしかかったところで、ぽんと肩をたたかれた。
ラランは驚いて、勢いよく振りかえった。
肩をたたいたのは、顔見知りの兵士だった。
ラランがあまりに素早く振りかえったために、
面食らった顔をしている。
「ど、どうしたんですか?」
「いや別に……」
ラランは頭をかいた。
「それで? なにか用か?
おれ、今から王都を出るんだ」
「ああ、なるほど、そういうことですか。
どうりで急げって言われたんだ」
「はあ?」
「これ、手紙です。ステラ様からの」
兵士は手紙をラランに差し出した。
ラランは封を破り、中身に目を通した。
読みながら顔をしかめていく。
あまりに深刻そうな表情で読んでいるので、
兵士は尋ねた。
「なにかまずいことがあったんですか?」
「……字は苦手なんだ」
ラランはしばらく手紙とにらめっこして、
ようやく解読を終えた。
「なんて書いてあったんですか?」
兵士は興味津々といった様子だった。
お姫様が手紙にどのようなことを書くのか、
気になるのだろう。
「城門前のタブローっていう店の干し肉が美味いそうだ。
ぜひ買っていけと」
「へぇー」
「買ってくか……」
なんだか肩を落とした様子のラランはその店に行ったが、
すぐに戻ってきた。
「干し肉は扱ってねえとよ」
「どういうことなんですか?」
「知るかよ。お姫様の気まぐれか、記憶違いだろ」
ラランは不機嫌そうに手紙をひらひらと振りながら言った。
兵士はやや気おくれした。退散した方がいい気配だと。
「そ、それでは、私は仕事がありますので、これで。
では、ラランさん、お元気で」
「おう。みんなにもよろしく言っといてくれ」
ラランは兵士と別れ、城門をくぐった。
王都へ入ろうとしている商人や旅人の列の横を、
歩いていく。
***
見渡す限り小麦の穂が揺れている。
空は晴れていて、日差しが少し暑い。
石畳の道がずっと続いていて、時折馬車とすれ違う。
そしてまた一人で歩いていく。
先生とキノリは元気だろうか。
ケガや病気はしていないだろうか。
クィナにもらった褒賞は今度こそ先生に全部渡そう。
きっと喜んでくれるはずだ。
しばらくは村にいよう。
もう十分、がんばっただろう。
剣士として、十分誰かのためになったはずだ。
ファルも元気かな。
あの兄妹はしょっちゅうケンカしていたが、
相変わらずだろうか。
母親は叱ったりするのだろうか。
風邪など引いていないだろうか。
あいつはすぐにお腹出して寝るからな……。
帰り道で様子を見に行かないと。
クィナはどこにいるんだろう。
そう考えると、ひょっこりそこらの小麦の穂の中から、
「ばあ!」と飛び出してきそうだ。
でもたぶん、そんなことはない。
あいつは本当に一人で旅がしたかったのだろう。
結局、おれたちはあいつを救えたのだろうか。
あいつの後悔や孤独を少しでも、
和らげてやれたのだろうか。
わからない。
その答えはまだわからないが、
また次に会ったときには、わかるだろう。
きっとわかるはずだ。
……。
アリエスは……。
アリエスは、
もうすっかり手の届かない存在になってしまった。
もう会うことはないかもしれない。
いや……、たぶん無いのだろう。
また、手紙を出そうか。
……。
やめておこう。
忘れた方がいい。お互いに。
じきにこの国を治める女王になる彼女と、
旅ができた思い出だけ大事に持っておけばいいんだ。
ラランは振りかえった。
遠くの方にうっすらと城がみえる。
アリエスがいる城だ。
……よし。
しばらくながめて、
満足したようにうなずくとラランはまた進み始めた。
しかし、視界の端になにかを見た気がして、
もう一度、城を振りむいた。
「……ん?」
王都のある方になにかが見えた。
道の上、空中になにか浮かんでいるようだ。
人、だろうか?
それは少しずつ大きくなっていく。
ラランは目をこすった。
おかしなものが見えたのかと思った。
もう一度見たとき、それが何かわかった。
魔女だ。ほうきに乗った魔女が飛んできている。
魔女はミアだった。
手を振っているようだ。
ミアはゆっくりと近づいてきている。
ゆっくり、といってもラランの十倍以上速いが、
ミアにしてはやけに遅い。
ラランは石垣の上に腰掛けて待つことにした。
ミアはラランの手前で止まると、ほうきから下りた。
ほうきに乗っていたのは、ミアだけではなかった。
ディーノも一緒だった。
馬鹿みたいに大きな風呂敷をかついでいる。
「水臭いじゃないの」
ミアは開口一番そういった。
「声くらいかけなさいよ」
「悪い悪い。お前らめちゃくちゃ忙しそうだったからな」
「そうよ。めちゃくちゃ忙しいんだから。
手間かけさせないでよ」
「? どういう意味だ?」
「ほら、これ。荷物だ。お前あての」
ディーノが風呂敷をそっと地面におろした。
ラランは顔をしかめた。
どう考えても、
徒歩の旅に持っていくべき大きさの荷物ではない。
「いらねえよ。なんだよこれ」
「開けりゃあわかる。悪いが、返品不可だ」
ディーノはそう言うと、
ミアのほうきにさっさとまたがった。
「じゃあな、元気で。まあ、よろしくやれや」
「それじゃあね。いつかまた会いましょ」
「あっ、ちょっ、待てよ! おい!」
ミアとディーノは去っていった。
来るときはあんなに遅かったのが、
嘘みたいに速く飛んでいく。
「なんだよ、あいつら。
どうするんだよ、これ……」
ラランは置き去りにされた荷物に視線を落とした。
いまのところ、中身に心当たりはない。
ラランはこわごわ風呂敷に近づいて、
そっと結び目をほどいた。
「えっ」
「……」
風呂敷の中身は、アリエスだった。
顔をしかめて、こちらを見上げていた。
「な、なにしてるんだ、アリエス?」
「どうして置いてったの?」
アリエスはラランの問いかけを無視し、
非常に怒った口調で言い放ち、勢いよく立ち上がった。
ラランは思わず後ろにさがった。
アリエスは詰めよった。
「ねえ、答えてよ」
「て、手紙は送っただろ」
「来たよ」
アリエスはもう一歩詰めよった。
ラランはさがった。
「ねえ。僕、返事したでしょ。
どうして待っててくれなかったの?」
「待つ? 待つってなんだよ……?」
「お店で待っててって書いたでしょ」
「……?」
「タブローで干し肉を買ってって」
「ああ、書いてたな……」
「そうでしょ? なんで待っててくれなかったの!?」
「は!? なに言ってるんだ?
待ってて、なんて書いてなかったじゃないか」
「まだわかんないの!?
タブローには干し肉なんか売ってなかったでしょ!」
「あ、ああ……」
「それでおかしいと思わなかったの!?」
「思った……」
「そこで手紙の意味を考えようとは思わなかったの!?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「……うん」
「ど、どうして直接待っててくれ、
って書かなかったんだ……?」
ラランはこわごわと、
アリエスの顔色をうかがいなら質問した。
アリエスはため息をついて、言った。
「……僕らの手紙は、人に見られてたんだ」
「へ?」
「知らなかったの? 僕、これでもお姫様なんだよ?
手渡しの手紙なんか、怪しいから、検閲されるんだよ」
「あー、そうなのか」
しかし、ラランの反応は淡白だった。
特に見られて困るような内容を書いた覚えがないからだ。
「ええと、それで?」
「それで!?
だから、待ち合わせしようなんて書いたら、
一発でアウトなんだってば!」
「なるほど」
「~っ! もう! ラランのばか!
なるほど、じゃないよ!」
「それで……、おれになにか、用だったのか?」
「うん、そう。用があったんだよ。あったんだ!
でも……」
アリエスは、じっとラランをにらんだ。
ラランはぎょっとした。
アリエスの目から涙があふれたからだ。
泣きながら、ラランをにらみ続けている。
「でも、いい。いいんだ。いいんだよ、もう!」
アリエスは唇をかんで、踵を返した。
ざくざくと土を踏みしめて道を引き返していく。
「もう! どうしてミアとディーノは帰ったんだよ!
待っててって言ったのに!」
「返品不可だって言ってたな」
「! なんだよ! ついて来ないでよ!」
「おれもそっちに用があるんだ」
「なにが!? 忘れ物でもしたわけ!?」
「そんなところだ」
「じゃあ、ほら! 先行きなよ、ほら!
後ろ歩かないで! うっとうしいから!」
アリエスは立ち止まり、ぐしゃぐしゃになった顔を、
手でぬぐいながら、片手で王都をさした。
しかし、ラランはアリエスの前で立ち止まった。
「……」
「なんだよ! さっさと王都に行きなよ!」
「おれが用があるのは、お前だよ。アリエス」
「へえ! あっそう!
なんだよ!? 何が言いたいんだよ!
さっさと言いなよ!
言って、どこへでも行きゃいいじゃん!」
「……」
ラランは一度、深呼吸した。
「アリエス、一緒に来てくれないか」
「……」
「ほら、ウィルゴまで行って、
先生に無事に終わったって報告を……」
「そんなの、一人でしなよ!」
「……報告が、終わったら、
そのままどこかへ行かないか?」
「……どこかって?」
「わかんねえ。どこでもいい。ただ……」
「なに?」
「ただ一緒に、また旅がしたいんだ。お前と」
ラランは意を決したように言った。
「お前が、王女としての地位を捨ててもいいってんなら、
一緒に来てほしい」
「……いいよ」
アリエスは、ずびと鼻をすすり、
顔をしかめたままうなずいた。
「……王女としての地位だって?
そんなこと、気にしてたの?」
「するだろ、そりゃ」
「はは、ははははは……」
アリエスは力なく笑うと、その場にへたりこんだ。
ラランはあわててアリエスを支えた。
「大丈夫か!?」
「こ、腰が抜けちゃった。へへへ……」
「なんだよ、まったく……」
「うへ、へへへ……」
アリエスは涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で、
ゆるっゆるの笑みを浮かべた。
「ひでえ顔だなあ」
「へへへ……。嫌いになった?」
「ふん。好きじゃあねえなあ」
「ねえ、ララン」
「ん?」
「だっこしてよ」
「はあ?」
「だっこ」
アリエスは子供のように両手を伸ばしておねだりをした。
ラランは小さい頃のキノリを思い出した。
「ったく。ファルも、クィナも、うちの妹だって、
こんなに甘えん坊じゃなかったぞ。ほら」
ラランはしゃがんで、アリエスに背中を向けた。
しかし、アリエスはぶんぶんと首をふった。
「やだ!」
「は? なにが?」
「おんぶじゃなくって! お姫様だっこ、して!」
「お姫様だっこだぁ~?」
王女としての地位どころではない。
知能まで捨てたのか、とラランは思った。
「はやく!」
「はあ、もう、わかったよ。お姫様だっこだな?」
「うん」
アリエスはにこにこ笑って、ラランの首に両手を回した。
ラランは表情が変わらないよう、
顔をしかめ、ぐっと奥歯をかんだ。
耳元でアリエスが微笑んでいる。
「ふふふふふ」
「なんだよ」
「ララン、緊張してない?」
「っ。してねえよ」
「あはは。そうなんだ。ふふふ」
「さあ、行くぞ」
「うん」
ラランは、
ずーーーっと頬をゆるめ続けているアリエスを抱えて、
街道を進み始めた。
その道は地平線の向こうまで続いている。
どこまでも続いている。
二人はこの道を進んでいく。
どこまでも。