5話 汚名の勇者の要求
「ー!」
ライ・クオン!
苦悶や恐怖、困惑に動揺。様々な感情がアンリエッタの整った顔に浮かぶ。
大きく見開かれた目の中心で瞳が揺れ、大量の脂汗が頬を伝う。
忘れたくても忘れる事が出来ない男。苦痛を齎した男。穢らわしい異世界人。
アンリエッタの目線がそう言っている。
負の感情を隠そうとすらしないアンリエッタは苦痛と怨念の篭った目線をこちらに向け、歪めた口を微かに動かす。
「覚えててくれたか。嬉しいぜぇ」
声は無くとも口の動きで俺は名を呼ばれた事を感じ取れた。
ひとまずあの時の醜悪な顔がフィードバックしてムカついたので、アンリエッタの光り輝く長い髪を乱雑に掴みあげてみた。
只々乱雑に。乱暴に。力任せに女の命とも言われる髪を指に食い込ませ掴み上げる。
かつてはその横顔に目を奪われた事もあったが、今この顔を見ると怒りしか湧かない。見目麗しいはずのアンリエッタだが、今の俺にはまだ醜豚の雌の方が魅力的に見える。
本気でそう思うくらい、あの時此奴が浮かべた笑みは醜かった。
こういう場合の例に洩れずアンリエッタは国中の屑共から慈愛の女神だなんだと呼ばれているらしいが、そんな美女が苦痛の表情を浮かべても良心は全く痛まない。
むしろ清々しいくらいだ。
「日中に挨拶しようと思ってたんだが、お前が1人になるタイミングが無くてなぁ。挨拶が遅れちまったぜ。それにしても彼奴等も薄情だよなぁ? 折角仲間が久しぶりに会える機会が出来たってのによぉ」
髪を毟り取られる様な激痛に顔を歪め、言葉を奪われ、俺の声を聴く事しか出来ないでいるアンリエッタ。
何故この忌むべき者が此処にいる?
この忌むべき者は私の目の前で処刑された筈。
何故?なぜ?ナゼ?
苦痛に顔を歪めるアンリエッタは、何とか状況を理解しようと頭を働かせている様だ。
「お前は勇者。彼奴等は8英雄とか呼ばれてるんだってな。なのに式典に参加した8英雄がたった2人とか、お前人望無さすぎじゃねぇ?」
「ー!」
疑問がグルグルと脳内を巡っているのだろう中、俺の言葉を聞いたアンリエッタはギリっと奥歯を噛み締める。
【8英雄】
それは俺、アンリエッタと共に肩を並べ魔王軍やアスラゴードと戦った8人の英雄達。対魔王同盟に加盟した各国にその名を轟かせた者達を讃える名称。
ある者は更なる強さと強敵を求めて。
ある者は忠誠を誓う国の命令で。
ある者は神の神託を受け。
ある者は神の教えに身を捧げて。
ある者は正義感と滅私の精神から。
ある者は戦いを憎悪し終わらせる為に。
ある者は恨みを果たす為に。
ある者は己の利益の為に。
様々な思惑の元で集った8人。しかし8人の目的は一致していた。
魔王アスラゴートを殺す。
この目的の為に俺とアンリエッタは8英雄と共に戦った。共に背中を預け合い、共に同じ釜の飯を食んだ。
ナノニ……彼奴等ハ俺ヲ裏切ッタ。
俺は蘇った直後、磔にされていたあの場にかつての仲間が居たのを思い出していた。
ある者は恨みの目線を向け、ある者は汚物を見る様に。中には顔さえ向けない者も居た。
アンリエッタと同様あの8人も俺を裏切ったのか。彼等だけはアンリエッタと同じ様に信じていたのに。信頼していたのに。
彼奴等も絶対に許さない。
折角蘇ったのだ。あっさり殺してハイ終わりではすまさない。
苦しめ痛めつけて地獄を見せてやる。出来るだけ丁寧に、時間をかけて己の存在そのものを自己否定する様になるまで生かしながら、思いつく限りの苦痛を与えてやらねば……
踏みにじられた俺の心は癒える事はない。
そうしてこそ、俺の復讐は果たされるのだ。
だから復讐する前に生温い幸せを、反吐が出る様な平和を噛み締めているだろう彼奴等の面を拝んでやる。
俺はアンリエッタにある要求をすると共に、裏切り者達の顔を一目見ようとかつて己が処刑された地に足を運んでいた。
しかし……
「まぁでも当然か。所詮彼奴等はアスラゴードを倒す為に集まっただけだ。目的を果たす為に互いの力が必要だっただけ。利用するだけの関係だ。ならこんな面倒な式典に来る訳ねぇわな! あの2人は特殊だな。物好きな連中だ」
アンリエッタは例え言葉を発する事が出来たとしても反論する事が出来なかっただろう。
今日の式典に出席した8英雄は僅か2人。8英雄にも生活があった。魔王が現れるまでは其々の世界で其々の人生を歩いていた。
アスラゴードを倒すと言う目的を果たした以上、彼奴等が集う必要性も義理もなかった。
正直期待を裏切られた感もあるが、本来の目的のついでにと言った感じだから、この国に居ないのなら別にどうでもいい。どうせ近いうちに会えるのだから。
「と、そろそろ喋れる様にしてやるよ。『奪音』を解除してやる。騒ぐなよ? 騒いだら…… 」
「ー!!?」
「衛兵が駆け付けるまで徹底的に、殴って蹴って潰して折って引き裂いて、その綺麗な面が見る影もなくなるくらい壊してから殺してやる。分かったな?」
魔王討伐記念式典に参列した2人の英雄。参列しなかった6人の英雄の顔を思い出していたらしいアンリエッタの整った顔を殴りつける。
拳を震わせる微かな痛みを感じながらアンリエッタを見ると、鼻から垂れた液体が唇を濡らし、バルコニーに赤いシミを作っていた。
「ん〜? 返事がないなぁ? おいアンリエッタ。俺の言葉が理解出来てねぇのか〜?」
「ー!ー!!」
2度3度と硬く握り締められた拳がアンリエッタの顔や腹に容赦なく降り注ぐ。その度に顔や体に痣が出来、欠けた歯と血が口から飛び出る。
強烈な悪意、殺意、忿怒。その他全ての負の感情。それ等を拳に乗せアンリエッタを殴り続ける。
絶え間ない暴力の嵐。流石のアンリエッタもこの暴力の嵐は辛いらしく、笑みを向けながら拳を振る俺の手を掴み、騒がないから。と、意思表示する様に首を横に振った。
あっさり降参しやがって……面白くないがまぁ良い。
「……」
「あ…… 」
冷めた目を向け、血でドロドロになったアンリエッタを無表情で見下ろし、『奪音』の効果を切った。
「な、何故、何故此処に居るのです……」
「何故?何故ぇえ? バカかテメェ。復讐する為に決まってんだろ?」
鷲掴みにした髪を引き寄せ、心の底から湧き出る憎悪を言葉にしてアンリエッタに浴びせ掛ける。
何故そんな至極当然の事を聞くのか?
此奴はバカなのか?
侮蔑を隠そうとしない俺の言葉に、アンリエッタは顔を歪めたまま次の言葉を呟く。
「私に……私達に復讐しに来たのですね。殺すのでしょう。あの時の怨みが晴れる様な無残な方法で」
「ほう? 分かってんのにそんな眼ぇ出来るんだな。でも残念……本当に残念だが、俺はお前を殺せないんだよ」
「え……」
悲観的な言葉とは裏腹に、恨みや憎しみがこもった視線が俺を貫く。
痛めつけられ屈辱を与えられても尚溢れんばかりの敵意を向けれるのは腐っても勇者故か。
ともかくこの反応は良い。こうでなくては復讐のし甲斐がない。
だがまだ此奴は殺さない。
いや、殺せない。俺には此奴を殺せない理由があった。
俺の言葉はアンリエッタからしても予想だにしなかっただろう。
アンリエッタ自身も意識していた言葉。予想。
それが外れた事に、アンリエッタは驚きを隠せず間抜けな表情を浮かべていた。
「テメェは他の彼奴等と違い立場がある。国を動かせるだけの力がある。テメェを此処で痛め付けて嬲り殺すのは簡単だが、娘を殺された王は血眼になって俺を探すだろう。そんな面倒事は御免被る」
「ど、どう言う事ですか……」
「アンリエッタ、テメェを見逃してやる。心の底から憎いが、テメェと父は生かしといてやる。だから対価を払ってもらう」
「対価……」
思考が定まらないアンリエッタは、腫れあがった頬に手を置きながら俺の言葉を鸚鵡返しする。
対価。対等で価値のあるモノ。
私を恨んでいるこの男が復讐を堪えてまで容赦する対価…… この忌むべき者は何を望んでいる?
復讐を見逃してもらう為の対価には何が相応しい? 金? 財宝? それとも名誉の回復?
アンリエッタの顔からは、自身が思い付く限りの対価を思い浮かべているのが見て取れた。
「これから俺がする復讐を見逃せ。それが対価だ。テメェはアスラゴートに止めを刺した英雄とか言われて、各国に根強い発言権と存在感がある。その全てを使い、俺の復讐を見逃せ。8英雄の死に、俺の復讐に関わるな」
「そ、それが私を見逃す対価だと?」
またも想像だにしなかっただろう言葉。その言葉を聞いたアンリエッタの顔はそんな事でいいのか?と言っていた。
アンリエッタからすれば、8英雄はかつてアスラゴートを倒す為に協力し合った関係。目的を果たす為に利用し合う間柄。それなりの親しみと信頼は寄せていただろうが、己の命とは比べるまでもないだろう。
式典に顔すら出さないあの薄情者達の命を差し出し、この男の復讐を無視する事で助かるなら…… 警備の厳しい王都に忍び込んだ時点で、この男はいつでも私を殺せると宣言した様なモノ……
そんな相手に反抗するといった無謀な事をするのは得策ではない。そんな事をすれば当然ながら命が危ない。ならば元は他国の人間である8英雄を裏切る事なんてどうという事はない。自分の命を守る為ならば……一時とは言え穢らわしい異世界人の要求も飲むのも吝かではない。
出会った当初、打算で俺に取り合ったアンリエッタはあの時の様に打算しそう判断する筈。俺には確信があった。
「要件は伝えた。後は行動で示せ」
「わ、わかりました……」
「もしテメェが変な動きをしてるのが分かったら、テメェの大切な物を1つづつ壊して最後にテメェを殺す」
「で、ですが私が貴方の復讐を見逃しても、全ての復讐を終えれば貴方は私を殺しに来るのでしょう?」
「俺を信じろアンリエッタ。俺の復讐に首を突っ込まなければ、情けくらいはかけてやる」
予想通りの言葉。これで暫くアルギリア王国は静観を決め込むだろう。
内心でアンリエッタの言葉に満足しつつ、同時に俺はかつてアンリエッタを信じていた頃に向けた笑みを。力のない小さな笑みを意識して向ける。
こんなセリフを言うのは大変不快だったが、こうする事で当面の安全を確保でき、復讐の邪魔を防げるなら安いものだ。
「傷も治してやる。動くな。『その光は生命の灯火 その温もりは生者の熱 血潮は流れ生命を紡ぐ 繋げ 汝の命 癒しの加護』」
一方的に要求を伝え終え、保有魔力を『500』を消費し、治癒力と生命力を高め怪我を治すスキル『癒しの加護』の呪文を詠唱する。
本当は見た者が顔を背けるほど醜い顔にしてから帰りたかったが、怪我をさせたまま立ち去れば国王であるアンリエッタの父は何があったと問いただすだろう。
そうなればアンリエッタは俺が告げた要求の事を、目的を、復活を暴露する危険性があった。
それは今の俺からすると御免被る事態。
今最も避けるべき事は、万全の準備が整う前に国家から戦争を挑まれる事。かつて共に戦った者達が再び自分という第2の魔王を倒す為に結託する事。
魔王アスラゴートという人類共通の敵が消えた事で、この世界はアスラゴートが現れる前の状態に戻った。同盟軍と同盟は解散し、人類存続の為に手を取り合った国々は、戦争までには至っていないが其々が属する国家の利益を求め再び睨み合いを再開させている。
そんな中でまた第2の魔王を倒す為に結託されては、以下に神にも勝る魔力を持つ俺でも骨を折る事は間違いない。
故に俺は、己が真っ先に復讐を誓った人々…… 8英雄やアンリエッタ、アルギリア国王の中で、国を動かす力を持つアルギリア国王と、人類の英雄であり国を問わず全人類から絶大な支持を受ける勇者アンリエッタを一旦復讐の候補から外した。
そもそもアンリエッタとのこのやり取りもリスキーな行動なのだ。これ以上調子に乗って粗相を働けば、アルギリア国王や此奴を慕う市民達が怒り狂って『勇者に無礼を働いた者を探し出して引っ捕らえろ!」などと言いだしかねない。
それだけは面倒なので避けたかった。
しかし復讐は止めない。止める事などあり得ない。
アンリエッタに突き付けた要求は、最も憎く最も扱いに困るお前を暫く生かしておいてやる代わりに大人しく傍観していろという要求。
誰にも邪魔をされる事なく復讐する為に考えついた作戦だった。
最も、心の底から憎悪し恨むアンリエッタに会って多少でも良いから鬱憤を晴らしたいという理由もあり、俺はこの地へ足を運んだ訳だが。
「そういう訳だ。誰にもこの事を話すな。8英雄にも父にもだ。この約束とさっきの要求さえ守ってくれれば、俺はお前を生かしておいてやる」
アンリエッタの身体中に出来た痣が、欠けた歯が、『癒しの加護』の効果でみるみる内に治っていく。その効果は表面的な傷だけでなく、内臓といった体の内部の傷までも治していく。
「最後に…… アンリエッタ。何でお前は……お前等は俺を裏切った。いつから裏切ってた。何故俺を殺した」
そしてアンリエッタの傷が全て無くなったのを確かめた俺は、あの日の事を、あの日の出来事の真意を聞いた。
俺は聞きたかったのだ。あの瞬間から。ずっと。
何時から裏切られていたのか。何故殺されるに至ったのか。
復讐の対象をより明確に認識する為に。一片の慈悲もなく殺す為に。
「……あは!あはは!」
「何が可笑しい」
だが俺の予想に反し、アンリエッタから出たモノは笑い声だった。
「おめでたい人ですね、私達を最初から仲間だと思っていたなんて! 裏切る? バカ言わないでくださる? 私は、私達は、貴方と初めて会ったあの日から貴方を仲間だと思った事は1度もありませんよ! 思い上がらないでください、 穢らわしい異世界人の分際で!」
心の底から滑稽だという様に、アンリエッタは醜く顔を歪めながら此方を見つめる。
彼女から出るこの文字の羅列こそ、彼女の素の言葉なのだろう。本心なのだろう。
裏切るという言葉は、互いを仲間だと認識している者が居て初めて意味を持つ。
アンリエッタや彼奴等は初めから俺を仲間だとすら思っていなかった。
つまり、俺へのあの行為は、此奴等からすれば【裏切り】ですらなかったのだ。
あぁ、反吐が出そうだ。
「……俺をよく気遣っていたのは……あの時俺を助けたのは…… 俺の協力を、信頼を得る為か! 俺にアスラゴートを殺させる為に!」
「当然です! そうでなければ、誰が異世界人如きに気を遣いますか!誰が異世界人如きを助けますか!あぁ穢らわしい……私達と同じ姿、同じ言葉を口にする動物が別の世界に存在するなんて……寒気がしますわ!」
救われたとすら思っていたアンリエッタの存在。言葉。行動。それが全て仕組まれたモノだったのだと、本人の口から発せられる。
こんな女狐にあっさり懐柔されてしまった過去の己を全力でぶん殴りたい衝動に駆られる。が、過去は過去。2度とやり直す事は出来ない。
だから今度は失敗しないようにしなければ。
「彼奴等もそうなんだな…… 初めから俺を仲間だと思ってなかったんだな」
「ふっ、そうですよ。誰も貴方を仲間だなんて思ってませんでしたし、誰も彼もが貴方を嫌悪し危険視し妬み嫉み、殺す事を二つ返事で了承しましたよ!むしろ2人程貴方を殺すのは自分にやらせて欲しいと息巻いていた人も居たくらいです!」
「……何で俺はそこまで恨まれなくちゃならねぇんだよ」
「愚問!貴方の存在は穢れ其の物で、崇高な神の末裔で有る私達への侮辱に他なりませんからねぇ!それに私があの地獄の日々を過ごす羽目になったのは貴方の所為ですから!」
「そうか…… 俺は殺されるべくして殺されたって訳か……」
「えぇ、この世界に穢らわしい異世界人は必要ありません。アスラゴートという穢れが消えれば、異世界人という穢れた貴方は死んで然るべきです!」
喚くアンリエッタを他所に、俺は血が滴る程強く拳を握り締めて暗黒の空を見上げた。
あぁ、スッキリした。ありがとうアンリエッタ。ありがとう。
紛う事なきクズでいてくれて。
あの時感じた憶測が真実だと証明してくれて。
これで良い。何故アンリエッタが異世界人である俺をこれ程まで嫌悪しているのかまでは知らないが、これで心置きなく復讐する事が出来る。
表面上では親しく優しく接し、内心では俺を嫌悪し危険視し妬み嫉んでいたゴミ共を躊躇いなく殺せる。
「ありがとうアンリエッタ。もう喋るな。殺しちまいそうになる」
「な、何を!?」
「眠れ」
望んでいた言葉をアンリエッタの口から聞く事が出来た俺は、事前に用意しておいた布をアンリエッタの鼻と口に当てた。
獣から採取し、布に染み込ませた睡眠液が気化し肉体的、精神的苦痛で疲労して抵抗力の弱まっているアンリエッタの体内に侵入。猛烈な睡魔となって意識を奪う。
ガックリと項垂れ、意識を手放したアンリエッタ。だだの肉の塊となったアンリエッタを無表情で抱き抱え、天蓋付きの大きなベッドに寝かせた。
「……安心しろアンリエッタ。お前と父は暫く生かしておいてやる。彼奴等への復讐が済むまで。お前を殺すのは今じゃねぇ。8英雄への復讐が終わるまで生かしておいてやる」
安らかに寝息を立てるアンリエッタに心の底から呪詛の言葉を送る。
次に会う時はお前を殺す時だと、その瞳に怨敵を焼き付ける様に見つめながら。
「それまで精々怯えて生きろ。そして俺と同じ様に信じた言葉に騙されて死ね。信じ縋った俺の約束に裏切られて死ね。心を殺されて死ね。絶望に染まりながら死ね。復讐すら思い浮かばない様な闇に沈んで死ね。己の無力を恨みながら死ね。俺に殺されるまで生き続けて、そして死ね」
俺はアンリエッタを許す気も、見逃す気も毛頭無かった。
アンリエッタに恋心さえ感じていた過去の自分に吐き気さえ催していた。
アンリエッタやアルギリア国王を生かしておく理由は、復讐をより行い易くする為。部外者や新たな指導者が復讐に余計な茶々を入れない様にする為。勇者アンリエッタが居る国、アルギリア国王が大々的に動くのを防ぐ為。人類や8英雄が結束する事態を防ぐ為。
それ以上でもそれ以下でもない。
アンリエッタや8英雄達にやられた様に、アンリエッタは全ての復讐を……目的を果たし終えた後に殺す。無残に残酷に悲惨に悪趣味に無情に。見た者が目を背けたくなる様な手法を駆使して延命して惨たらしく殺す。
「アンリエッタはメインディッシュ。最後の復讐を飾る大事な存在…… だから先ずは食前酒だな。まぁその前に悪戯でもしていこうか」
バルコニーに出た俺は最初の標的を決めた。
そして『空脚』の呪文を詠唱し、空へと駆け上がった。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼
「あ、アンリエッタ様!アンリエッタ様!」
「んっ…… シグレット? 」
大きく柔らかなベッドの上で、アンリエッタは体を揺さぶられる感覚に目を開ける。
数週間ぶりに深い眠りに就く事が出来たアンリエッタは普段よりもスッキリした頭で周囲を見渡す。すると血相を変えたシグレットが自身の肩を揺すっている事に気付いた。
「おはようございますシグレット。何かあったのですか?」
「お、おはようございますアンリエッタ様。起床早々で申し訳ございません! こ、此方にいらして下さい!」
シグレットの尋常ならざる焦り方にアンリエッタは眉間に皺を寄せる。
何かあったのだろうか?
いや、それよりも何か悍ましい夢を…… 禍々しい何かを見たような気がしてならない……
シグレットの差し出す手を取り、就寝着姿のアンリエッタはベッドから立ち上がる。アンリエッタは、悍ましい夢を見ていた様な気がした。しかし夢の内容が思い出せない。だが、その忘れてる何かと、シグレットが焦る原因が繋がっている様な気がした。
「あ、アレを……」
「アレ?……なっ!?」
シグレットに促されバルコニーに出たアンリエッタ。
眼下には視界いっぱいに広がるアルギリア国王が朝日を浴び燦々と輝いていた。
そんな王都の方を指差し、怯えた表情を見せるシグレット。
アンリエッタはその指の先に目線を向ける。
国王や王女達、その他王族や側仕え達が住まう王城の庭とその城壁。民達が住まう民家。魔王討伐記念の記念碑が聳える広場…… 別段変わった所はない様に見えるが、アンリエッタはその中の1つ、記念碑に目を奪われた。
それと同時に、忘れていた何かを思い出した。
「記念碑が真っ赤に!」
アンリエッタは前日の披露会に参列した際に見た純白の記念碑が、まるで血で彩られた様に赤黒い液体で塗り替えられている事に気がついた。
あの忌むべき者の仕業だ!
昨日の出来事は夢ではなかった!
真っ赤に染まり悍ましく姿を変えた記念碑を目に焼き付けながら、アンリエッタは昨日の出来事が夢ではなく現実だった事を思い知る。
血行のよいアンリエッタの秀麗な顔から血の気が引いた。
おのれぇぇえ……!ライ・クオンんんん!!忌々しい異世界人風情で私にあの様な屈辱をぉぉおお!!
そして、アンリエッタの心の奥底に、怒りという名の灼熱の炎が燃え広がった。