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第83話 コア2デュオ

第83話 コア2デュオ


俺は直政の言葉に反応した。


「本当は辛いんじゃないか? 悲しいんじゃないか?

何もかも全て見せてほしい。俺はがっかりしない、そこを知る事をきっと嬉しく思うから。

俺はいーさんの辛さや悲しみも好きになって、きっと恋をするよ…」


俺は肉に包まれて涙を流し、肉に埋もれて小さな子供のように泣いた。

声が直政の脂肪に吸収されて行く…。

俺は直政になら何でも見せられる。


「辛かった…実の母にあんな事されるなんて、怖かった…初めてだったのに。

大人はみんな気持ち悪いって言うよ…男はみんな俺を犯しておもちゃにして、

女は俺を漫画の男みたいだって飾りにするよ…俺はどこへ行っても半端だよ」

「いーさん…いーさん…!」


どんなに恥ずかしい、醜いところでも、直政になら見せられる。

直政は鼻水を垂らして泣く俺の頬を撫でて、キスの雨を降らせた。

脂肪で頬の方が盛り上がっており、キスのつもりがそれじゃ頬ずりだ。


「俺はちゃんと生まれたのに、ちゃんと生きているのに、

この世界のやつらはどうして誰も俺の存在を認めてくれないの、

どうして誰も俺の誕生を喜んでくれないの…」


俺は直政の膝の上に座り、彼の肉に自分を必死に沈めようと身体をくねらせた。

最近まただらしなくなった直政の皮下脂肪は、抵抗なく俺を受け入れ、

沈む俺をしっとりと温かく包み込んだ。


「俺は喜ぶよ…俺だけがいーさんの誕生を喜ぶよ。

今まで誰も喜ばなかったのは、又七郎が命を捧げたのは、

全て俺と出会って愛し合い、結ばれるため…俺はそう思う」


直政もまた、俺と愛し合うために過去を捨てた。

「井伊直政」という名前こそ便宜上残るが、過去の何もかもを捨てた。

戦国の武将だった事も、徳川の四天王だった事も、熱帯魚のように冷たい心も全て。


「いーさん、いーさん…」、又七郎のうるさい声が聞こえる。

便所でしゃがみこむ情けない姿が見える。

俺にべたべたとまとわりつくうっとおしい体温を感じる。

死を覚悟で豊臣に喧嘩を売る、彼のほとばしる愛を感じる。


「…おいで直政」


俺は寝そべって腕をいっぱいに伸ばし、脚を直政の身体に巻き付けた。


「俺は女にして男、2つの性を持つ人間…どんな事をしてでも直政と結ばれるために」


又七郎はその命をもって俺に愛を教えた。

俺に殺させて愛するとは、愛されるとはどういう事かを教えた。

彼の面影を追いかけ、苦しみながら俺は学んだ。

愛の意味を、誰かを愛したらどうすればいいのかを。


「いーさん、愛してる…いーさんは?」


デブの重みがずんと腹にのしかかって来る。

俺は直政の肉に飲み込まれながら、息苦しさに首を伸ばした。

この手に抱く柔らかな背中越しに、息も絶え絶えになってようやく言った。


「直政、このデブが…お前はデブだ、デブ過ぎる…でもデブ大好きだ。

愛してる、愛してる…俺は井伊直政ってデブを愛してる。

俺のデブ…井伊直政は俺だけのデブだ、もっと強く抱いて、もっと激しくして。

お前の肉で俺を撃ってくれ、デブの体温で冷たい魚はもう溶けてしまいそう…」


人を愛したら「愛してる」、その一言だけでいい…俺は又七郎の命に学んだ。

俺は直政と言うデブを素直に愛し、その贅肉を求めた。

そして俺は赤い浜になって、直政という肉の波を浴びた。

波は荒れて何度も押し寄せては引いて、白波の頭を壊して弾けさせた。

浜は波の飛沫を飲み込んで、また渇く。

俺たちは海になって、クマノミの泳ぐ水槽と同化した。


水槽に裸たちが映り込んで動く。

寝室で直政が増やしていった水槽のLEDライトの灯り、水草や流木、底の砂利の色彩、

エアーポンプの音がぐるりと取り囲んで、俺たちを熱帯魚にした。

肌色の熱帯魚たちは重なり合い、水底に冷たく沈んで行く。

冷たい熱帯魚は「ぬっか熱帯魚」を触媒とし、愛に燃えて溶解する。

俺は心に「ぬっか熱帯魚」という過去を刻み付けた。

そしてようやく又七郎を忘れた。



直政との暮らしは嘘のように楽しかった。

そんな2月に入ったある日、台湾より電話がかかって来た。

仕事で日本に来ていた祖父の体調が思わしくなく、日本の病院に入院したという。

元気で仕事をしているつもりでも祖父は相当に高齢のはずだ、入院も仕方もない。

俺は直政を連れて見舞いに行く事にした。

場所は鹿児島市内との事だった。


「いーさん、『鹿児島』て何だ?」


新幹線の中で直政は5個目の駅弁をほおばりながら言った。

新幹線にして良かった、直政のようなデブを飛行機に乗せるなんてとんでもない。


「直政の世界で言う薩摩だ」

「薩摩! 島津の地だな、島津はあれからどうなった?」

「さあ…忠恒が当主になったまでしか知らんな」


久しぶりに会う祖父は元気そうには見えたが、少し透明感があった。

特に話す事もないと思っていた。

顔を見て、すぐに帰ろうと思っていた。

ところが。


「直政、お前も四十を過ぎたと思う…まだ独りでいるのか。

…お前は本当に人嫌いだね」


あの冷酷だった祖父が笑ったのだ。

台湾にいた頃は笑うどころか、俺なんかしょっちゅう張り飛ばされていたのに。

だめだ、だめだとダメ出しばかりして。


「早くお嫁さんを貰いなさい、歳を取ってからの独り身はこたえるから…。

直政は本当にだめな子だ、私の手の及ぶ限りの教育を受けさせてやっても、

いまだ嫁のひとりも見つけられないとはな…本当にだめな子だ」

「あの…おじい様、俺が嫁なんですけど…俺、夫がいる」


俺は病室の引き戸から顔を出し、直政を手招きで呼んだ。


「…そうか、そっちだったか。お前は女の子になったか…まあどっちでもいいさ」

「おじい様、怒らないのですか?」


直政が入口の建具に太った身体を押し込んで、病室に入って来た。

俺は直政に祖父を紹介した。


「直政、俺の祖父だ…伊尚東、イー・シャンドン。

その『イーさん』の家の子供だから、俺は『イーサン』」


直政は祖父の枕元に膝をついた。

俺と台湾語で会話していた祖父は、直政に日本語で話しかけた。


「直政の旦那さんだね?」

「は…直政殿が夫、井伊直政にござりまする。この度はお目通りいただき恐悦至極。

ふつつかながら、直政殿のおじい様には何卒よろしくお願い致しまする」


直政はきっちりと姿勢を正すと指をついた。


「直政の旦那さんはまるでお武家さんみたいだね…井伊直政か。

私も昔日本にいた事があるから、井伊直政は知っているよ…」

「そのような恐れ多い事…井伊直政は同姓同名にござります。

直政殿のおじい様、この機会に折り入ってお願いがございまする」

「何だね…言ってごらん」


デブだからもう膝がきついだろうに、直政は姿勢を正したままもう一度頭を下げた。


「恐れながら申し上げまする。直政殿は社会的に男性で私もまた男、

お上の認める正式な婚姻こそ出来ませぬが、それ以上に私は直政殿を愛しておりまする。

どうか直政殿との事、お許しくださいませ…」


直政がこんなにも正式に俺との結婚を申し込むとは…。

俺も直政の隣に指をついて、頭を下げた。


「…おじい様、俺からもどうかお許しくださいまし。

俺も直政を愛しており、彼しかいないと思っております」


すると老人の細い腕が伸びて来て、俺と直政を二人まとめて抱き寄せた。


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