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第70話 泣いた赤鬼

第70話 泣いた赤鬼


火狐製作のポンプは川の水をくみ上げ、水を吐き出しては敵を目がけた。

電動の真空ポンプほどではないが、敵を驚かせ、怯ませるほどの勢いと圧はある。

俺は流れる水を見ながら、過去を思った。


俺はずっとひとりだった。

嫁を娶って家族を作るどころか、女とは肉体関係しかなかった。

寝ても飽きたら捨てて、まともに付き合う事はなかった。

上下関係でつながった仕事の関係者はいても、友達はいなかった。

家族も…祖父は祖父なりに可愛がってくれても、それは通じない愛情だった。

母は母でなく、俺を犯すただの女でしかなかった。


誰の事も愛してはいなかったし、誰の事も信じてはいなかった。

信じて良いのは自分自身だけ、そう思って来た。

それがこの世界に来て、嘘のように人に恵まれた。

人の温かさは俺に信じる事を、愛する事を教えた。

そして俺は自分が淋しい人なのだと思い知らされた。

心の奥底に積み重なって眠る淋しさが、煙を巻き上げてのぼってゆく…。


人は愛すれば愛してくれるのだ。

たった一夜の温もりのために、誘われれば誰とでも寝て来た。

それが男でも女でも、選り好みなんてしている余裕はなかった。

俺は求めるばかりで与える事は何一つして来なかった。


人は信じれば信じてくれるのだ。

いつも基準は自分で、誰かに合わせる事も協力する事もなかった。

部下のミスも許せず、理由を聞く事なく斬り捨てていた。

俺は誰にも心を開く事、心を許す事はなかった。


「新井家家臣団、お前らはまこと日の本一の家臣団ぞ…!」


俺はピストルを抜いて、水に怯む敵を撃った。

続く反動で涙が粒になって飛び散る。


「いーさん…!」

「俺はお前らを心から信じる、お前らを心から愛する!

徳川、島津、井伊…たくさんの心が寄り集まった愛の家、それが新井の家だ!」


新井の家中は戦いながらも優しく微笑んでいた。

そして明るく笑った。


「いーさん、その幽霊姿でその台詞はないっす」

「また殿がこうだったらとしんみり夢見ちゃいますよ」

「嫌ですよ、直政殿…幽霊は涙など流しませぬ、愛など語らいませぬ」

「亡き父の幽霊ならば、もっと嫌な感じにしないと…父上」


俺はピストルから組み立て式の大槍に持ち替えた。


「その幽霊は行って来るぞ、『感じてルオンノタル☆濡れて井伊気持ち』だ。

水よろしく、後方支援攻撃よろしく…信じる!」


俺は前に飛び出し、残った敵へと駆けて近づいて行った。

そして再び戦い始めた。


「貴様ら血と水で桃色に濡れろ! 俺が貴様らを女にして感じさせてやる!

俺は新井直政、徳川最凶最悪の男…貴様ら女なら感じろ!」



俺たちだけでなく、他の戦っているやつらもあっさり勝利し、

徳川の軍は大坂の城に迫った。

そんな夜、陣を訪れる者があった。


「新井ん陣はここじゃっどか…」

「げっ、忠恒殿! 貴様、島津はどうした?」

「軍ば二つに分けっせえ、こまんか方ん軍と来たど」


忠恒殿は勝手に腰掛けに座り、扇でぱたぱたと胸元をあおぎだした。


「いいのか?」

「良か、こげん様子ならいけっと…そういや、いーさんはなしておいが言葉わかっとか。

全国んもんらと接する大名でんわからんち言いよっ。時々『きさん』とか言いよっし」

「さあな」


俺の生まれたところは少し田舎だった。

父はやくざだったから、身重の母は父の知り合いのいるその田舎町に逃れていた。

俺はそこで台湾伊家に引き取られるまで過ごした。


「九州もんか」

「九州にいい思い出はないね」

「良かとこじゃっど…いーさんもまた薩摩に来たら良か、今度は直勝と。

そうじゃいーさん、知っちょっ? 直勝な、うちん姫と出来ちょっで?」


忠恒殿はふふと笑って、俺の耳にささやいた。

俺は目を丸くした。


「まことか」

「江戸ん屋敷で見たど、直勝と姫が良か感じなとこ…どげんね、いーさん。

あん二人ば夫婦んすっとは…ほいだらおいたちは親戚じゃっど」

「…直勝の嫁は直勝自身に決めさせる、俺と花でそう決めた。俺は何も言わない」


俺はそれだけ言うと、ぷいと別の方向を向いた。

すると忠恒殿は俺の背中に覆い被さるようにして、俺をそっと抱きしめた。


「又七郎が恋しかねいーさん、おいもじゃっど」

「忠恒殿…」

「明日はおいも一緒に連れて行ってくいやんせ…又七郎ん仇ば取りたか。

島津も新井ん一部、島津は火狐じゃっど」


俺を抱く忠恒殿の声も腕も震えていた。

俺は身体ごと振り向いて、彼をぎゅうと抱きしめた。

忠恒殿が衣に薫きしめた香の向こうに、降る灰の懐かしい匂いがする。


「又七郎は雨の匂いがした、忠恒殿は灰の匂いがするね…。

俺の生まれた街にも海向かいの火山島から、灰はやって来て降っていた。

おいたちは灰ん中を行っ…ちくちく嫌らしか刃物ん灰ば抜けっせえ行っど」

「おおきに、いーさん。じゃどんそいは又七郎ん真似か? まこち上手かね。

ちくちく嫌らしか灰ち、そいは桜島じゃっど…灰ん降っ街ち、そいは薩摩じゃっどね…」


忠恒殿は俺の首筋に顔を寄せて埋めた。


「いーさんはほんなこつおなごんごた匂いがすっと、不思議じゃっどね。

なしてこげん良か匂いがすっとか…」

「俺は…生粋の男ではないからだ、男にいまひとつなりきれなかった男だ。

俺は又七郎が作り出した女、又七郎を今も思うただの女だ」

「まこてか、そいじゃ乳はどこね…女陰はどこね…」


戦のための遠征で、忠恒殿も女に飢えているのだろうか。

忠恒殿は俺の唇に唇で触れながら、俺の身体をまさぐって、

あちこちの隙間から中に手を差し入れた。

彼も一応は武家の男、たしなみぐらいはあるらしい。


「見たいか、忠恒殿。俺の身体を…」


俺は忠恒殿の手を取って導いた。

俺たちは似た者同士だ。

俺は忠恒殿の中に、忠恒殿は俺の中に、お互い又七郎を探している…。

又七郎、又七郎…俺たちは又七郎でいっぱいになった。


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