第48話 代理人井伊直政
第48話 代理人井伊直政
「はい、種類はまだまだございます…!」
俺は顔を上げて淀様に言った。
「もっと食べてみたい、秀頼にも食べさせてやりたいのだ。
新井殿、出来ればもっとゆるりと大坂に滞在して…」
「それには及びませぬ、淀様」
「何故だ?」
淀様は箸を置いて、眉根を寄せた。
「『新井の手討ち』はこの先いくらでもお召し上がりになれまする。
豊臣が徳川と睦まじくある限り、ちょくちょく大坂へ行き来して…違いまするか、淀様」
俺は淀様の目をじっと覗き込んだ。
「…上手いのう、新井殿は」
「徳川も出来るならば豊臣との戦争は避けたい、国力を減らしたくないのは豊臣も同じ。
どうか徳川と睦まじゅうしていただければ嬉しゅうございまする。
よろしくお願い申し上げますぞ、淀様」
「いーさんは豊臣と和議ですか」
部屋に戻って、ナイフ様が呆れて言った。
「和議などとんでもございませぬ、ナイフ様。
出来れば豊臣を完全に服従させたいところですが、豊臣も和議など思ってもおりませぬ。
徳川はこれから大事な時、せめてその間だけでも足止め出来ればと」
「そうよの、確かに今これからが大事な時…戦などしている場合ではない」
「火狐は着々と外堀を埋めておりまする、いずれ戦になった時のために」
俺は集まりで覚えた家中の者の人相画を描いていた。
ナイフ様は描き上がった絵を手に取った。
「相変わらず上手だのう、いーさんの絵は」
「豊臣の孤立は時間の問題…淀様は気付いておられるだろうか。
私がこうして人相画など描いて、挑発の裏で諜報活動をしている事に」
豊臣での滞在中に描く人相画の数はどんどん増えて行き、
帰る日が近づいた頃には一冊の分厚い綴りとなった。
そんな夕方、部屋に豊臣の家臣がやって来た。
「新井殿、淀様がお呼びにございまする」
これにナイフ様と又七郎、井伊の旧家臣代表は恐れ戦いた。
「こいは…お召しじゃっどか」
「お召しだろう、又七郎殿」
「花様にこんな事が知れたらと思うと、恐ろしゅうございます…!」
「着替えてから参りたい、少しばかりお待ちいただけるか」
俺は豊臣の者に言って、襖をぴしと閉めた。
「いーさん、淀さあんとこ行っとか?」
「行きたくはないが、そういう訳にも行くまい」
「行ってはならぬいーさん、淀様に美味しく喰われてしまう」
「だめですいーさん、行ってはなりませぬ! そんなのだめ過ぎます!」
皆は襖から一番遠い隅に固まり、小声で俺を制止した。
俺は彼らを尻目に荷物から着物を出して着替え始めた。
「あれ? いーさん持って来たんですか、その装束」
「気に染まぬお召しなど別人に行かせればいい」
着替え終わった俺は着ていた物を簡単にたたんで、又七郎に手渡した。
「俺は井伊直政…行って参る」
部屋の外で待機していた豊臣の家臣に先導され、扇で顔を隠しながら廊下を歩く。
「誰だあれ」
「橘紋…井伊殿か?」
「まさか、井伊殿は戦死しているはず」
そうだな、井伊直政は死んだ。
俺が殺して幽霊にしたのだから。
「私は新井殿を召したはず、誰が別人を連れて参れと申した!」
部屋で待っていた淀様は立腹して、家臣に当たり散らした。
「新井のいーさんは疲労によるお熱のご様子、私が命を受け代参致しました」
「そなた、その声…」
俺は淀様の下座に座り、扇を顔から外して畳んだ。
「井伊兵部少輔直政、新井殿の代理人」
「…新井殿!」
「いいえ、違いまする…ここにいるのは新井直政にはございませぬ、別人にございまする」
俺は指をつき、頭を下げたまま淀様の顔を見ず答えた。
「なんと…別人になりすましてまでとは、そんなに私が嫌か」
「はい、敵と通じては淀様にもまずうございますので。
私が徳川を裏切れぬように、淀様も豊臣を裏切れぬでしょう」
淀様は横を向いてため息をついた。
「では代理人の井伊直政に聞く…そなたはすでに死んだのではないか。
ここにいるのはなぜだ、幽霊とでも申すか」
「幽霊とは現世に心残りのある者がなるもの、私も徳川の行く末に心残りがございまする」
「行く末なあ…」
「ナイフ様は長生きされるのか、徳川は世に安寧をもたらす事が出来るのか…」
ふふと淀様は笑い、にじりよって近づいて来た。
「新井殿…いえ、井伊殿、それはそなたが豊臣に来てくれさえすれば解決します。
そなたは武勇にも政治にも優れておる、加えてこの美しさ…」
どこがだ、こんな濃い童顔。
井上会の総本部に出勤すると、雑用上がりの若いのからどこの新入りだとか、
新入りのくせに態度がでかいだの、ちょくちょく凄まれるような童顔だぞ。
おかげであだ名が「新入り」になったぞ。
「四十過ぎとは聞いておるが、少年…いや女人のように美しい。
いかにも衆道好みだが、おなごにもこの美しさは十分通じる。
それはこの世の者ではないからか…」
淀様は手を伸ばして、俺の肩に置いた。
上流の婦人らしい真白な手だ。
淀様は華やかな顔立ちをしており、体格にも恵まれている。
普通の男ならばひと目で陥落するところだろうが…。
「ご容赦くださいませ、淀様」
俺は淀様の手からすり抜けた。
「新…井伊殿!」
淀様は腰を起こして俺を捕まえ、必死にしがみついた。




