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第44話 のけぞる又七郎

第44話 のけぞる又七郎


井伊直政を思い出す…?

あ、そうか…今、俺は井伊直政の扮装をしているのだったな。

井伊の旧家臣の目に、俺はそんなに似ているのだろうか。


「…俺は一体どのくらい似ているのだ、井伊直政に」


俺はふと気になって、彼らに聞いてみた。


「似ています…そうやって殿の扮装をしているいーさんは、まるで殿が帰って来たようです。

少しでも気に入らないと、ねちねちと嫌味を言ったり、叱責したり。

それからすぐに部下を手討ちにするので、家臣らは皆怯えて怯えて、

家族と水盃を交わしてから出仕したり…思い出してしまうのです」

「井伊の家臣団の中には他家へ逃げ出したり、ナイフ様に配置転換を嘆願する者もあり、

ひどいとそのまま出奔する者もありました」


どんな思い出だよ、ろくな思い出じゃないな。

と言うか、ナイフ様の作り話のネタはこれだったのか…。

他の者もぷっと吹き出していた。


「…だめ過ぎる。お前ら井伊直政にもっとまともな、いい思い出はないのか?」

「そんなものなど毛頭ありません! でも我ら井伊からの者はいーさんに殿を思い出します、

『殿がこんな人だったら』、『井伊の家がこんなに楽しい家だったら』、

井伊の家で殿の許怯えながら、皆で抱いた夢を思い出します…!」

「そんなつまらん夢など見るな…」


俺はぷいとそっぽを向いた。


「なんでです、いーさん」

「命を懸けたくなる、仕えたくなる主君に家、そんなものは当たり前だ。

それを家臣に用意するのは、主君として当然の事」

「当然て…」

「お前らは主君に恵まれなかっただけだ、外には魅力ある家がたくさんある。

夢などではない、これが現実。

もうそんな夢など見るな、この新井の家が当然の現実だ」


井伊から来た者たちは皆、泣いていた。

その様子に、又七郎や元より火狐の者も泣いた。



「おいはいーさんがいーさんでよかったち思も。

いーさんが井伊直政じゃったら、討たにゃいけんとこじゃった」


家に帰って寝る前に、又七郎が背中や腰を揉んでくれた。

又七郎の腰揉みは案外痛い。


「いーさん…おい、なんとのうわかったとね。『愛より思う人』ん意味」

「そりゃ結構」

「おいは命ば捨てがまっとこ間違うちょったらし。

おいは島津ん家から自由んなりとうて、関ヶ原からん退却戦で捨てがもうた。

け死んつもいじゃった、捨てがまりはけ死むちゅ事じゃから…。

け死んで自由んなっつもいじゃった。

じゃどん、そこんいーさんが現れよった…」


又七郎はあの時、自殺しようとしていたのか…!

それを俺が止めてしまったのか。


「…いーさんは島津も東軍もみいんな潰らかっせえ、おいば助けてくれた。

すんぐ好いたど、おいが恋も愛もみいんないーさんがもんじゃっど、

おいにゃこん人しかおらんち思もたど…一生ば懸けてん良か、命ば懸けてん良か。

愛ば捨ててんおいはいーさんが事思も、愛よかいーさんば思も。

そげん主君と家ん出会えた事、又七郎は幸せもんじゃっどね…」


俺より老け顔のくせして、可愛らしい事を言う。

俺は寝返りを打って仰向けになり、又七郎を見上げた。

腕を伸ばして彼の首に引っかけ、ぐっと引き寄せる。

そうして鼻と鼻を食い違わせ、俺は目を閉じた。


「…おいで又七郎、触ってやるから」

「お、今宵こそしてくれっとか?」

「馬鹿か、誰がするものか…」


俺は又七郎に触れた。

又七郎の肌はいつだって雨が匂う。


「…いーさん、いーさんはまこち気いが多かね。

ナイフさあ、花さあ、直孝さあ、今誰ん事思うちょっ…?」


寝物語に又七郎はふとそんな事を言い出した。

又七郎には時々、独占欲や嫉妬深さを感じる。

実はそこも又七郎とは寝たくない理由だった。

寝てしまえば、又七郎の嫉妬深さは増長して手に負えなくなってしまう。


「直政殿の思い人?」

「花さあ、おいは花さあやなかかち思もけんど。

いーさんがおなごは花さあだけじゃっど、他んおなごにゃ見向きもせん」


翌朝、又七郎は大真面目で俺の思い人探しに出た。

まずは花からか。


「そうですねえ又七郎殿、私は亡くなった直政ではないかと。

私の前なのに直政、直政と…直政が憎らしゅうて私泣きましたのよ」

「まこてか」


又七郎はのけぞった。

すると、家中の者も面白そうだとそれに加わった。


「俺はナイフ様だと思うね、いーさんはナイフ様の前でだけ甘えるみたいだし。

ほら、心を許したっての?」

「いやいや、私は榊原殿だと思います。榊原殿と一緒にいる時のいーさんは、

くつろいでいて、楽しそうで…いわゆる大人の恋愛って言うんですか?」

「ま、まこてか…」


又七郎はのけぞった。

家中の誰がこの話を耳に入れたのか、ナイフ様や榊原殿までがそこに加わった。


「いーさんの思い人ねえ…ひょっとして忠恒殿ではないかな?

忠恒殿とは喧嘩もして仲もいいみたいだし…ほれ、喧嘩するほど仲がいいと言うではないか」

「絶対に直孝様ですよ、ナイフ様。直孝様の形見の脇差しをそれは大事に…。

つまり忘れられないと言う事にござりまするよな?」

「まこてかあ…?」


又七郎はのけぞった。

又七郎による俺の思い人探しはとどまらず、遠方に出す文にまで書き、

その返事で忠恒殿も按針殿も加わった。


「おいは按針殿やなかかち思も、二人こっそり異国ん言葉ば暗号に通じ合うちょっ。

歳も近か、心と心が通じ合う秘密ん恋じゃっどね」

「イーサンの恋人? それはこの世界で最初に見た男にございますよ!

ボーイ・ミーツ・ガール、よく言うではありませんか」

「まこてか…!」


文を読んだ又七郎はのけぞった。

ちょうどのけぞったところを捕まえ、俺はその額を何度も指で弾いた。

又七郎は「ぎゃひ」と悲鳴を上げて、悲痛な声でひいひい鳴いた。


「痛かと! いーさん何しよっと!」

「くだらぬ事をしているようだな、又七郎」

「お、そうじゃ。いーさん、『ぼーい・みーつ・がーる』ち何ね? 蜜ん種類じゃっどか?」

「『ボーイ・ミーツ・ガール』、直訳すると少年が少女と出会うと言う意味の英語だ。

男女が出会って恋に落ちると言う、物語の形式の定番なのだ。

それがどうした又七郎、まだ弾き足りないか?」


又七郎は慌てて按針殿からの文を広げて見せた。


「按針さあがそげん書いちょっと」

「ふうん…俺の恋人はこの世界で初めて見た男なあ…」

「きっとこん又七郎ん事じゃっどね」


いや、それは違う。

俺が初めて又七郎を見た時には、到着から少し時間が経っている。

この世界で初めて見た男…俺は按針殿の文章にどきんとした。


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