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第57話 もっと陽の当たる場所

第57話 もっと陽の当たる場所


直勝様の苗字…いつかはその問題が出て来るとは思っていた。

新井の一員とは言っても、直勝様は井伊直政の長男。


「もっと具体的に言うと、井伊の苗字を残すべきかどうかです。

私の子だから、『新井直勝』で良いと思うのですけど…」

「参ったな…私としてもどちらでも良いと考えているのですが。

ただ『井伊』の苗字を残すとなると、大御所様に相談した方が良いだろうな」


俺は大御所様に文を書いた。

だが、大御所様も直勝様に任せるとの返事だった。


「どうするね、直勝様」

「私は『新井直勝』でいこうと思います。いーさんは直孝たち井伊の庶派を潰してくれ、

私が井伊を名乗っても、十分陽の当たるようにしてくれたけれど、

私は新井の子、新井が私の家、もはや井伊の子にはありませぬ…!」

「直勝様…」

「息子に様など敬称は要りませぬ、父上。『直勝』とお呼びください」


…直勝様、いや直勝は大人になった。

これなら元服はもう遅過ぎるだろう、早く嫁を探してやらねば…。

俺はまず花に相談してみた。


「直勝に嫁ですか、直政殿」

「直勝は私たちの子として元服したいと言っている、私もそれに応えてやりたい。

井伊の子ではなく、新井の子となれば格はだいぶ落ちるだろうが、

それでも出来る限りの事はしてやりたいのだ」


花はしばらく考え込み、そして言った。


「そうですね…直勝に任せましょう」

「は? 何を言うのだ」

「政略の結婚の辛さや悲しさは、私が身をもって知っています。

だからこそ私も新井の正妻を選びませんでした」

「あ…」


俺は花が新井家に来た時の事を思い出した。

井伊直政との結婚生活は、彼女にとってあまりにも苦しいものだった。

未亡人となって俺と出会い、愛し合ったものの、

政略の結婚にさせられそうになり、それでこの新井家が誕生したのだった。

新井の家は俺たちの意思だった。


「そうでしたね…では、嫁選びは直勝に任せる事としよう」

「嬉しい事…きっと直勝も幸せになりますわよ、自分で選ぶお嫁さんですから…」


その年、直勝は元服して新井直勝と名乗りを変えた。


「『新井直勝』とは一体…『井伊直勝』では?」

「直勝殿が井伊を名乗れば、井伊家も新井の力を借りて復興出来たのに」

「でも今は新井家の方が力がある、新井を名乗る方が得策だ」


直勝が新井の苗字を名乗った事は、徳川の家中で議論を呼んだ。

井伊の嫡男、なかった事になどさせぬ。

新井でも井伊でも、俺が嫌というほどの光を当ててやる。


元服した事によって、直勝は新井家の家中の者に仲間入りし、

俺について仕事を覚える事となった。

それには早く皆に、直勝の顔を覚えてもらいたいという目的もあった。

俺は事前に事情を秀忠様に話した上で、直勝をお目通りに同伴させた。


「いーさんや、この子が直勝か」

「は…先日お話致しました、息子の新井直勝にございまする」


俺は直勝を自分の息子として紹介した。

俺は直勝の父を殺した男、なさぬ仲のはずだった。

当時ちょうど思春期だった直勝は、ずいぶんと憎んで悩んだ事だろう。

それでも直勝は俺を父として遇してくれた、だから俺はその気持ちに応える。


「老中新井直政が長男、新井直勝にございまする」


直勝は指をついて頭を下げた。

秀忠様は直勝の顔を上げさせ、じろじろと舐めるように見た。


「うん! 新井直勝…新井直勝…いいね。

家中では井伊と名乗った方が良いのでは、という声もあるけれど、

新井の方がしっくりくるよ、それで行こう!」

「花のために元服を遅らせておりましたので、

こんなに大きな子をお目にかけるのは心苦しゅうございますが、よろしくお願い致しまする」


秀忠様は下へと降りて来て、直勝の手をそっと握った。


「私の少し下ぐらいだね…私も将軍としてはまだ新参、至らぬ所もたくさんある。

どうかいーさんと一緒に私を助けておくれ、頼んだよ直勝」

「ありがたき幸せ…この新井直勝、父と共に親子で徳川のため忠義を尽くす所存…。

もちろんよろしいですよね、父上?」


直勝は途中で俺を見て笑った。

俺はたじろいだ。


「直勝はおっとりしていそうに見えても、芯は案外しっかりしているんだね…。

これはいーさん、直勝に負かされてしまうな」

「…そうですね、いつかはきっと」


俺は直勝を伏見の家へも伴った。

彼に火狐の仕事を覚えさせるつもりはなかった。

直勝に陰は要らぬ、俺と火狐が陰を引き受けるから。

ただ火狐の仕事を見て欲しい、陽の裏には必ず陰がある事を知って欲しいのだ。


「父上、どうして私は火狐に参加してはならぬのですか。

火狐があってこその新井家なのに、私も加わりとうございまする…」

「確かに新井は暗殺の家だが…直勝、そなたには表向きの事を頼みたいのだ。

そのためには後ろ暗いところなどあってはならぬ、きれいでいなければならぬ」


表向きとは方便だ。

いつか直勝に陽が当たった時、きれいでいるに越した事はない。

いつか…そろそろ決めておかねばいけないか。

新井の世継ぎを。



江戸の家に戻った時、俺は花に相談してみた。


「世継ぎですか、直政殿」

「そろそろ決めておかねばと…本来なら本妻の長男が世継ぎとなるところだが、

私たち新井家は井伊のお家騒動から学んでいる。

この家には本妻もその長男もいない、つまり血筋が全てではないという事だ。

家中の者より実力ある者を、皆で選びたいと考えている」


俺は世継ぎについての考えを、花に訴えた。

この世界の者である花に、この考えが通じるかどうか…。


「皆で…私もその考えに賛成します、皆で選ぶ新当主ならば異論は出ません。

私は井伊のお家騒動の当事者です、その醜さは身に染みています。

新参の新井家だからこそ出来る事だと思います、ぜひそう致しましょう」

「ありがとう、花」


花は本当に見事な人だ、本当になぜ井伊直政はこの人を愛そうとしなかったのだろう。

きちんと向き合って、愛を注げば、こんなにも通じ合えるのに…。


こうして新井家次期当主選出は、家中の者らに発表された。

家中の者らはこの新しい選出方法に騒然となった。


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