第82話 火狐ブラウジング
第82話 火狐ブラウジング
「…直政はここだ」
直政が俺の前方で刀を構えている。
敵の注意は直政に向いた。
「アホか直政! 囲まれてるぞデブ!」
俺は直政に叫んだ。
ナイフに持ち替えて、近づく敵を刺した。
直政はにっと笑って、すぐに真顔になった。
「交代だ、私が直政」
「馬鹿かデブ貴様! おいも直政じゃっど、まぎらわしか!」
「あ、ああ…そうだった」
「おしゃべりは終わりだ、死ね」
直政は敵の話す中国語がわからず、目をぱちぱちさせて不思議そうな顔をした。
「よくわからんが、死ぬのはお前らだ」
「何だ貴様は」
敵は片言の日本語で直政に言った。
これは直政にも通じたらしい。
「俺は井伊直政…いーさんの夫! お前ら俺の妻に手をかけるか、許さぬ!
首を置いて行くのはお前らだ、地獄へぶち込んでくれるわ!」
直政は敵に斬り掛かって行った。
…速い、デブのくせに。
そして攻撃は実に的確、急所を突いて最短で敵を殺害か。
斬って落とされた首や手足が、臓物をぐちゃりとはみ出させながら、
アスファルトの上に血と共に落ちて鈍い音を立てる。
直政は声を立てて笑った。
「赤はこれでなくてはならぬな…!」
敵は残らず直政に集中し、直政は包囲も構わずに切り裂いた。
そして死体だけになってもなお敵を斬りつけ、足で転がした。
「いーさんに手を出す? 成仏出来ると思うな貴様ら」
そう言う直政の顔は水槽の熱帯魚よりも冷たかった。
俺はぞくりとした。
俺は直政に天職という言葉を見た。
そして彼は必ず来ると予感した。
井上の四天王の一角が徳川の家中を登り詰めたように。
「すっげえな、直政は。さすがイーサン直々のスカウトだ」
「あのデブ、中国のやつらをポン刀でめちゃ斬りらしい」
「てかあのデブの名前、『井伊直政』て一体…?」
直政の戦いぶりは吉富組だけでなく、井上の家中にも聞こえるようになった。
「新入りに部下かよ」
「新入りが生意気だ、シメてやる」
ただ俺は今でも入れ替わり立ち代わりする部屋住みらと、
そこから上がり立てのやつらにとって「新入り」のままだった。
総本部に出仕すると、未だに絡まれている。
相当に幼く見えるらしい。
「誰が新入りだ、組織の最高幹部の顔くらいいい加減覚えろ。喰らすぞ貴様」
「アホか新入り、妄想もいい加減にしろ」
「いーさん! 早く帰ろう、帰って早く飯にしよ?
俺、ネットで美味そうなレシピ見つけたよ、いーさん作って!」
便所に行っていた直政が、でかい身体じゅうの肉を揺らしてかけ寄って来た。
ネットて…直政は日々いろいろな事を覚えて行く。
頭が良いのだろうな、砂が水を吸うようだ。
直政は一人称を「私」から、この世界の男によくある「俺」に変えた。
他の幹部らが直政を捕まえた。
「直政にイーサン、今夜は俺らとどうですか?
可愛い女揃いのいい店知ってるんですよ、しかもチップはずめばやらせてくれるっす」
「女のいる店なんて…そんなところ行ったらいーさんに殺されます」
「すまないが俺も…直政に悪いから」
幹部らは顔を見合わせた。
「あの…もしかして二人、そう言う関係すか?」
「…まあそうなるな、俺も直政もバイだから」
「厳密に言うと夫婦ですね。いーさんね、俺に求婚してくれたんですよ。
『俺の残りの人生を素敵なものにする』って…あれ、いーさん違う?」
「違わないね…帰るぞ直政」
俺は本部の建物を出て行った、直政が小走りで追いかける。
玄関で送迎の車を先に帰した。
俺は手を後ろに差し出し、手首をくいくい動かして誘った。
絡まる直政の指に金属の冷たさを感じた。
直政の指が欠けているのは右手だったが、俺は左手だったので指環はつけられなかった。
揃いの指環は鎖に通して、首に提げている。
社会的には男同士だったし、この世界の者ではない直政は戸籍もなく、
結婚も養子縁組も出来なかったので、俺と直政は事実婚を選択した。
それでも構わなかった、新井の家…火狐もそうだったから。
家は血でも法でもない、心だと俺は学んだから。
火狐は今も走り続ける。
燃えて歴史を駆け続けている。
俺と直政は火狐になって、新しい歴史を見ている。
日々更新される愛を追いかけながら。
直政の熱帯魚好きは高じ、その数はどんどんと増えて行った。
寝室は水槽でいっぱいになり、照明を消しても水槽のLEDライトでなお明るかった。
底の灰色と沈めた流木の黒、揺れる水草の緑が闇に浮かんで、
その中をどぎつい色の熱帯魚が静かに漂っていた。
エアーポンプのぽこぽこという音の中に、弾む息が混じって聞こえる。
光の加減で一部の水槽に、絡み合って動く裸たちが映り込む。
俺は片方の足の裏を水槽にぴたりとくっつけ、もう片方の足を直政の肩にかけた。
直政の影が水槽を覆って、少しだけ闇を作る。
俺は直政になら何でも見せられる。
彼の欠けて不器用な指を感じながら、空いた左手を取って口づけた。
人差し指の先を残して根元からすくうように舐め上げ、舌先で指先をちろちろと触る。
そうしてから全体を口に入れて吸い、緩急をつけて抜き差しする。
「いやらしい人だね、いーさんはどこでそんな事を覚えたの…」
「最初は実の母に…それから当時の職場の先輩に上司、取引先、敵まで…。
…こんな珍しい身体だから、女の匂いがするから、汚くない男だから。
こんな汚い女で、男で、がっかりしたか直政」
「いーさん…!」
乳房や尻が膨らむ訳でもなく、ただ筋肉ばかりが盛り上がる、
直政は俺のちぐはぐでおかしな身体を抱きしめた。
「いーさんは俺を解放すると、もう何も気負わなくて良いと言ったけれど、
気負っているのはいーさんの方だ」




