第85話 ボーイズラブに描いて
第85話 ボーイズラブに描いて
「うん、旨い! あの恐ろしい芋鍋が嘘のようだ、さすがいーさん俺の嫁。
そうだ。ネットにいーさんみたいな女の子がいっぱいいたから、俺も描いてみたよ…」
食事中、直政は丸々とした手で一枚の裏が白いチラシを俺に手渡した。
見ると「ツンデレ」のふたなり青年が、絵の中でデブといちゃいちゃしている。
ボールペンで今風の画風に描かれてあるが…何だこの無駄な画力の高さは。
圧倒的に上手い…18禁イラストのつもりらしく結合部まで生々しい。
直政が興奮のあまり、ひとりでしながら描いている光景がありありと見てとれる。
俺もボールペンを手に取り、余白に絵を描いた。
「ふおお…いーさん、絵が上手いな。これ俺? デブ最高」
「デブ最高…お前だぞ。井伊直政はまったくデブだな、愛くるし過ぎる」
「何この料理、こんな旨そうな料理見た事ないぞ…」
俺はデブが台湾料理を旨そうに食べる絵を完成させると、
賛をつけた…「台湾で旨い物を一緒にどうだい?」。
「台湾…おじい様のお家だね?」
「おじい様のお家の世継ぎが俺しかいない、一緒に行ってくれるか直政」
「…いーさんとなら、俺はどこへでも」
俺は直政に頭を下げた。
直政は俺に重量ある贅肉をかぶせた。
「ありがとう直政…台湾の飯は旨いぞ、お前なんかあっと言う間に大デブだぞ」
「熱帯魚は飼える?」
「台湾は熱帯だから、熱帯魚はどこにでもいるぞ…熱帯魚の国だ」
「いーさんは熱帯魚の水槽の中で、俺を…井伊直政を抱いてくれる?」
「抱く、水の中できっと真っ赤に燃える…」
そう言うそばから血は集まり、充血しきった熱にもう我慢出来ず、
俺は唇を寄せながら直政の指を手で導き、身体で彼を求めた。
男として、女として、そのどちらでもなく、そのどちらとしても。
俺は双極にして中庸だから。
荷造りをし、病院に紹介状を書いてもらい、東京で井上の皆に見送られて、
俺たちは鹿児島から夜に出航する船で日本を発つ予定だった。
また鹿児島かよ、また直政とかデブを新幹線に乗せるのかよ。
日本から台湾へ帰る、井上会と取り引きのある貨物船だった。
駅ビルのレストランで、直政に甘いものを食べさせて待たせ、
本屋で道中の退屈しのぎに読む本を探す。
すると郷土史のコーナーに見覚えのある2冊の本を見つけた。
一冊はあの綴りで、忠恒殿が島津の家中で協力を教えるのに使ったとある。
改心した不良は誰よりも優しい、忠恒殿は名君として今でも民に慕われている。
もう一冊は忠恒殿にあげたあの漫画で、薩摩の忠実な武将の物語とあった。
又七郎という子犬は、こんなところで漫画本になったのか…。
作者紹介に「新井直政」とあり、その肖像画が掲載されてあった。
「直政? 直政やなかけ?」
「帰って来てたのか、何年ぶりだ?」
背後に変なイントネーションの標準語が聞こえる。
振り向くと見た事のある男たちがいた。
小学校の時に俺のズボンを下ろしたやつらだ。
訛っていたのは周りが大人や老人ばかりの俺だけだった。
「久しぶりだな」
「あ、やっぱり直政だ…わっぜかイケメンになったな、おい」
「新井直政好きなのか、『直政』だから…てか似てなくね? ほら、こん肖像画」
彼らも大人になった、こうして久しぶりに会えば気のいいやつらだったりする。
あの時暴力に出ず、話せば友達ぐらいにはなっていただろうか。
「新井直政は会う人によく言われるよ」
「そういや井伊直政も『直政』じゃね?」
「ああ、あのデブ…あ、俺デブを待たせてるから。またなあ」
「デブって何だよ…まるで見て来たみたいな」
「…そうかもな」
本当だぞ、俺は井伊直政を見たんだぞ。
わっぜかデブで、貴様らのいる上の階のレストランで甘い物を食べているぞ。
俺の最愛のデブだぞ、デブ最高。
「まあ次帰ったら連絡しやんせ、同窓会しようぜ」
2冊の本を買ってレストランに戻ると、井伊直政と言うデブがまだ食べていた。
出来ればその脚の間に座って尻を押し付けたかったが、仕方なく向かいに座った。
デブの手の内で愛されるいちごパフェに嫉妬して、さっと奪い取る。
そしてあの世界の癖が抜けぬまま、手を合わせて直政の続きを食べ始めた。
「ああん!」
「情けねえな。それが戦国の勇猛な赤備えの武将、井伊万千代直政の言う台詞か?
…まだ時間はあるがどうしたい、観光か? 買い物か?」
「いーさんは何したい? 観光…そんな訳はないな」
「忠恒の城から少し行ったところに水族館がある、行くか?」
直政はがばりと立ち上がろうとし、肉をテーブルとソファの間に思い切り挟んだ。
「水族館! これはネットで見た『デート』とやらの定番…行こうぞいーさん!
槍を持て! 『デート』なる戦にいざ出陣ぞ!」
「槍…! 馬鹿か直政! デートのどこが戦だよ! このデブが! 」
俺は慌てて勘定を済ませ、走るデブを追いかけた。
熱帯魚の好きな直政にとって水族館は楽園だったが、俺は水族館が苦手になった。
薄暗い照明の中で魚の泳ぐ水槽を見ていると、直政との夜を思い出して、
そんな気持ちになって、たまらなくなってしまうからだった。
トイレに立つと下着が濡れていた、これが経血ならば嬉しいのに。
水族館に来ている客に俺と直政は、ただのゲイカップルにしか見えない。
誰も俺が内に女を抱えている事に気付かない。
男同士で気持ち悪い、それでいい。
それともお前らなら俺たちを戦国の衆道、ボーイズラブに描いてくれるかい?
真夜中近く、井上の取引先である台湾人たちと落ち合って貨物船に乗り込む。
さすがに戦国の武将に台湾語はまだ無理だ、俺が逐一通訳してやる。
「へえ、台湾伊家の新角頭か…こんなボロ船じゃなくファーストクラスにでも乗ればいいのに」
「いや…飛行機はデブがいるからちょっとな」
「あの太ったのは吉富さんの部下か?」
「ああ、あれ? あのデブは井伊直政と言ってな、遠い昔の武将だ。
…いや、私の配偶者だ。台湾語はわからないが私が通訳する、どうかよろしく頼む」
船のへりにつかまって、直政と鹿児島の街を見ながらしゃべっていた。
その昔には薩摩という名前で、島津忠恒という不良のお殿様がいた事、
大御所様と秀忠様と忠恒と、四人で馬鹿やってた事。
それから島津又七郎豊久という、くそうるさい子犬がいた事…。
その又七郎の発言が新井家の前身である吉富家の発祥である事、俺の最初の部下だった事、
彼が自らの命をもって全て教えてくれた事、愛の全て、愛の何たるか。
彼のおかげで今、直政の隣にいられる事。
「あ、船が出て行く…いーさん、日本とお別れだ」
「…そうだな、もう戻って来る事はないだろう。これが見納めだ。
約束の地への片道切符だ、約束の地は英語で『プロミスト・ランド』ってやつだな」
「何それ」
湿った夜に、鹿児島の街が遠ざかって行く。
明日の鹿児島は雨だろう。
街の灯りや港の照明が群れながら黒の海に映って、春の烏賊になって泳ぎ出す。
烏賊の群れが波に揺れて笑い、俺たちを見送っている。
「乳と蜜の流れる地…乳と蜜って、直政の乳と俺の蜜じゃね?
うわ、絶対それ楽園だろ。 楽園過ぎだろ」
「では俺がそれを絵にだな…成人向けにううんといやらしーく」
「イラストサイトに投稿するか? ハンドルはもちろん『井伊直政』だろうな?」
「あ、実はもう…」
直政は俺のポケットに手を突っ込んで、スマートフォンを取り出した。
そして問題の画面を呼び出して、俺に見せた。
ハンドルは「井伊直政@デブ最高」、微妙に違ったか。
…それにしてもあの絵、ブックマーク4桁もあるのか。
「アホか直政、このデブ!」
俺は直政のでかい腹に回し蹴りを入れた。
直政の情けない声が春の海に響き渡った。




