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Re:Genesis  作者: 森陰 五十鈴
さよならを忘れて
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母の日記

 腹がくちくなると、慣れない作業に寄る疲労も相まって、アリィは眠くなったようだった。まだ皿の残るダイニングテーブルに突っ伏して、うとうとと船を漕ぎだしかけたアリィを、リオはなんとか叩き起こして部屋に連れて行く。ベッドに倒れ込んだアリィは、枕元に並べられたぬいぐるみの中から、迷わず青いペンギンを抜き取ると、ギュウギュウと抱きしめながら気持ち良さそうに夢の中へと旅立っていった。

 一方リオは、妙に気分が(たか)ぶっていて、とても寝る気には慣れなかった。食器を綺麗に片付けた後、遺品の整理を思い付き、母の部屋へと赴いた。


 母は、研究者だった。少なくとも、リオたちの前ではそう称していた。

 リオの脳裏に浮かぶ母はいつも、コンピュータのディスプレイに向かい、キーボードを叩く姿だ。真剣な眼差しでモニタを見つめ、下から上に流れていく文字や数字を素早く目で追っていた。その真剣な眼差しがふと逸れて部屋を覗き込むこどもたちに向かうと、柔らかく細まった目元に小皺が浮かぶ。その瞬間が、リオもアリィも大好きだった。

 今、その場所には虚ろが漂うのみだ。


 部屋の明かりのスイッチを入れると、母の部屋が白く照らし出された。手狭な部屋だ。パイプ組のベッドとコンピュータの載った机、そして本棚が一つあるきりで、空いた床には幾何学模様の描かれた円形のラグが敷いてあるのみ。そのラグの上だって、せいぜい人が一人か二人立てる程度の大きさだ。カプセルのような部屋だ、とリオはいつも思う。

 リオは机の足元に置かれた本を拾い、机の上に置いた。それからコンピュータのスイッチを入れる。

 遺品の整理とはいうものの、母の持ち物はこのように少なく、整えて収納されていた。作業なんて、あえてするほどのものではない。リオが思い付いたのは、こういった有形財産の整理ではなく、コンピュータの中に保存された無形財産――データの整理だ。

 母のコンピュータにパスワードは設定されておらず、すぐにデスクトップが表示される。青緑の背景にびっしりと並べられたファイルやフォルダ。いざ目にすると、何処から手を着けるべきか悩んでしまう。

 結局リオが展開したのは、母の日記のファイルだった。


 まるで報告書のように硬い語調で、出来事が連ねられている。だが、一つ一つ細やかに記録されていて、リオはそこに母の愛情を感じた。

 例えば、一昨日。アリィがパンケーキの片面を焦がしてしまったこと。いつもは綺麗なきつね色に焼き上げるのに、寝不足の所為で失敗した、というのが本人の言い訳なのだが、そのこともしっかりと書いてある。

 例えば、一週間前。リオが畑の雑草抜きに精を出していたこと。繁殖力が強い雑草を早いうちに排除したくて始めたことだったのだが、本人の真面目さの表れだ、と評してある。

 例えば、二週間前。母がアリィに〝ミロ〟を贈ったこと。あのペンギンは、実はぬいぐるみではなくロボットで、母に似て科学技術(テクノロジー)が好きなアリィは、それは大喜びしたものだった。

 (さかのぼ)れば遡るほど三人で過ごした日々が懐かしく、リオは改めて母の喪失がどれほど大きな出来事かを悟った。


 ふと、リオはある一文に目を留める。


「……手紙?」


 白地に浮かぶ黒い文字でちかちかした目を瞬かせつつ、リオはその文を何度か見返した。

 父からの手紙が来た、と書いてあった。


〝母〟が居て、リオたち〝子供〟が居る以上、家族(そこ)にまた〝父〟の存在もあった。が、現在父は、この家に居ない。彼は旅に出ている。この滅びた世界の調査に向かう、などと言って。


『お前たちが安心して暮らせるところを、探しに行くんだ』


 逆光の中でアリィの頭を撫でてそう言った大柄の男の影が脳裏に浮かぶ。何を言っているのだろう、と当時のリオは思った。自分たちは今、この家で満足して暮らせているのに、と。

 それから三人は、父のことを忘れたように日々を過ごした。実際リオは、引き継いだ父の役割に慣れて来た頃、父のことを思い出すことがなくなった。母も妹も――そして遠くに行った父も、同じだと思っていたのに。


『今月もサイからの定期報告が届く。調査記録と、同封された手紙。

 メッセージなど送付データに添えれば良いだろうに、今回もまた、わざわざ紙面にしたためたものが送られてくる』


 サイ、というのは、父の名だ。〝定期報告〟というからには、これまでも何度か父からの手紙が来ていたということのようだが、リオはこれを知らなかった。おそらくアリィも。

 母が意図して伝えなかったと思うのだが、この呆れた文面からは、手紙を心待ちにしていた様子が窺える。


『だが、彼が有形物を遺したがる理由が最近分かってきたような気がする。手で確かに触れられる、ということの価値について』


 リオの頭にミロの姿が過ぎった。母が作ったペンギン。今もアリィに抱きしめられていることだろう。


『その価値を確かめるように、これまで彼から送られてきた手紙を読み返した。彼は、旅立ちの時から変わらず、新天地に希望を抱いていた。子供たちが、人類が、もう一度歴史を始められる場を。

 私には無い感覚だ。私は、この家での生活に満足してしまっている。

 だが、子供たちの未来を思うと、このままではいけないのだろう。私に残された時間は短い。それまでに、子供たちがこの滅びた世界を生きていけるように準備しなければならない』


 リオは愕然(がくぜん)とした。母は、自らの死期を悟っていたのだ。そんなこと全く言っていなかったし、素振りすら見せなかった。だから、リオとアリィは昨日までずっといつもと変わらずに過ごしていたというのに。


 やるせない気持ちで、遡った日記を下っていく。何気ない日々。どうということのない出来事を几帳面に綴ったその記録から、リオは母の心境を読み解こうと試みた。残された時間の短さに絶望した様子は感じられなかった。ただ、母はひたすら、リオたち子供のその後を気にしていたようで――

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