覚醒編1
【タオル・ハンガー】という魔法を考えたのですが、いつか登場するかもしれませんね。
ラララ=フィブライットの人生は、最悪と言っていいほど濃密なものだった。
十四歳である彼女にとって、それは〝普通〟のこととなっていて、つまり、外の世界を知らない彼女は、わたしたちが普通で外の世界の人たちが異常なんだという認識になっていた。
自国であるニューマナランは隣国のハンズ三国連合国と戦争を始め、食料不足や病気が流行ったり、国は民を自国から出ようとさせなかったりと徐々にすべてが衰退していった。
ニューマナラン首都・バニヤン。ラララはこの地で暮らしていた。
ラララは、五人家族だった。父親に母親、姉に妹、そしてラララ。父親は家計を支えるために働きに出て、しかし汗水垂らして働いたお金の大半を税金で取られ、僅かに残ったお金でギリギリの生活をしていた。
戦争が始まれば、男どもが駆り出されるのは当たり前だ。故にラララの父親にも召集令が来た。断ることなどできるわけもなく、無抵抗のまま戦地へ送り出された。
戦闘能力のないただの民に形ばかりの武器を持たせ、ただ前に走らせる。無謀な特攻だ。壁、そう、肉壁だ。兵士ではない彼らを肉壁にし、国の保有戦力を如何に削らずに圧しきるか。
戦力で勝っていたとしても、食料や武器の確保が出来ていなければ最終的に圧される。ラララの国がまさにそれだった。
民はただただ餓えていくばかり。国の援助など一ミクロンもない。そこで生きているだけにすぎなかった。
そこに存在しているだけ。
存在意義などなにもない。そこにいる──いや、そこにあるだけ。
ものでしかなかった。
国のあらゆる機関や経済がまわらず、国は民のことなど一切気にせず、如何に国が崩壊しないかを検討するのみ。
ラララはもう、笑うしかなかった。笑うこともできなかったが。
公令暦302年9月17日。終戦。
終戦したのは、ニューマナランとハンズ三国連合国との戦争であるアハードルマ戦争だけ。結果は、ハンズ三国連合国の勝利。つまり、ニューマナランの敗北で終わった。
隣国の植民地にされ、悪化した国はそのまま、資源確保優先で施設やら人員やらが導入された。
ラララたち民に与えられたのは、僅かな食料のみ。家など壊れたまま、医療もなく、死に逝く人が1日に必ず現れた。
隣国は、ラララたち民などどうでもよく、むしろいなくなってほしかった。しかし、形だけはとっていた。隣国の民たちに国のトップはいいことをしていると信じ込ませるためだ。ただの形。
「……」
ざく
ざく
瓦礫を踏む音が外から聴こえた。外、とは言っても、家は半壊しているため、ラララがいるところも外と言ってもいいだろう──けれど、ラララが外から聴こえたと言うのならば、まだこの半壊した建物は、自分の家だと思っている証拠ではないか。
ラララは母と身を寄せあった。姉も妹も母に抱きついた。相変わらず、父はいない。もう死んだのだろう。
ざく
ざく
足音が近づいてくる。ああ、この家に用があるのか。
支給品は放送で取りに来るよう命じられる。隣国の兵士は近寄りもしない。ならば、この足音はなんだというのだ。
ギィィ、ガコ
不自然にそこだけ残っているドアが開いた。わざわざそこから入ってくるのか。
ざく───
足音はそこで止まった。
「あ、、、、、ぁぁ……い、生きてた……」
そいつは──
「と、父さん……?」
ラララの父親だった。
あちこち破れ汚れている軍服を着た、痩せ細った男。顔は窶れ、右腕が肩下からない男。
戦争に行く前に見た父親とは似ても似つかない姿だったが──紛れもなく、ラララの父親だった。
生きていたのだ。生きて、帰ってきた。
だが、そんな喜びは、何故か口から出なかった。良かったと心の中で思うだけだった。抱きつこう何てこともしなかった。思い付かなかったと言ってもいいだろう。そんなことは、今の状況の中ではやろうとは思わないのだ。
そう、しても無駄だ。
母親、姉、妹が顔を上げ、父親を捉えた。泣くこともしなかったが、良かった良かったと言った。
けれど、良かったなどと今は言うべきではなった。
直後、乾いた音が鳴り響いた。何処かで聴いたことのある音。パァン、という──ああ、そうだ。
──銃声だ。
父親が仰向けに倒れた。倒れると土埃が舞った。
ずずす、と父親は左手を動かした。家族に向けて。
続けて乾いた音が鳴った。
父親は動かなくなった。
四人は声をあげなかった。
「ちっ……ゴミ屑が。逃げ出さにゃぁ殺さないでおくつもりだったってのによ。けっ」
男の声は、死体にそう吐くと踵を返して消えていった。
男が煙草を吸っていたのだろうか──少しだけ煙草の臭いが鼻を刺激した。
◇◇◇
「何故だ。何故だ。何故、───」
男が射たれた。胸に小さな穴が開き、血が服に染み付いた。
「何故何故何故、だと。──面白いからに決まっているだろう」
軍服を着た男は、死体に言った。聞いているやつなど一人もいないが、まあいい。男はもう少し殺してやるかぁと意気込んだ。
「おいおい、その辺でしておけ。奴隷にするやつがいなくなったらどうする」
「奴隷かぁ。男しか殺してねえよ」
やっぱ女だよな、女。バカ野郎、と男は返した。
「男は労力になるだろうが」
「そうだがなぁ。女を扱き使うってのもいいよなぁ」
お前ドSだな、と返された。
「それはそうと、ビレビィお前、白髪生えてきたなぁ」
ビレビィと呼ばれた眼鏡の男は、ああこれか、と髪を触った。
「ストレスだとさ。兵士というのは、ストレスが溜まる」
「俺は溜まらねえぞ」
「そうだな、お前はストレスとは無縁な存在だ」
ひでえ、と言う。
「ギャス、少しは落ち着いたらどうだ?」
「ストレスと何の関係があるってんだ?」
ギャスと呼ばれた男は、死体を足で突きながら尋ねた。
「関係はない──わけではないな。落ち着いて物事を見ろ。そうすれば、何故ストレスを抱えるのかわかるはずだ。考えなさすぎなんだ、お前は」
とは言ってもよぉ、と頭をぽりぽり。
「頭悪いから、どのみちわからんぞ」
ギャスは軍でも飛びっきりのバカである。しかし何故か、いやだからと言った方がいいのか、上層部の人間に気に入られていた。
逆にビレビィは嫌われていると言っていいだろう。
「お前は、堅いんだよ」
「何処がだ。普通だろ、普通」
そうかぁ? と否定した。
「眼鏡だし」
「眼鏡関係ないだろ」
「姿勢いいし」
「姿勢関係ないだろ」
「髪染めてないし」
「染めてないがどうした」
「飴ちゃん配るし」
「疲れているだろうと思ってな」
「眼鏡を左手の中指で押し上げるし」
「いや、まじで関係ないだろ!?」
「眼鏡だし」
「いや、だから、眼鏡関係ないだろって」
関係あるんだなぁ、これがぁ。ギャスは笑った。「眼鏡ってのはな、生真面目を象徴するもんだ。生真面目ってことは、恐いんだぜ?」
「……わからん」
呟くと、踵を返した。
「俺は行く。ほどほどにしておけよ」
もうちょい付き合ってくれてもいいのに。ギャスは、じゃーなーと手を振った。子供みたいだ。身体は大人、中身は子供──なんてね。
ギャスはビレビィの背中が見えなくなると、足下に転がっている女を見た。
女の顔は恐怖に染まっていて、いっそのこと殺してくれとばかりに破顔した表情をもとは美しかったであろう顔に浮かべていた。美しかった顔は土で汚れ、涙とともに鼻水も垂らしていた。髪はぼさぼさ、服はあちこち破けている。肌は荒れ、あちらこちらに青紫色の痣があった。擦りむいたのであろう肘や膝の傷からは血が流れ出て、放っておくと蛆がわきそうだ。
そんな彼女を見て、ニヒヒとギャスは嗤う。ああ、何て無様な姿なんだ、と。
女だろうと容赦はしないギャス。
彼は、女のお腹に強烈な蹴りを入れた。
「──ガボッブッッ!!??」
◇◇◇
殺してやる。
殺意を覚えたのは何故なのか。自分にもわからなかった。
偶々居合わせただけで、しかも知らない相手だったが、殺意を覚えたのだ。不思議なこともあったものだ。他人同然の相手を見ただけでそう思うなんて。ラララはふんと鼻を鳴らした。誰に対してなのか──ああ、ラララ自身にか。
ラララは行動に移した。
何故こうなったのだろう。
ただ、お昼のご飯を貰いに行った帰りに通りかかっただけだというのに。
なのに──
シャリン、と音がした。金属が擦れるような──そう、短剣などの刃物の──
「──なっ……がはっ」
ギャスの首筋に短剣が刺さった。刺さったというか、刺されたと言った方が正しい。
「死になさい。死んで死んで死に尽くしなさい。そうすれば、一生煉獄の炎に焼かれるだけで済むわよ」
ギャスは音をたてて崩れ落ちた。首筋に刺さっている短剣を抜くと、ヒュッと空気を切った。刀身に付いていた血糊が払われ、地面に点々と血が落ちた。
「はっ……これで、ここにはいられなくなったわね」
幸い、住宅が建ち並ぶこの場所には兵士がいなかった。逃げるなら今だ。多分、見ていた住人はラララを売るだろう。兵士に誰が殺ったか吐けと、吐かないと殺すと脅されれば吐くだろう。勿論、ラララが助けた女さえ。
ラララが手にしている短剣は、死に絶えている兵士のものだ。鞘を腰から外すと、短剣を滞納した。
「この短剣、結構上物みたい。家紋は──ないわね。なら、もらっていいかな」
ラララは、助けた女を一瞥すると、じゃあね、と言ってその場を離れた。
「そういえば、あの男、父さんを殺したやつじゃね? なら、復讐を果たしたことになるのね」
物凄く気が楽になったと彼女は思った。
さて、もう用はない。この国から出よう。今の内ならバレないだろう。兵士が殺されたことで混乱が生じる。この国の規制が厳しくなる。そうなると出るのは難しくなるが、混乱している最中に出ることが出来れば問題はない。門番はいるだろうが、殺せばいいだろう。犯人の捜索に駆り出され、兵士たちはあちこちを彷徨き回る。
「いや、まて。だからこそ、外に出づらくなる?」
なるほど、そうだな。確かにそうだ。犯人探しで最も効率的なのは、先回りすること。身元が割れれば、その場に止まりにくくなる。ならばあとは、外に出る、という行動しかないわけだ。そうすると、門前を固めておけば、ラララは捕まる。
「面倒臭いわね。自由に出られればいいのだけれど」
現在、植民地となっているこの国から、出ることを禁じられている。どんなに掛け合っても外へは出してくれない。
この国は小国だが、それでも人間の視点から見れば広い。その広い中を守るものなど身に付けることなく突っ走るというのは、博打もいいところである。最悪、それしかないが──
「最悪、とは言っても、それしかないのだけれど……」
とりあえず、どこかに隠れよう。出ることは止め、見つからないところに隠れることにした。
「確か……地下に繋がるところがあるとか聞いたことがあるけれど……って、あれ? ここは、どこ?」
走っていると、そこは見知らぬところだった。いや、見たことはあった。一度だけここに来たことがあるが、親に行くなと言われてから来ていなかったためこんなところがあることを忘れていたのだ。
スラム街。
ごみ溜め、と言えなくもない衛生面でも生活面でも食料面でも酷すぎる状況。支援など一切なく、服という服を着ていない男女が簡易天幕や壊れた建物に身を寄せているニューマナラン首都・バニヤンで最も貧困な場所だ。
ニューマナランは、もともと裕福な国ではない。貴族たちだけが民から貪り取ったお金で裕福な生活をしている。そのスラム街なのだから酷いのも当然。ラララが住んでいたところも昔よりは貧困状態になったが、スラム街よりはマシだ。スラム街は虫があちこちを飛び回り、悪臭がするほどだ。生きているのに体の一部が腐り、ウジが這う。食料なんて配給されず、彼らの食べ物は、虫。そこらにいる虫だ。たまに自分の体に付いているウジ虫をも食べるが──長く生きながらえる人などいなかった。当然のように毎日死人が出る。スラム街は広く、人も多い。まだまだ生きているの人はいるが──そう長くは持たないだろう。いずれ、スラム街に住む人たちは皆、息絶えるだろう。
そんなスラム街に彼女は、足を踏み入れた。
「……気色悪い……なんて言っては駄目なのだけれど、そう言わざるをえないほど酷いわね。はぁ、思い出した。件の地下、ここのどこかに入り口があるとか言ってた」
誰が言ってたっけな、と呟きながら、歩き出した。
ちらほらと道端や壊れた建物の壁際などに腰を下ろしたり、横になっている人影が見える。
「入り口、ねぇ。聞くって言っても、この人たちに聞いて返答してくれるかかわからないし、知っているかもわからない。どうすればいいのよ?」
とりま、歩こう。歩いていれば、見つかるんじゃね? と軽い気持ちでキョロキョロ辺りを見つつ歩く。
そういえば、わたし追われている身だったなと思い出すが、まだバレていないかも、と思ってしまい、あまり焦ることはしなかった。大丈夫かそれ。
「──っと、ありゃ、教会、か?」
ほとんど壊れ、教会の形などわからないが、地面に教会のシンボルである十字架が落ちていたのを見て彼女はそう思った。
「教会……大抵、怪しい部屋とか地下とかの入り口って教会にあることが多いわよね」
物語なんかではそうだ。実際そうなのかはわからないが、確信したラララは教会へ足を踏み入れた。
この状態から推測するに、ハンズ三国連合国はここには足を踏み入れていないようだ。これで地下があれば、逃げることが可能かもしれない。外へ繋がっていればの話だが。
目線の先には、大きなステンドガラスがあった。
教会内は荒れ果てていて、しかしステンドガラスだけは、その美しさを保っていた。その下には、少し壊れたオルガンが鎮座していた。
こんなところに何故オルガンがあるのか。
オルガンまで近づき──途端にゴォォォオオオン!! という音が鳴り響いた。それがオルガンの奏でる音であることはすぐにわかった。その作動スイッチも。
「なるほど、蜘蛛の糸に引っ掛かったのかと思ったけど、これ、髪の毛ね」
オルガンに近づこうとした際、ラララの首にほっそい糸が絡み付いたのだ。蜘蛛の糸だと思っていたそれは、髪の毛。その髪の毛を使って、オルガンに近づくと音がなるよう細工していたのだろう。
「怪しすぎる」
発動させる人は誰でもいい。発動させたいがためにこの細工をしたように思えて仕方がなかった。
ゴゴン、とオルガンに隠れていた扉が開いた。
流石に太陽の光だけでは、中はわからないようだ。真っ暗で、果たしてそこに空間があるのかわからないそこへ、ラララは足を踏み入れた。
躊躇いはあったが、とはいえ、引き下がるわけにもいかなかった。ここで躊躇していては、捕まるがオチだろう。スラム街へ来ていることがすぐにわかってしまうのかどうかは定かではないが、最終的にここにも兵の足が延びてくるのは間違いない。
そんなわけで扉を潜ったはいいが、暗い。光のひとつありゃしないのだから同然と言えよう。だが、流石に灯のひとつでもあってもいいものを。敢えてそうしているのか、付け忘れたのか。
ぐちぐち言っても始まらないし──と呟き、暗闇を歩く。壁に手を触れさせ、道を確認するように。
コツン、コツンという靴の音が反響する。トンネルのような反響の仕方だ。
壁は冷たかった。多分、コンクリートなのだろう。
「……ふむ、徐々に下がっていっているね」
人は、視界を塞がれると、ほとんどの情報を遮断してしまう。故に坂になっていることを感じない人もいる。まあ、足に負担が掛かっているのを確認できれば、わかるのだが。
どこまで続いているのかわからない。もしもうそこが壁、もしくは扉なのだとしたら、このままではぶつかってしまう。暗くて何も見えないということは、想像以上に不便で危険だ。
「……むむ、暗いのに慣れてきた。ぼんやり見えるぞぉ……やっぱ見えなかった」
うう、帰りたいよぉ。そう呟きつつもその歩みを止めようとはしなかった。
家族──そんなものは、今はどうでもいい。自分が生き残れた後に考えればいいのだ──ラララはそう思った。ラララだと特定されない限り、殺されはしないだろう。殺されるとしても脅しに使うはずなので、ラララが知らないときには殺されることはない……はずだ。
少し不安になってきたが、後には引けない。
どのくらい歩いたのか、こうも暗いと時間の感覚が狂う。
──カチッ
「!?」
突然の音に身体をビクつかせた。何かを踏んでしまったようだ。
ぱっ!!! と辺りが明るくなった。上を見ると、天井には電球が取り付けられていた。時々瞬くように途切れるが、多分相当ふるくなっているからだろう。
と、ノイズが奔り出した。スピーカーのような音響機からのノイズに似ている。
『──ザザザ──ごふっ──ザッ───』
しばらくノイズが奔り、それが徐々に消えていくと声が聞こえてきた。
『──来訪者よ。我が城へようこそ』
その声は、年老いた老人の声だった。滑舌はいいが、声は若さを失っている。
ラララはその声に、足を止めて聞き入っていた。
『そこにいるのは、男か女か。私からすれば、女の方がいいのだが、男ならば──まあ、致し方ない。そのまま、私の話を聞いてほしい。突然のことで戸惑っているだろうが、どうか、最後まで聞いてくれ』
さて、と老人は話をし始めた。
『天秤・アルムスフィア。その名を聞いたことはあるか、来訪者よ』
天秤・アルムスフィア。この世界の調律者にして、特異点。特異点は、世界を書き換えてしまう災害のようなもの。特異点が発動し、その特異点を破壊しなければ、いずれ特異点が本当の現実になってしまう──簡単に説明するとそんな感じだ。
『この城は、アルムスフィアが私に造らせた要塞。要塞・アイアス。かの英雄・アイアスが持っていた盾。それを擬似礼装とし、展開したものがこの城なのだ』
彼は、先程から〝城〟と言っていた。
「(──ここは、城、なのか?)」
彼が言うのならば、間違いないのだろうが──いやしかし、そんな話は聞いたことがない。
「(けれど、ここの深さによる……)」
深さ一メートル程ならば見つかる確率は高い。相当下に潜ったはずなので、十メートルは下らんだろう。そうなら、見つからないのも頷ける。
『この録音がいつ再生されるかわからないが、多分、およそ千年は下らないだろう。故に、この城は地中に埋まっているはずだ。だから、ここが城だと言っても信じないだろうが、城だと仮定して聞いてくれ。まあ、今君がいる場所は城ではなく、城の外装の通路だがな』
城なのにもかかわらず、〝城〟という単語が入っていない城、要塞・アイアス。聞いたこともないその名の城は、何故かラララの脳に深く刻まれた。知らないはずの城のことを知っているかのような感覚に見舞われた。奥底の記憶を探られるような、そんな感覚だ。
少し気持ち悪くなったが、段々落ち着いてきて、胸に手を当て、息を吐いた。
『なぜ、このような話をしたのかと疑問に思っているだろう。まあ、なに、言えば簡単なんだが……えっとな、そのな、』
「いやなに、勿体ぶっているの、この人」
『ご、ごほん。えっとな、この、城がな、暴走してしまってな』
「物騒だね、暴走って」
『もう私の命も残り少ないし、ここいらで誰かに所有権を渡そうかと思ってな』
「アルムスフィアに所有権があるんじゃないのかな」
問いかけてもいないその疑問にあたかも聞こえてるかのように、老人は言った。
『私がこの城を造り、アルムスフィアに渡した。しかし、神話大戦の際、アルムスフィアは〝英雄〟としてこの世を去った。そのとき、所有権は私に戻ってきた。──では、神話大戦のことについて話していこう』
神話大戦。別名、アルムスフィアの最期。あったとされる神話の時代、調律者であり特異点でもあった彼女は、その命を以て神々と戦をした。人類対神。その神話大戦を終着させたのが、アルムスフィアである。
『この城は、謂わば避難所。シェルターの役割をした。私が発掘したアイアスの盾の一部をコアとし、絶対的な防御を誇る城としたが、トロイア一の槍の名手、ヘクトールの槍を受けても貫けなかった盾でもさすがに神の攻撃には耐えられず、コアの一部を破壊された。全損ではなく、一部損傷で済んだのは正直驚いた。神の攻撃は防げないと思い、諸刃の剣の策を用意したのだが、まあ、使わなかったのはいいことだ。とはいえ、そのせいで暴走してしまったのだ、要塞・アイアスは』
諸刃の剣の策というのは、謂わばカウンター技だと言う。とはいえ、本来のカウンターとは違い、攻撃を倍で返すのと同時に要塞・アイアスもそれと同じ威力の攻撃を受けてしまうのだ。ある意味、自爆技だ。
「暴走は今、凍結しているためなんとか押さえている状況だ。千年のうちにまた暴走する危険性があったが、私が生きているうちは暴走しないようにしなければならなかった。私は完成させなければならなかったのだ。アステカの姫を復活させるために」
アステカの姫、と彼は言った。その言葉に、ラララは近親感を覚えた。わたしの心が知っている──そう感じたのだ。
「アステカの姫がどういう存在なのかはわからない。だが、古代アステカの遺跡には、アステカの姫の存在が記されていた」
古代アステカ。それを聞いて、思い出したことがあった。
「アステカって、お父さんが話してた古代の遺跡……だったよね。偶然……なのかしら?」
ラララの父が言うには、今よりも文明が栄えていたらしい。国なのか街なのか村なのかはわからないが、見たこともない金属が出てきたり、物が出てきたりしたという。
『古代アステカ、という名前は、書物の表紙に書いてあったことからそう呼ばれるようになった。だが、本来の名前は違うらしい。別の書物を見ると、〝倭国〟とか〝英国〟〝米国〟など様々な名前が記されていた。予想するに、国の名前、もしくは街の名前だろう。どれが古代アステカなのかはわからないが、他の書物を読めばわかるだろう。しかしその他に見つかった書物は、どれも未知な文字で書かれており、読めなかった。私は、それを解読し、あるものを──いや、ある人を復活せねばならないのだ』
話を聞いていて気付いたのだが……ここ、寒くね? ラララはそう思い、ぼろぼろの薄汚れた服を見た。
あれから何日シャワーを浴びていないだろう。そんなことを思ってしまうほど臭いはないが、体のあちこちが痒いのはそのせいなのだと思うと、今すぐ浴びたくなる。
──からだ、洗いたいな。
そんなことを考えているとは露知らず、老人は話を進めた。
『それは、可憐な少女だった』
なんか、語りだした。
『白い髪は床に突きそうなほどに長く、その小顔を包んでいた』
この老人、年下に興味あるとかではあるまいな?
『美しかった。彼女は、幸せそうに永遠の眠りについてい。だが、どうやら彼女は、死んでいないらしい。コフィンの中に寝かせられ、見たこともない何かに繋がれていた。コフィンというのは、棺のような形をした入れ物らしい。わかったのはそれだけだった。生きているのかも怪しい少女をどうにかして生き返らせようとするのはどうかとは思うが、見とれてしまうほどに美しかったのだ』
「じじいがなに言ってるんだ」
ラララさ敬語などお構いなしに言った。まあ、老人が言うとロリコン発言聞こえてしまう。
彼は質問する余裕すら与えず、淡々と話す。ラララはそれに耳を傾けるだけだ。
『だが、彼女の心臓は止まっていた。止まっているのに生きているとはどういうことなのか。そういう能力なのか魔法なのか。私は、まずはそれを調べ始めた』
『とはいえ、流石にもう歳だ。調べきれない。だが、もしかしたら、彼女を生き返らせることができるかもしれない。その可能性が僅かにあった』
『〝カース〟が鍵だとわかったのだ』
『カース。つまり、呪いの類い。古代アステカにはカースというものが存在したのだろう。一種の能力。一生共に生きていかねばならない能力。だから、カースなのだと推測した』
『それは、推測に過ぎない。神殿にその記述があったわけではない。だが、彼女の左肩に刻まれた刻印。小さな丸を中心として、上下左右にダイヤの刻印。それが、神殿にもあったのだ』
『まずは扉に。大きな石の扉だ』
『人の手では開けられないほどの重さ、大きさ』
『開け方がわからなかったから、爆発して中に入った』
『特になにもなかった』
『なかったがゆえにおかしかった、不思議だった』
『真ん中には水が張っていて、その真ん中に丸い足場があった』
『そこまで行くのに水の中を歩いたが、酸性だとか魚がいるだとか、そんなことはなかった』
『本当になにもなかった』
『そして───』
──そんな話が五分は続いた。
しきりに話して満足したのか、老人は誰なのかもわからない来訪者──ラララに言った。
『多分、私は、彼女を生き返らせることができないだろう。だから、君が彼女を生き返らせてくれ。これはお願いだ。無理強いはしない。これは私のわがままなのだから』
なぜか、ラララは頷いた。承諾した意を示したのだ。
『この城の機能が使えるのかはわからないが、もう少し歩いた先に扉があるはずだ。パスワードロックの扉だ。君には、パスワードを教えよう』
言って、老人はパスワードを口にした。
『では──歓迎しよう、来訪者よ。我が城へようこそ』
五十メートルほど曲がりくねった通路を歩くと、目の前には扉があり、その右脇には認証機があった。
【5 8 6 7 7】
ガタン、とロックが外れた。
扉がゆっくりと開く。ごごごと低い音を立てて開く。
開き終わると、ラララは足を踏み入れる。躊躇なく彼女は踏み入れた。そして、彼女は目にした。
「し、ろ、だ」
城だった。
王族が住むような城だったのだ。
扉を開ければ、そこは広い玄関ホール。目の前には階段があり、レッドカーペットが敷かれていた。シャンデリアはキラリと煌めき、床や階段、その他のものには埃がかぶり、クモの巣があったが、間違いなく城。
「これは、本当に神話大戦時に造られたものなの?」
綺麗すぎた。千年は経っているにもかかわらず、埃やクモの巣などで汚れているだけ。核が一部破壊されたと言っていたが、ここまで被害が及んでいないのか。はたまた、大戦後に直したのか。
「……」
一歩足を動かせば、ぼろぼろの安い靴ですら、かこん、と靴と床がぶつかり音が鳴る。それは、城中に響き渡るほどに空気を震わせた。
「──さて、どこにいけばいいのかしらね」
今まで見たこともない踏み入れたこともない未知な場所。玄関ホールだけでラララの家を優に越える。
とりあえず、右に行こう。ラララは歩き出した。不安と共に。