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第86話 side『鉄血の獅子』①

 

 ◇


 その頃、『鉄血の獅子』の執務室では……。


 ばしゃ!

 怪訝そうな顔のグラハムが、アスナの顔面にコップの水をかける。

 水が輪郭を沿ってポタポタ流れ落ちる。


「なぜワシの言う通り動かなかった」


「申し訳ありません」


 机に座るグラハムに対し、アスナは機械のような無表情で返す。

 嫌な素振りを一切見せず、ただ無機質に。


「ワシはあの白髪を斬れと言ったよな?」 


「……」


 あの白髪の少年、自分の名を聞いた瞬間に戦闘行為を止めた。

 つい今まで斬り合っていた相手の前で剣を仕舞うなんて愚行、普通はありえない。

 だが、そんな相手に対して刀を振るうのは――。


「……剣を、抜いていませんでした」


「は」


「……彼に、戦闘継続の意志はありませんでした」


 グラハムはそれを聞くと、バンと机に拳を叩き付ける。


「――お前は馬鹿か! だから斬れといったんじゃ! あのガラ空きの身体を! 刀神器ムラサメで!!」


 グラハムは火がついたように捲し立てる。

 アスナは尚も無表情のまま。


「はぁ……はぁ……クソ、気分が悪い! お前は1週間ワシに顔を見せるな、『鉄血の獅子』ギルドの部屋を使うことも許さん!」


「承知しました」


 くるり、とその場を後にしようとするアスナ。

 

「――待て」


 その背中をグラハムは呼び止める。


「赤髪の女剣士……壮麗のベローネだったか。会話は途切れ途切れだが、お前のことを随分知っているようじゃったな」


 グラハムは睨みを効かせる。


「隠すとためにならんぞ、ヤツとはどういう関係だ?」


「……私の知り合いを装い、動揺を誘う作戦かと思われます。愚策です」


 アスナは振り向き、艶やかな栗毛を揺らす。


「私は獅子の立髪に誓った身、嘘偽りとは袂を分かっております」


 暫しの沈黙が流れる。

 その腹の中は覗き見えることはない。


「……ふん、貴様みたいなドブネズミを拾ってやった恩を忘れるなよ、とっとと去れ」


 アスナは執務室を後にし、賑やかなギルドホールとは反対の、目立たない裏口を通る。


 ポツ、とアスナの顔に何かが当たる。


「雨、ですか」


 アスナは薄暗い夜の中、街を目指し歩き出す。

 とりあえず雨をしのげる場所にしなければ。

 幼少期ぶりではあったがアスナにとって、野宿を言い渡されることは別段珍しいことではなかった。

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