忘れ物をした日
暇つぶしに読んでいただけたら、幸いです。
僕は予備校に行っていました。そこで、女装が好きな子と仲良くなりました。そう、いろいろあって、とても仲良くなりました。でもある日、いつもと同じように予備校に行ったのですが、なにかを忘れてきてしまって。今となっては何を忘れたのか、思い出せません。でも、それがないとそこにいる意味がなくて、お母さんに迎えを頼んだことは覚えています。まずその子にお別れして。それで、予備校の5階くらいにいたので、階段を降りながらお母さんにお願いの電話してたんですけど、向かいにある塾のビルの、僕より下の階にいる同い年くらいの男の子が笑顔で、おそらくこっちのビルの下の方の階段にいるであろう誰かに手を振っていました。僕はその日懐かしい人にあったので、その笑顔の男の子の、普通より激しい手の振り方に、彼もそうなのかなと思いました。
僕が小学生の時、中学受験するかどうか悩んでやめたんですが、受験するならそこの塾に行っていたと思うんです。その塾はビルまるごと全部が塾で、途中の階までそれぞれ個別の先生に教えてもらうところで、予備校のほうから、教えているところがみえるんです。それで、それより上の階が自習できるところになっていて。家で勉強に集中できないタイプだった僕は、中学に入るまでその自習できるテーブルにコッソリお邪魔させてもらって、時々勉強させてもらっていました。先生がそこの生徒に教えている後ろを何気ない顔でそ~っと通り過ぎて上まで行くんです。個人で教わるのも、自習するのも、壁沿いの長いテーブルでやるんです。だから、同じ方向に座っていて、こっちを見ていません。予備校から先生が教えているのが見えるのは、窓がついている壁が予備校側の道路を見下ろせる面だからです。
そして、この日は、迎えに来てもらう場所に早くつくんで、ちょっと塾の中を通り抜けさせて貰おうと思って。塾の中に入っていったんです。でも。中学生にもなって大きくなった体格から部外者だとバレたのか、初めて声をかけられました。そこの若い男の先生に呼べ止められちゃって。いつもなら階段までスッと行けていたんですけどね。「君、ちょっといいかな」って。はい、って掴まれた肩を気にしつつ、振り返ると笑顔なんだけどどこか怖い人で。「どうしたの?」「いえ、もう帰ります」「帰るなら、この先の水槽の道を真っ直ぐ行ってね」「はい、ありがとうございます。それじゃあ」とにかくこの人から早く離れたいと思いました。この塾の一階には巨大な水槽の通路が何故かあって、そこだけは暗めで道の両側を大きな水槽が埋め尽くしていて、まるで水族館みたいなんです。
その通路のすぐ手前に上へ行く階段があって小学校のときはここを上がってました。帰りは水族館の通路を通ってたんで、言われなくてもそんなこと分かってたんですけど、今わかったみたいな答え方して。視界から先生を外して、僕は早歩きで出口に向かい始めました。その時はここから立ち退きたい一心で、急いで急いで急いで。でも、人に口を出されていつもの道は違うとでもボンヤリ思ったんでしょうか。いつの間にか右の壁の水槽と水槽の間、真っ暗な曲がり角が一つあって、何だか怖くて一度も寄ったことなんてなかったのに、ふらりと。本当にふらりと入ってしまいました。そこからはただただ薄暗い一本道で。途中でふと、どうしてこんなところ通ってるんだろう、と正気に戻るんですけど、なんとなく、戻ればあの先生にまた会うのでは、と、怖くなりました。そうして、戻れなくなりました。なんとなく出口に向かっていそうで結局真っ直ぐ真っ直ぐ進みました。
そしたら行き止まりの壁か見えてきて。行き止まりまで行くと、そこで道は終わっていなくて、地下へ続く階段がありました。思えばこのときからそこは異様な雰囲気だったように思います。そこまではまだ塾っぽさというか、廊下みたいな感じで、絨毯が敷かれていたんですけど、階段からは土を削ってできたようなところで。そこから降りていっても同じ土色の壁と、床と、階段ばかりでした。それと鉄柵。しばらくして女の子に会いました。ボロボロの白い服を着ていて。それも一人や二人じゃない。何人も。みんななにかしているらしく、慌ただしく動いてました。こちらには見向きもしない。でも時々、こちらを見てくるんですけど何だか怯えているみたいで。前にテレビで見た奴隷みたいだ、助けてあげたいな、なんて思いました。
でも、声をかけられずに階段をずっと降りていって。だいぶ降りてきたところで急に警報音みたいなのが聞こえてきました。びっくりしました。それから男の人の声。「おい、男が入り込んでいるぞ!」「どこだ!?」「こっちだ!!」上から複数人の足音が聞こえてきて、それでも女の子たちは何も無いみたいにずっとなにかをしていて。不気味に思えました。そうして、急いで階段を降りて降りて降りて。だけど足音は追いかけてくる、くる、くる!遂に誰かのライトが僕の背中を照らし出した時。すかっと。足を、踏み外してしまいました。一瞬の浮遊感のあと、ドッと色々考えて、体感しました。恐怖、後悔、恐怖、暑い、冷たい、焦り、諦観、痛い、熱い、怖い。落ちかけて、冷や汗、踊り場のようなところまでコロコロと落ちて、頭を壁にぶつけて、視界に血がダラダラと。
早く、逃げなくちゃいけないのに、体は動かなくて。いつの間にか僕のところへ近付いてきたのは、あれだけ声が聞こえてきていたけれど、一人の男の人だけでした。その人は工事のおじさんみたいなヘルメットをかぶってタオルを腰に垂らしてました。そして…。ツルハシを握っていました。一歩一歩ゆっくりと、だけど着実に僕の方へ歩み寄ってきました。僕はもう駄目だと思いました。ついに手が届く距離まで来て、それまでヘルメットのつばで見えなかったその人の顔が見えました。その顔は…想像していたように、残忍な笑顔を浮かべている…わけでも、苛立ちを隠し通せていない…わけでもありませんでした。何故かその人は、憔悴しきった顔をしていて、その鬼気迫った雰囲気は、彼がなにかに追い込まれてるということを如実に表していました。こんな状況、立場じゃ無かったら、避けるか逃げるか大丈夫かと声をかけているような顔でした。
少し、虚ろだった目に光が灯った?そう思ったとき、彼はツルハシを両手で持ち、大きく振りかぶりました。その瞬間には、僕はもう頭の血が流れ過ぎてアドレナリンでも出まくっていたのか、痛みを感じていなくて、なんとなく血のドロドロと頭の割れた感じが、生卵みたいだと目の前の出来事をどこか他人事のように捉え、関係のないことを考えていました。それでも、更に痛いのは嫌だと体が勝手に、手を前で交差させました。
そこから僕が覚えているのは、その交差させた腕の先に見えた、弱りきった顔と、「俺は悪くない!こんなところに来たお前が悪いんだ!」というやっぱり憔悴しきった声に乗った言葉。意識がなくなる一瞬前に見た、やつれていなければきっと優しげなその顔に浮かぶ苦しそうな表情を見て、ああ、この人は塾の先生だったのかな、とどこかで思いました。そうして最後の最後、何故か頭に浮かんだのは、呼び止めてきた若い男の先生の顔でした。
暗転。
気づくと僕は、母の車の助手席でした。眠っていたようで、あの時の意識が覚醒すると同時に目が覚めたようです。どこから夢だったのか分かりません。けれど、今、ここにいる自分に安堵しました。頭に怪我がないことを触って確認していると、母は「どうしたの」と聞いてきました。何もない、そう言うと、今度は忘れ物をした事に対してのお小言が始まりました。いつもはウンザリとして聞き流していたのですが、その日ばかりは「同じことが二度と無いようにするよ」と反省の言葉を口に出しました。あまりに珍しかったのか、少し驚かれましたが、そこからは何も言われませんでした。本当にここに来れて良かったと思います。
夢は見ない、もしくは見てもすぐに忘れてしまっていることが多い私が、久しぶりに見た夢が、これでした。なんて夢見が悪いんだ、そして頭から離れない。ということで文にしました。
どうにも脈絡の無いように見えるところも、きちんと繋がっているんですよ?夢は、詳しい設定や真実を頭の片隅で理解しながら見ているので。
僕のなんとなくや勘には、そういったものも含まれてしまっていると思います。
ですが、詳しいことは書けません。あくまで僕視点ですから。僕が分かっていたらおかしい事もあります。どんなふうにアレコレが繋がっているのか、そこは読者さまのご想像にお任せします。