第8話 火狐
第8話 火狐
「こん雨は『島津雨』ちゅうとね」
道中、雨を見て又七郎は言った。
「『島津雨』…」
「おいといーさんが門出ば祝うおめでたか雨ぞ、島津ん始祖も住吉ん社で、
雨ん中、狐ん火いに守られっせえ生まれたとね。
狐憑きに遭うておいが前に現われたいーさんと同じじゃっど…」
又七郎はぽっと頬を染めて言った。
三十にもなるおっさんがまるで乙女子のようだ。
「もうすぐ着くぞ」
俺たちは島津の屋敷の近くの建物の陰に隠れた。
その間に兵のひとりが内部の偵察へ向かった。
しばらくして偵察が戻って来て、侵入経路を確保したと報告した。
俺たちは偵察の案内で、隠れながら屋敷に接近して内部に潜入した。
島津の庭にも俺たちの吉富家のような、小さな家があり、
どうやらそこが御庭番の詰め所らしかった。
雨で御庭番たちは少なく、ほとんどがそこに籠っているらしい。
「行くぞ」
俺たちは分散し、表に出ている御庭番たちの口を押さえて、
声を出さぬうちに斬り殺した。
そして、詰め所を包囲した。
「貴様らどこんもんじゃ!」
島津の御庭番たちは吠えた。
俺たちは詰め所に押し入り、御庭番たちを中で慘殺した。
ナイフ様の与えてくれた兵たちは、全員が相当に腕の立つ者で殺しも手際がいい、
きっと選りすぐりの猛者たちだろう。
詰め所の中はあっという間に彼らの血で真っ赤に塗りたくられた。
「増援が来るぞ」
俺たちは見張りを立てながら、例の柔らかい甲冑を裏返した。
家中の者たちがこの詰め所にかけ寄って来る。
「くせもん!」
「くせもん? くせもんは貴様らじゃっどね…!」
頭巾で顔を隠した又七郎が表に出た。
俺もそれに続いて表に出、又七郎の前に出た。
「いーさん!」
「下がってろ、お前が前に出るとややこしい」
俺は刀を構えて駆け出し、近づいて来た敵を叩き斬った。
「さっきの黒いやつらはどうした!」
「さあな」
「貴様ら今度はどこん間者ぞ!」
先ほどの黒い軍団の正体に気付いていない…。
表裏両用というのは便利だな。
「俺か? 少しばかりご挨拶に訪れた者だ。
吉富紅千代いーさん直政、お前らにお楽しみを邪魔された男。
…そう言えばわかるか?」
「くそ、徳川の…!」
男たちが俺に斬り掛かって来る。
そこへ又七郎が割り込んで来て、男たちを滅茶苦茶に斬りだした。
「又七郎!」
「いーさんば斬ろうち許さんが! おいが貴様ら斬っちゃる!
島津? そげんもんうっ潰らかしちゃる! うっ殺しちゃる!
おいが想い人に手え出す悪りか家は、こん又七郎が終わりんすっど!」
又七郎はかぶっていた頭巾をはぎ取った。
「…おいは島津又七郎忠豊、いーさんに命ば救われ、いーさんに恋した男。
そしていーさんば守っため、徳川ん家臣になった男…!」
俺たちは互いに背中を守りながら戦っていた。
そこへこの屋敷の管理者らしき男が出てきて、戦いはやんだ。
「あ…こいは豊久さあ!」
「誰が豊久ぞ!」
又七郎は島津の屋敷の者が、「豊久」と呼ぶのに噛み付いた。
「『豊久』…それがお前の諱か、又七郎」
「豊久んごたショボなぞ知らん、おいは又七郎!」
「いや…でも、あいつら豊久言ってるだろ」
「いーさん! じゃどん…!」
俺は暴れる又七郎を取り押さえて、屋敷の管理者に言った。
「…うちの者が失礼をした、改めて徳川家側用人御庭番、吉富紅千代いーさん直政と申す」
「変わった名じゃっどな、おまんさが直政ばうっ殺っせえ、
ナイフさあんご寵愛んなりよった直政か…」
屋敷の管理者は俺を見て、ふんと嘲笑した。
もしかすると「いーさん」という西洋人のおかしな名より、
この世界では至極標準的な、「直政」の方が笑われる名かも知れない。
又七郎はそれにまた怒って、俺もまた彼を取り押さえた。
「『直政』はよくある名にございますれば、お好きにおっしゃってくださって結構」
「こん屋敷には留守番しかおらん」
「それも結構にございます、本日はほんのご挨拶に参上いたしましただけ…。
先日の夜はそちらよりの温かきお心遣い、まことに感謝致しまする。
寒い中、おかげで暖を取る事ができましたが、
お使いの方々が火の不始末で、亡くなりました事をお悔やみ申し上げます」
俺は頭を下げた。
「何言いたか、直政」
「『直政』にございませぬ、『いーさん』…火にはお気をつけくださいませ。
狐憑きに遭いまする…庭に生い茂る葵から飛び出した、
真っ赤に燃える火狐に悪戯されまする故」
俺は兵たちに撤収を合図した。
兵たちは後ろの安全を確保しながら撤収を始めた。
俺も暴れる又七郎を抱えて兵たちの間に入り、屋敷を後にした。
「いーさん、我らは火狐にございますか…!」
兵たちが走りながら笑う。
「火狐ぞ。俺のいたところでは『ファイアフォックス』と言って、世界を駆けたぞ…」
「いーさん、もう良かよ…離してくいやんせ」
又七郎が俺の脇で顔を覗く。
俺は又七郎を抱える腕の力をぐっと込めた。
「だめだ、お前を今離したらまた島津の屋敷に突っ込む、だめ過ぎだろが」
「いーさん…」
行きは黒かった軍が、帰りは赤になって帰っていく。
炭に火が回ったように赤く。
春雨は降り続く、細かな雨粒が熱い身体から上る湯気のように白く、
俺たち御庭番を愛のように優しく、柔らかく包み込んでいた。
…「島津雨」、確かに。
■「火狐」…徳川の暗殺者集団。一般で言う「忍者」とは異なる。
弱点は検索エンジンの広告サービスで、動作が重くなり事実上の使用不可となる。
■「島津雨」…夜陰と同様に日光を遮り、行動を助けてくれる愛の雨。
何かを行う時にこの雨が降ると、大変グッド。