じいちゃんとばあちゃんのふーふ愛
佐賀にいるじいちゃんは元気いっぱいの七十七歳。しかし、酔うといつも「おれが寝たきりになったら、延命はしないと。十分幸せやったけんね」などと言って、家族や親戚を変な雰囲気にしてしまう。そういうとき、「はいはい」とあしらうことができるのは、ばあちゃんだけだ。笑いながら言っていても冗談ではないと分かるから、母も母の弟夫婦もその子供たちも、何も言わずに苦笑いする。
ばあちゃん家は実家の隣町にあって、第二の家、とも呼んでいた。両親は離婚しており、母が残業で夜遅くなるときによくお泊りしたのだった。
お泊りをする時は、一度学校から家へ帰って、着替えの用意をし、じいちゃんに車で迎えに来てもらう。当時の私はわがまま放題で、じいちゃんが迎えに来る二十分の間に据え置きのゲームを始め、「セーブができるまで」と長い時間待たせてしまうことがよくあった。
就職するために東京へ来て五年が経つ。最近、こういう子どもの頃の恥ずかしい話を思い出しては、ついでに耳の奥で、じいちゃんとばあちゃんの声がよく聞こえてくるのだ。「ばあちゃんたちは生い先短いけんねえ」とか「孫の結婚式くらいは見て死にたかあ」とか。もう十年以上も前から言い続けていることで、当時の私が真剣に聞いたことは一度もないのだけれど。
生きているうちに、後悔しないように、という話はよく聞く。何ができるのかとぼんやり考えることはあるものの、考えるだけで終わってしまう、そんなある日のことだった。
『じいちゃんのことで、さきにお願いが。電話出来たら母にかけて』
休憩時間にメールをチェックすると、母からのメッセージが入っていた。
連絡をとるのは半年ぶりだろうか。含みのある文面に、何か大変なことがあったのかと体が固まる。じいちゃん、大腸がんの手術したことあるしな、と頭が勝手に回りだした。夜にお腹が痛くて病院へ行ったなんてこともあったっけ。
ぐんぐん膨れる悪い想像を放っておけず、短い休憩時間だったが、すぐに母の番号を呼び出し通話ボタンを押した。
「もしもし」
「あぁ、さき? ごめんね、電話してもろうて」
「よかよ。どうしたと?」
三コールもしないうちに出た母の声は心なしか暗い。それは、これから悪い知らせをするためなのか、向こうも職場だから声を落としているだけなのか。
「うん、それがさ、さきにお願いがあって、じいちゃんに言って欲しかことのあるとよ。最近、じいちゃんも年老いてきたせいか、ばあちゃんの何か言うたびに返事がぞんざいになっとっとよね。横暴というか。昔っからそんな感じやったけど、最近特に酷いんだって。それで、瞳さんが一回キレて、『そんな酷か返事しとったらばあちゃんが可哀相やろ』て言ったらしかとけど、適当に流して言うこときかんらしか」
瞳お姉ちゃんは、じいちゃん、ばあちゃんと同居している叔母さんだ。声を潜めていたのは、恥ずかしい話を人に聞かれたくないからということだったようだ。
脱力するのと同時に、ふと田舎の風景が呼び覚まされた。佐賀平野の遠くまで続く田園風景。清潔好きな母の車の中。芳香剤の匂い。信号待ちになっても、私がどれだけ適当な相槌を打っても、続けられる親戚や同僚の悪口。
「それに、具合悪かて言うくせに病院行かんとよ。大腸がんも再発することのあるて聞くし。もっと命ば大事にして、ばあちゃんにももっと優しくしてやってって、さきから言ってくれるかなって思ってさ。『じいちゃんには私の結婚式に呼びたかって思ってるけん、命を大事にしないといかんよ』みたいなさ。娘の言うことより孫の言うことの方がじいちゃんよう聞くけん」
母はあれもこれも、とじいちゃんの非を並べ立てる。命の大切さ。自分たちの非力さ。事態は重いがどうもできない。孫の言うことなら聞くから。
勝手な話だ。確かに同棲している恋人とは付き合って三年以上になるが、はっきり婚約しているわけではないのだ。式をするなら呼びたいし、困っているなら力になりたいけど、これだけはない。
「急に電話して、そんな説教みたいなこと言えないよ。じいちゃんとばあちゃんで東京遊びに来てくれたら、話聞くくらいはできるかもしれんけど」
「遊びに来てって前にも言ってたねえ。まあ、とにかく、電話してやってよ。さきの言うことならじいちゃんも聞くけんさ。瞳さんも困ってるとよ。結婚式に呼びたいけん、って、そう言ったらよかけん」
母の中ではもうこの手しかないと思っているようだ。このまま話していたら、何度「結婚式に」というセリフを聞かされることか。とにかく、どういう話になるかはわからないけど電話はしてみる、と言って話を終わらせにかかる。
じいちゃんもばあちゃんも結婚式に招待したいけん、って言ったらよかけんが。と、母はやっぱり、最後にもう一度言った。
はいはい、とあしらってようやく切ると、なんか笑えてくるような、ため息が出てくるような、変な気持ちになった。
ふと、「婚約もしていないのに結婚式の話はやめてくれ」と言わなかったことに気付いた。無意識に諦めていたのだ。母親には私のこのむずむずとした違和感など分かってはくれない、と。
やるせない思いでいると、メールで母からの追加注文がきた。
『瞳さんに聞いたとは言わないで、ばあちゃんから頼まれたってことにした方がいいかな』
私にも子供ができたら、あなたからおばあちゃんを説得して、とお願いしたくなっちゃうだろうか。
「結婚式に招待したいけん」と言う以外にいい方法が思いつかないまま、仕事が終わり帰宅した。
それに、我儘をたくさんきいてくれていたじいちゃんに、面倒臭い子どもだった私が説教などできるはずはないのだ。
じいちゃんとばあちゃんの愛情を本当の意味で理解できたのは、社会人がどういうものなのかを知って、今の恋人と付き合うようになってからだ。仕事帰りに相手が喜ぶかなとお土産を買う。帰宅が遅いと胸が締め付けられるような不安に襲われる。一緒にいたい。いなくなるのが怖い。役に立ちたい。そうやって自分以外のことを大切に思えて初めて、してくれたことがどれだけ有難いことだったか気づけたのだ。
部活の送り迎えをしてくれているときも、じいちゃんから話しかけてくれたのを「寝たいから」の一言でぶった切ったり、ゲームで遊んでいて長い間待たせたり。そのときの感謝も伝えられていないのに、一年に一回しか顔を合わせないじいちゃんに、いきなり「ばあちゃんのことをもっと大事にしろ」なんて。
だけど、あまり長い間悩みたくない。面倒なことはすぐにやっつけてしまいたくて、どうにでもなれ、と電話をかけてみた。
じいちゃんとばあちゃんは、二人で一つの携帯を使っている。そこにかけると、出るのはもっぱらばあちゃんで、この日もばあちゃんが出た。
「もしもし?」
「もしもし。さきちゃあん、どうしたの」
ばあちゃんは電話をするとき、二オクターブくらい声の調子が上がる。孫たちはよくばあちゃんの「もしもし」を真似したものだ。もしもし? と上がりながら問いかけるのではなくて、「も」を強調しつつ高めにして、合言葉みたいに言うのがコツだ。
私が電話をするととても嬉しそうにしてくれる。そのことに気付いたのも、最近だ。
「あー、今じいちゃんおる?」
「なんね、じいちゃんと話したくなった?」
私はいつも、荷物を送ったとか、届いたよありがとうとか、今度帰省するねとか、用事のあるときにしか電話しない。しかもその用事たちはいつもばあちゃんに伝えれば済んでしまうことなので、これまでわざわざじいちゃんを呼び出すことがなかったのだ。ばあちゃんはなんだか可笑しそうに、でも嬉しそうに聞いてきた。
「あ、じいちゃんもう寝たよ」
「あら、もう寝たの?」
「じいちゃんいつも八時には寝るけんね。もう九時やろ? もうちょっと早かったら、起きとったけど」
「ああ、そういえばそうやったね……」
じいちゃんは八時ごろには寝て、朝は三時ごろに起きる。すっかり忘れていた。
一瞬、沈黙する。ちょっと気まずくて、私は反射的にばあちゃんに話してしまっていた。
「実はね、お母さんの差し金なわけ」
「えぇ?」
「最近じいちゃんがちゃんと病院行かなかったり、ばあちゃんに対して横暴だから、一言いうてって母から言われたとよ」
「じいちゃんこないだ検査行ったよ?」
「あ、そうなの?」
「うん」
「母が言いよったよ? それにじいちゃんの最近横暴だから、瞳お姉ちゃんの一回キレたとって?」
ばあちゃんはまた、えぇ? と驚いていたが、すぐに高い声であっはっはっはっは、と笑い出した。
「瞳さんも気が強いけんねえ。でも、ぜん、ぜん大丈夫よ? じいちゃんも老人だから、横暴にもなるけど、私はぜんっ、ぜん気にしてないから」
ばあちゃんは爆笑しながら、全然、と繰り返す。本当に何とも思っていなさそうだった。そういえばばあちゃんはそんな人だった。
「じいちゃんがごちゃごちゃ言い出しても、はいはーいて言ってどっかに行くけん、なーんとも思っとらんよ。もう、はいはい、って感じ。五十年も一緒にいるけんね、なーんとも思っとらん」
ばあちゃんの言葉を聞いて、何となく泣きそうになる。
小学生のとき、ばあちゃんは私にこんな話をしてくれた。地域の集まりで近所の人たちと一緒にカレーを作るとき、あの人はこの具を入れたいとか、この人はこんな味にしたいとか、そういうことを言い争っているそばで、一人でぱっぱっぱーと自分家の味のカレーを作ってしまうんだ、と。
「だから、集まりに行ったら、うちの味のカレーが出てくるとよ。あーだこーだ言いよるとのめんどくさかけんね」
それも愉快そうに話していたっけ。言い争いに加わることが面倒で、相手が感情的になっているのを巧みに避ける。それで誰の味方をすることもなく一人でちゃっちゃと解決してしまう、というのがばあちゃんだった。しばらく会っていないうちに忘れていた。なーんだ、そうだよね、そうだよね、うんうん、と納得する。
「いやあ、ばあちゃんはそうだよね。なんも心配要らんやった。母がものすごく深刻そうにしとったけんね。母の差し金でしたとさ」
ばあちゃんはまだ爆笑している。
「あっはっはっはっは。でも、わざわざ心配してかけてくれてありがとねえ。そっちはカレシと仲良ししとーね?」
「うん、仲良しよ」
「結婚しないと?」
「まあ、するて思うけど、プロポーズして欲しかけん、待っとーと」
語尾にハートマークを付けて言ったら、ばあちゃんは笑って、
「そりゃ、言わせなきゃいけんよなあ。言うて欲しかもんねえ」
「そーなのよ」
その後少しだけ雑談して、もう一度電話してくれてありがとうねと言われ、通話を終えた。
そうだったそうだった、しばらく会っていないじいちゃんとばあちゃんの忘れていた一面が懐かしい。余韻に顔をにやけさせながら、今度はじいちゃんの起きている時間に電話しよう、と思った。
夜、布団に入ってから、今日の出来事を恋人のふみに報告した。
ピ、というリモコンの音で部屋の中が真っ暗になる。スマホもテレビも邪魔しない、完全に二人の世界。
母の困ったお願いを、ふみは笑いながら聞いてくれていた。普段の会話で登場人物のことをよくわきまえているふみは、あっけらかんとしていたばあちゃんとのやりとりを流石、と評する。
「さきのばあちゃんは面白いもんね。暇になったら首絞めてくるとかさ」
「うん」
そういうエピソードは山のようにある。夕飯後に観ていたテレビ番組がCMに入ると、全力でこちょこちょしてきたり、首を絞めてきたり。百五十センチのばあちゃんが、ろくじゅっきろ、と豪語する体にのしかかられると脱出するのは不可能だった。
それから、もっと小さい時のこと。私が泣き喚くと、ばあちゃんは大きく開いた私の口を掌でぽんぽんと叩いた。扇風機に向かって声を出した時みたいに泣き声が途切れて、周りの大人は笑ってしまう。こっちは必死に訴えているのに、たまったもんじゃなかった。
「さきはじいちゃんとばあちゃん大好きだもんね」
「うん」
大好き、と言ったことはなかったけれど、それが伝わっているのがこそばゆくて嬉しかった。
「あのさ、もし、私がふみより先に死ぬとしたらさ」
ふと思い至ったことを切り出したはいいが、死という言葉に心が揺れる。その先を言うのに少し勇気が必要だった。
「その瞬間にふみが立ち会ってくれるとしたら、ベッドの側にいて手を握ってくれるんじゃなくて、一緒にこうやって布団の中に入って、ぎゅっとされながら、逝きたいなあ」
ほらやっぱり。声がだんだん湿っていく。一人で勝手に感傷的になって、格好悪い。
「もう、そんなこと言わんと!」
私の佐賀弁を真似てたしなめるふみの声も、湿っていた。
「へへへ、泣いとるー」
暗闇に慣れた目でふみの涙をぬぐいながら、ごめんとありがとうを言った。嫌なこと想像させてごめん。泣いてくれてありがとう。
「でも、そっちの方が良いって思ったでしょ?」
「まあね」
ぐすぐすしながら、ふみは私の言うことに共感してくれた。こういうことは伝えておかないと叶わないから、絶対そうしてね、と念を押す。
じいちゃんとばあちゃんも、若い時にこんな話をしただろうか。寝たきりになったら、と笑いながらも主張するじいちゃんの気持ちが分かった気がした。
それからどっちが先に、という話で揉めて、一緒がいいね、ということになった。ふみが先に逝ってしまったら、私はきっと一人で生きるのに耐えられない。
一人になったら追いかけちゃうかも。割と本気で言うと、この話は終わり、という強めの宣言。
「ゆっくりゆっくり、お休み」
耳に触れながら声をかけると、半分寝ているようなくぐもった返事がくる。私はふみの胸の中に潜り込んで、その温かさに安心しながら眠りについた。
次の日、またじいちゃんとばあちゃんの携帯に電話した。午後六時頃だ。
「はあい、もしもし」
出たのはいつも通りばあちゃんだ。私は心の中でばあちゃんの「もしもし」を繰り返す。
「じいちゃんおる?」
「ああ、じいちゃん? ちょっと待ってね」
おーうい、じいちゃあん? ばあちゃんは電話の相手以外と話すときも通話口を塞がない。私が知っている中で留守電に毎回独り言が入っているのはばあちゃんだけだ。
お掛けになった電話は、と言われると焦ってしまう気持ち、ばあちゃんはきっと分からないだろうな。
あら、おらん? と声が聞こえる。今更ながら少し緊張してきた。
「ちょっと待ってね、じいちゃん行方不明やけん」
「うん」
しばらくして、じいちゃんを見つけたらしい。心臓がばくばくと頭を揺らす。ちゃんと話せるだろうか。ばあちゃんが、携帯を手渡す気配。はいじいちゃん、さき。なんやろかね。
「おうっ、さき?」
「さきだよ」
「どがんした?」
「いやね、なんとなくね」
「なんとなくか」
笑いながら言うじいちゃん。とっても優しい声。緊張が一気に霧散して、なんか泣きそうになった。じいちゃんってこんなに優しい話し方する人だったっけ。
「こないだばあちゃんに、東京遊び来てって言っとったけど、じいちゃんにも念押ししとこうと思ってさ」
「ああー、最近忙しいけんねえ」
「来年の春なら良かよってばあちゃん言いよった」
「春なら多分空いとるよ。一応、すけじゅーるに入れとくたい」
スケジュール、っていうのがなんか気恥ずかしかったのか、ちょっとふざけてるじいちゃん。
あのね、親戚のおばちゃんから聞いたんだけどね、じいちゃんとばあちゃん、よく二人でしてた旅行、これが最後かなって言いながら観光してたのをね、実は知ってるんだよ。じいちゃんとばあちゃんには言わないけど、私はそれを覆したいと思っている。
じいちゃんは東京に来てほしいという私の話を本気に受け取ってくれているだろうか。じいちゃんは話を変えた。恥ずかしいからなのか、分からない。春が近づいたら少し強引にでも計画を立てようと心に決める。
「最近ばあちゃんの、サッカーにはまっとるとよ」
「サッカー? 吉晴おじちゃんと一緒に?」
吉晴おじちゃんはばあちゃんの弟で、大のサッカーファンだ。サッカーのボランティア活動もしている。その吉晴おじちゃんと一緒に地元のスタジアムで観戦しているらしい。
「そーそ。チケットを貰ったとって」
「よかやん。じいちゃんも一緒に行ったら?」
「じいちゃんはね、お家でお留守番しとっと。サッカーは勝ち負けがあんまり動かんけん、見てても面白くないの」
面白くない、と言いながらなんだか楽しそうなじいちゃん。
じいちゃんはよく野球を観ていた。孫たちがアニメのDVDを観るのに茶の間のテレビを独占しているので、いつも座敷に寝ころんで観ていた。
右ひじをついて寝ころんでいるじいちゃんが浮かぶ。たまに座敷へ行って「おろ、来たとか」と掛けられた声は、知らなかっただけで、こんなに優しかったのかもしれない。
さらにその座敷のテレビでゲームをさせてくれと言ったら、顔より小さなテレビのある寝床に移動してくれた。
うちは女が強いから、といつも譲ってくれていたけれど、そういうことじゃないと今なら分かる。どうしようもなく孫に甘いのだ。きっと、サッカーも買い物も、付いてきて、とねだったら付いてきてくれるのだろう。
「そうなの? あ、じいちゃんってさ、今外におると?」
「うん、外。なんで?」
「ばあちゃんのこと今も好き?」
「ん、好き」
即答だった。照れながら「好きくさ」、って答えるのかと思っていたから、つい、聞き返してしまった。
「そうなの?」
「うん、好き」
またも即答。なんやこっちが焦るわ。
「そしたら、先に死んだらいかんね」
「いやあ、五十年も一緒におるけんね、ばあちゃんが先に死んだら、おいは何も出来ん」
「あはは、そうなん? でも、ダメさあ。好きなら先に死んだらいけんよ」
「んん。ふふふ」
やっと恥ずかしそうに笑うじいちゃん。
「五十年も一緒におるけどね、相変わらず好いとーよ。たまに夫婦喧嘩するけどね」
「夫婦喧嘩してたの?」
私は自分がくすぐったくなって笑いながら訊いた。夫婦だって。じいちゃんとばあちゃんの「夫婦」って、いつもふざけたようにしか言わないから、「ふーふ」、って感じだったけど、今日は夫婦だ。夫婦。泣きそう。
「そ。たまーにね」
「そっか」
母よ。先に死んだらだめだと、伝えたぞ。
じいちゃんとばあちゃんの夫婦の姿が、初めて、自分たちと重なった。
私が涙をこらえている間の短い沈黙に、「だからなーんも心配いらん」と言ったのは、私がばあちゃんに話したことを知っていたからだろうか。
「東京遊びに来てよね」とこれが結論であるかのように私は話を締めた。またね、と電話を切ろうとするじいちゃんに、ばあちゃんに代わって、と頼む。そして家の中に入る気配。ばあちゃん、さき。と携帯が手渡される。
じいちゃんはこれから犬の散歩に行くそうだから、聞かれる心配がなくていい。
「はぁい、もしもし。なんやった?」
「あのね、あのね、じいちゃんね、ばあちゃんのこと好きだって!」
ばらすと、ばあちゃんは知っている、というようにこう言った。
「あらあ。そら、本人に言わんばわからんよ、て言うとって」
ふざけたようにいうばあちゃん。気遣いだってばれてるんだろうな。まあでも、いいんだ。
「愛されてます」
ばあちゃんは言った。ああもう、バレバレの気遣いで私の方が幸せをもらっちゃっている。私は涙をこらえた。
「最近ばあちゃんね、チケットば貰うてから、サッカー観に行きよっとよ」
同じ話題だし。再来週も観戦に行く話を聞いて、電話を切った。
最後にはやっぱりありがとうね、と言われてしまう。
そうか、私、少し恩返しできただろうか。
死を見据えながら生きている二人に、私は寿命の気配を感じて泣いている。七十七歳になったじいちゃんは来年、ひいじいちゃんが亡くなった歳になるそうだ。旅行はこれで最後だとか、おなかが痛くなって病院に行ったと聞くと、現実味のない現実の抗えなさにもやもやとした気持ちになる。
ただ、若い私でも今から思う。そのときはみんなで幸せをかみしめるような瞬間でありたい。そのために、素敵な思い出をできるだけたくさん作りたいと。
じいちゃんとばあちゃんが東京に来たら、うんともてなしてあげよう。
そろそろふみが職場を出る頃だ。しばらく泣いてから、私はふみに電話をかけた。
お読みいただきありがとうございました。