第3街 ~~街守のお仕事見学2.大人になったり、子供になったり~~
水道管修理の仕事のあと、二人は一度家に帰った。オーネが着替える必要があったからだ。
そして今、オーネは楽団を引きつれて、"祝福"に向かっている。
オーネの服装は、いつもの制服の上に、礼装である帽子や杖、ストールなどを合わせたものになっている。
楽団の構成は、ザンボーニャ、シンバル、アコーディオンなど。半数が街守、半数が街の人だ。
吹く、叩く、弾く、色々な楽器が集まって、ゆったりとした、華やかで、厳かで、どこか懐かしい音色のハーモニーを奏でている。
オーネは、その先頭を歩いている。教会から目的の家までの道のりを、ゆっくりと。全ての動作が、同じくらいのゆっくりさだ。時折手に持った杖を掲げると、杖先の鐘がシャン、と足音のように小さく鳴る。
よそ見もせずに、音楽に合わせて無駄な動きなく進むオーネは、だんだん神聖な何かに見えてくる。
「なんだか、すごい……」
楽団の行進を少し離れたところから眺めながら、リッコは出発前の会話を思い出していた。
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「ふふ、その内、リッコちゃんにもやってもらうわね」
「わ、わたしですかっ?」
「"梯子"のほうも、素敵よ? 歩きながらの演奏だから、ちょ~っと大変だけど」
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楽団が向かっているのは、赤ちゃんが生まれたばかりの家だ。
そこで赤ちゃんに、オーネの街法で"良き出会いの祝福"を授ける。
この行進は、街におめでたいことが起きたことを知らせる祭りでもあり、街法の効果を最大限引き出すための儀式でもある。
リッコはオーネをじっと見つめる。
杖を持ってただ歩くオーネの表情は、どこか慈しみをたたえた様子で固まっている。表情の変化どころか、まばたきすらしていないようにも見える。
「かみさまの仮面をかぶってるみたい……」
リッコは感動と、少しの恐怖を感じた。
楽団が家にたどり着く。
楽団は家のそこそこ手前で止まり、演奏を続ける。
家の前に、赤ちゃんを抱いた母親が姿を現す。
オーネが子供に向けて、杖を少し大きめに鳴らす。
音楽が止んだ。
「"この命に、良き出会いの祝福を。そして願わくば、この命が新たな良き出会いとならんことを"」
オーネは、よく通る澄んだ声で宣誓した。
そして、歌う。
「~~~~~♪ ~~~~~~~♪」
天から零れ落ちたような歌声。
赤ちゃんを起こさない優しさと、少し離れたリッコのところまで届く強さを合わせ持っている。
伴奏はなく、杖の鐘が鳴るだけ。
鐘がほのかに輝き、その光は赤ちゃんを包んでいる。
"祝福"が、与えられている。
やがて、歌が終わった。
母親が何度も頭を下げる。
オーネは、中にいる何かを解放するように、ふうっ、と深く息を吐いてから──ようやく、微笑んだ。
それは、リッコがいつも見ているオーネの笑顔だった。
「おめでとうございます。どうか、末永くすこやかに──」
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「はーー……肩が凝ったわ!!」
「えへへ、オーネさんすごかったです!!」
リッコはオーネの肩を揉む。
もう一件"祝福"の予定があるので、オーネはまだ礼装のままだ。
「本当におめでたいし、光栄なことよね……。街守冥利に尽きるわ……。それはそれとしてもう……たいへんよたいへん! 主に筋肉がっ!」
「筋肉ですかっ?」
「うんっ、筋肉! 一応街が手助けしてくれてるし、調子がいいとあっという間に終わってるんだけどね……とにかくこの街、坂が多いのよね!!」
「あっ確かに……」
「ふぅ……ありがと、リッコちゃん。そろそろ行きましょうか。次はかなり楽なやつだから、リッコちゃんも参加してもらうわ」
「えっ、いいんですか?」
「ええ。適当に叩いてくれればいいから。ノリよノリ。その辺のやつで」
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というわけで、二回目の"祝福"が始まった。
今度は先ほどより楽団が小規模になって、街守はほとんどいなくなって、だいたい街のおじさんになった。
リッコはあわあわしながら、音楽に合わせて時折タンバリンをパタパタシャンシャンさせている。
リッコは、先ほどのオーネを見ていたので、はじめ、どんな顔、どんな気持ちで楽団に混ざればいいのか、よくわからなかった。
しかし、ふと振り返ったオーネが、いつもの表情で
「リッコちゃん。これは素直に楽しんでいいのよ?」
と微笑んだため、その後は吹っ切れて体の赴くままにリズムを楽しむことができた。
到着したのは、石工職人のピエトロの家だった。
ピエトロは家の入口で腕を組んで、ぶすっとして待っていた。
オーネは楽団ごと勢いよくピエトロに向かっていく。
「はい、シャンシャン。『"この命の新たな挑戦に、良き出会いの祝福を。そして願わくば、この命が新たな良き出会いとならんことを"』。ラーララー♪ はい完璧!」
先ほどとは比べ物にならない簡単さだった。
しかしピエトロの体はしっかり、ほのかな"祝福"の光に包まれた。
「ったく、こんな大げさなモン頼むなっつったのによぅ……」
ピエトロは頬をぽりぽりかいて照れくさそうにしている。
そんな彼を、楽団の男たちが次々と背中を叩いたり、肩を抱き寄せてぎゅっとしたりしている。
「いいじゃねえか、釣りだって立派な趣味だ。こんくらいさせてくれよ!」
「美味い魚毎日持ってきてくれりゃあチャラだチャラ! がはは!」
その姿はなんだか子供のようで、リッコは思わず笑顔になった。
「お、オーネさん!」
「なぁに?」
礼装のオーネは、少し屈んでリッコに微笑む。
「えっと、これって……どういう"祝福"なんですか?」
「ふふ。どういう、って聞かれると……『ピエトロさん、釣りを始める記念!』……かしら? 幻のボボボアフロダイを釣りたいんですって。いるのかしらね?」
オーネはくすくす笑った。
そこに馬鹿にした様子はまったくなく、少女のような無垢な笑いだった。
「なんだか……大人の人って……大人になったり子供になったりするんですかっ?」
リッコの問いに、オーネは少し目を丸くした。
それからすぐに、
「人に……よるわっ!!」
と力強く言った。
「ええっ!?」
驚くリッコに、オーネは続ける。
「私の場合はね……挑戦するのが子供で、見守るのが大人、って思うの。大人になるとだんだん、そういう気持ちから、体が離れていく……そんな感覚があって……簡単に言うと、疲れちゃうの。
だけど私は、まだ元気みたいだから……いっぱい子供をして、大人もしたい。わがままなのよね」
子供と大人の間のような笑顔。
リッコはあまりピンと来なかった。
それを察してか、オーネはぱん、と手を合わせて、
「ふふ、リッコちゃんはまだ子供でいいのよ。遠慮せずに、なんでも挑戦すること! やってみたら、面白いこと色々あるんだから!」
「は、はいっ……わかんないけど、わかりました!!」
「よろしい! それじゃピエトロさんいじりに混ざりましょうっ!」
「ええ~~っ!?」
それからみんなでしばらくピエトロさんをからかって、お礼ということでピエトロさんの家で出来立てのピザをご馳走になったりしたのだった。
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「ん~……むにゃむにゃ……」
夜。
自宅に帰ったリッコは、疲れていたのですぐお風呂に入った。そしてお湯に浸かっていると眠くなってきたので、ささっと上がって雑に体を拭くなり、なんとか下着だけつけてからベッドに飛び込んだ。
「まぁ、リッコちゃん。ちゃんと服を着て……もう」
オーネはリッコに毛布をかける。そこに、自分の毛布をひとつ重ねた。
「お疲れ様。今日はどうだったかしら?」
オーネは、リッコのまだ少し濡れている髪をそっと撫でながら、聞こえなくてもいいくらいの音量で囁いた。
「むにゃむにゃ……わたしもいつか、おとなになりますから……」
思わぬリッコの返答に、オーネは苦笑した。
「ええ。きっと、あっという間よ」
オーネは窓を見上げる。
月と星に満ちた夜空から零れ落ちてくるのは、眠りに落ちる人々を安心させるような、柔らかな光だった。