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第51話 ぬっか熱帯魚

第51話 ぬっか熱帯魚


「せめて今夜だけでん、抱いてくいやんせ。

おいが恋ば叶えてくいやんせ、いーさん…」


又七郎は最後の夜まで又七郎らしい事を言う。

「抱いてくれ」か…俺が又七郎を抱いたら終わってしまうではないか。

俺はずっと一緒にいると思っていた、だから抱きたくはなかった。

又七郎との関係を、愛で終わりになどしたくはなかった。

俺は又七郎に愛のその先、永遠を望んだ。


「…いいだろう」


俺はふとんから抜け出した。

又七郎はふとんの中から腕を伸ばす。

腕は俺の背中を捕らえて引き寄せ、俺たちは唇を合わせながら舌を絡め合う。

男の頃のままのごつい手が、俺の襟を、裾を割って侵す。

指が熱を帯びて赤い俺の肌を走り、濡れた舌がそれを追いかける。


俺は又七郎の顔を盗み見る、まるきり男の顔をしている。

驚いた、あの又七郎がこんな顔をするとは、こんな事をするとは。


「いーさんの身体はまこち変わっちょっ…見た目は確かに男じゃっどね、棹も玉もあっと。

じゃどんこいは何ね…玉ん真ん中からへこみまで女陰んごた割れちょっが」


又七郎はそれをいい事に、俺の気にしているところをじろじろと観察する。


「やめろ、そんなとこ見るな」

「うんにゃ、止めん。おいは見っど、触っど。

いーさんはおいがおなご、そげん思も…」


俺の外性器が他と違うのはわかっていた。

他と違う、それは虐待されるのに十分な理由だった。

他人の興味をかき立て、行動に移させるのに十分な見せ物だった。


又七郎は何もない虚しい股間を、やはり延々とただこすりつけるだけだった。

いくら興奮しても、又七郎に終わりはない。

それじゃ抱いているうちに入らないぞ…俺は見かねて言った。


「知りたいか、又七郎。俺がどうして男たちを虜にしてきたか。

俺がどうやって生き延びてきたか…」


実の母に犯されながら、幼かった俺は必死に覚えた。

どうすれば早く終わりに出来るか、どうすればその状況をひっくり返せるか。

覚えた技術は極道の世界に入ってから、大きく花開いた。

俺の変わった身体は、磨いた技術は、男の世界で恵みとなった。

抗争の最中、刑務所に服役中…女を同行出来ぬ状況で。

それは元いた世界も、この世界も同じ。


俺は自分の持つ技術の全てを又七郎に見せた。

又七郎の捨てた物、捨てる物の重さに報いるように。

又七郎のくれた心に応えるように。

青い夜は又七郎の視線をも映し出す。

唇の動きも、指先のかすかな動きもよく見える。


「いーさん、いーさん…!」


又七郎は繰り返し繰り返し、俺を呼ぶ。

肌にまとわりつく又七郎の腕が、体温が、視線が、冷たい魚を熱で包み込む。

俺は恥ずかしさに目をそらして伏せる。

でも呼吸は止まらず徐々に乱れて来、次第に言葉にならぬ声になっていった。

悲鳴のような、歓声のような。


誰との情事にも興奮する事もなく、声をあげる事のなかった俺だった。

それが又七郎とは互いを持ち寄って、互いの全てをひとつにし合った。

その夜、俺は初めて情事の意味を知ったと思う。


俺たちは眠らないまま、刻限ぎりぎりまで抱き合って過ごした。

そうして簡単な朝食を台所でこっそり、向かい合って食べ、

便所で尻を拭いてやり、又七郎の支度を手伝い、

家中の誰にも告げず家を抜け出して、庭を通って処刑場に向かう。

処刑場は庭の終わり、ナイフ様の部屋の前だった。


又七郎の手には縄が結ばれ、立会人のナイフ様が罪状を朗読する。

その後、ナイフ様は又七郎に聞いた。


「島津又七郎豊久、最期に申したい事はあるか?」

「ナイフさあ、すんもはん…おい、透明んなっせえいーさんが永遠になっと。

ただそいだけじゃっど…」


ナイフ様は俺に合図した。


「…許せ、又七郎」


又七郎の顔は穏やかだった。

それを見て、俺はためらった。

又七郎はそれを察して叫ぶように言った。


「いーさん、何ためろうちょっ! 早よしやんせ! 

いーさんはちんたか熱帯魚じゃっどね、ためらうでなか! 

おいはただ形ば変えっせえ、透明んなっだけじゃっど!

早よ殺しい! おいは島津又七郎豊久、ぬっか熱帯魚! いーさんが糧…!」


俺は心を決めた。

俺は冷たい魚、部下の些細な落ち度も許さず手討ちにして来た男。

又七郎、いや目の前の男もまたそのひとり…。

俺は又七郎の首を跳ねた。


俺は刀の血を払うと鞘に納めて、ナイフ様に一礼をした。


「…泣きもせぬか」

「私は『冷たい魚』、心などありませぬ故」


それだけ答えて俺は家へと帰り、着替えていつも通り出仕した。

そして夜、又七郎は事故で亡くなったと家中の者に話した。

大坂へ同行し、一部始終を知る井伊の旧家臣代表は何も言わなかった。

又七郎の死に火狐の者たちは皆泣いた。


「又七郎殿…!」


花は声をあげて泣いた。

なさぬ仲であるはずなのに、花と又七郎は仲が良かった。

又七郎の友と言ってもいいだろう。


又七郎は近くの川で荼毘に付され、遺骨は徳川が建てた墓に納められた。

きっと島津には帰りたくないだろうから。

そうして日常が戻りつつある頃、俺は又七郎の遺品を整理していた。

部屋は又七郎が最期に出て行った時のままにしてあった。

その日は雨模様だった。


殿様育ちの又七郎は俺とは違い、ちっとも片付けられない。

出したら出しっぱなし、片付ける事など知らぬ男だった。

押し入れの下段、又七郎の領地は衣類がごちゃ混ぜになっていた。

俺はそれを畳んで、きれいに整理してまたしまい直した。


本棚の領地も机の中も、又七郎は散らかしており、

部屋のどこもかしこも又七郎でいっぱいだった。

俺は本の間に古い文を見つけた。

恋文などではなく、ただの文だった。

宛名は島津又七郎忠豊、差出人は井伊万千代直政。


…これが井伊直政の文字か、男手らしい文字だがあまり上手くはない。

しかし又七郎はなぜこの文を取っておいたのだろう。

しかもあの片付けも知らぬ又七郎が、丁寧にも本の間へしまうなどしたのだろうか。

そんなに大事な物だったのか?


大事な物…俺は気が付いてしまった。

又七郎の叶わなかった恋の相手に。


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