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第9話 心中立て

第9話 心中立て


「しっかしいーさんはまこち口が立ちよっとね」


城へ戻り、ナイフ様に報告を済ませて帰宅すると、又七郎が言った。


「当たり前だ、それが俺の仕事だったからだ」


やくざは口が立たねば務まらない。

今どきは法規制が厳しくなり、抗争など行えばすぐに警察が動くので、

いっそう外交などの交渉に重きを置くようになっていた。

それも大手の幹部以上ならば、なおさらの事だ。


「普段は必要最小限しか喋らん、無愛想ないーさんがなあ…びっくいじゃっど。

内でんこん又七郎に、甘か愛ん言葉ば囁いてくいたら嬉しかちゅうとに」


又七郎は濡れた身体のまま、俺の背中に被さった。

彼の身体から雨が匂った。

…口が立つのは又七郎、お前の方だ。

よくもそんなぺらぺらと愛の言葉が出て来るものだ、まったくもって感心する。

お前はそうやって男をこましてきたのか。

愛の大安売りだな、又七郎。


愛は売り買いするものではない?

貴様らなら選ばれし正義の勇者ぶって、魔法の剣を片手にそう言うか。

そんな事はない、愛こそ取り引きし売買するものだ。

そして愛ほど儲かる商品はない、俺はそうやって生きて来た。

必要とあらば男とでも女とでも寝る、俺の愛は商品。


しかし又七郎にはまいった。

俺を救ってくれた恩人だから耐えもするが、このうるささはどうしたものか。

愛に応えて抱いたら抱いたで、尻尾を振って一層きゃんきゃんとうるさいだろう。

かと言って突き放しても、俺を求めてきゅうきゅうと切なく鳴き続けるだろう。


「…いーさんは良か匂いがすっとね、おなごんごた優しか匂いがすっと。

いつでん熱があっから肌が熱ちか…おいも熱ちかなっとよ。

いーさんはおいが心ん火狐、抱いてくいやんせ。抱きっせえおいが心ば燃やしてくいやんせ…」

「俺はお前を抱く気はない」

「なして? いーさん…!」


俺は振り返って、又七郎の顔を見た。

目が濡れている。


「お前を抱いたら何か終わってしまう気がする」

「いーさん…」

「俺の家臣はお前しかいない、だからお前とは寝ない。

他の誰を抱いて寝ても、又七郎お前だけは…お前だけは一生抱かない」


又七郎はいつだって愛を素直にぶつけて来る。

このままでは俺もいつかそれに負けてしまうだろう。

でもそれはたったひとりの家臣を失う事に他ならない。

俺は台所から包丁と金づち持ち出した。

そして床に敷いた紙に左手を広げて置き、小指と薬指の先をまとめて骨ごと叩き斬った。

痛い事は痛い、だがこれが最善か…。


「食え」


俺は血に塗れた指の切れ端をつまんで、又七郎に差し出した。


「いーさん…!」

「俺はこの指に誓う…上司として部下の又七郎に心を尽くし、命を懸けて一生守ると」

「いーさん、指が…おいがためん…」


又七郎は涙をぼろぼろとこぼして、小さな子供のように泣きじゃくった。


「口を開けろ」


俺は涙を流しながら開く、又七郎の口に切断した指を落とした。

又七郎はそれを長い事噛み締めて食べ、骨も飲み込んでしまった。


「…いーさん、おいも誓う」


又七郎は涙を振り切ると袴を脱いで小袖をまくり、中のふんどしも外した。

そうして俺の脇差しを取って、性器を全て斬り取ってしまった。


「ちょっ…又七郎!」

「食うてくいや、いーさん。おいはいーさんだけ、一生いーさんだけじゃっどね…!

いーさん以外誰も要らん、おいが一生はいーさんだけじゃっど!」

「又七郎…」


俺は又七郎に差し出された彼の性器を受け取り、それを食べた。

血の味しかしなかった。

でもそれが又七郎の味だった。



「いーさんに又七郎殿、そなたたちは馬鹿か…」


手当てを受けている側で、ナイフ様が呆れて苦笑していた。


「ナイフさあ、おいたち吉富家はナイフさあに一層ん忠義ば立てっと、

二人で誓い合うちょったとね。…な、いーさん」

「又七郎の申す通りにございます、私と又七郎の吉富家は結束を高め、

更なる働きが出来るよう、固めを行いましたまで」


俺たちはきりりとした顔でナイフ様に事情を説明した。


「しかし又七郎殿の誓いは壮絶じゃのう…おなごになるとでも申すか」

「おいはおなごでんちいとも構わん、いーさんが嫁じょんなれっとなら」

「そのような男らしい嫁などどこにおる」

「あ、そうじゃナイフさあ。いーさんわっぜ口回っと、知っちょっとか?」


又七郎は治療に顔を歪めながら言った。


「火狐の兵たちもそう申しておった、敵中にありながらも冷静を保ち、

一歩も引く事なくやんわりと挨拶の言葉を述べたと…しかもきっちり脅して帰るとはな」

「あそこで我らが引くと島津はつけ上がりまする。やんわりと、事を荒立てずに、

でも自分の要求はきちんと通すのは大事な事にござります…」


俺はナイフ様に申し、強調した。


「井上の家でもそうしておったのか」

「はい、井上の家の交渉事はもっと複雑にございましたが、

その中核は今申し上げた事に同じ、譲歩して折り合いをつける事ではなく、

いかにして自分の要求を全て通すかにございます」

「井上の交渉か…きっと見事なのだろうね」

「それが井上の仕事にございますから…ところでナイフ様」


俺はふと島津の屋敷での事を思い出した。


「どうやら城の外では『いーさん』よりも、『直政』の方が笑われるようにございます」


ナイフ様は俺の言葉に腹を抱えて大笑いした。

又七郎は痛みと笑いの板挟みになって悶えた。


「それはそうであろう、『直政』は死んだ人が特に有名だからな。

そうかそうか、『直政』は笑われるか! 島津の屋敷でもさぞ笑われた事だろう。

直政を殺して、私の寵愛を得た直政だと…!」

「諱を変えてもよろしゅうございますか、ナイフ様」


俺は左手を吊られて上に上げながら、目でナイフ様に聞いた。


「…いやいい、『直政』で。島津の者どもに別人であると思い知らせてやるが良い。

そなたと又七郎殿で島津をたぶらかし、違いを存分に見せつけて来るが良い。

徳川の家中は現在人材不足に陥っている、以降そなたたち御庭番に島津を任せる」


■「最善」…製造業における生産現場における、作業内容の見直しを指し、

「SAIZEN」として英語にもなっている。

社会人の多い大学は、授業で取り上げた企業に実際勤務する者がいたりして怖い。

■「いーさんの匂い」…きれいなお姉さんを一晩抱いてごらん。

なお、又七郎は固いところを歩くとちゃかちゃか音がする。雨に濡れるとすごい臭い。

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