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第41話 井伊が望む永遠

第41話 井伊が望む永遠


「何があった?」


俺は瓦礫と死体の山に座り込む直孝様に聞いた。

直孝様は腕を伸ばし、俺の首筋に抱きついた。


「…火狐が来ました」

「やはり…」

「火狐は家臣らを襲いました…そんな火狐に私は手を貸しました。

だからこうしてひとり生き延びているのです」

「直孝様…?」


直孝様の背中が震えている。

彼は泣きながら俺の唇を奪い、手で身体を探った。


「…私は火狐の者らと共に家臣らを殺しました、屋敷を破壊しました。

全てはいーさん…あなたに会いたい、あなたに愛されたい、ただそれだけのために…!」


驚いた…井伊の消滅は火狐と直孝様が手を組んでの犯行だったとは。


「あなたにとって私はほんの戯れだったかも知れない、でも私はあなたを心から愛しました。

あなたが父でなくてよかった、でなければこんなにあなたを思う事など出来なかった。

…敵があなたを愛してはいけませんか、井伊があなたを愛してはいけませんか?」


俺は涙を流す直孝様の顔に、井伊直政の面影を探していた。

直孝様は井伊の子らの中でも特に似ているという。

でも俺にはどことなくナイフ様に似ているように思えた。


「直孝様、私は…今は私があなたの父だったならばよかったと思っている。

そなたの父ならば、直政ならば、全ては愛で片付くから…」


俺は求める直孝様から身体を離した。


「…いーさん、あなたも『直政』だ」

「確かに私の名も『直政』だ、でも私は『いーさん』…」


少年は瓦礫に手をついて、くずおれた。

涙の粒がその手を汚す灰の中にぱらりぱらりと、落ちては染み込んで消えていく。


「いーさん…そなたに情けはないのか?」

「私は『コールド・フィッシュ』、冷たい魚だ。情けなどはなから知らぬ」

「私の願いが叶わぬならば、せめて私という存在を心に留め置いてもらえぬだろうか。

…それは愛でもなく、情けでもなく、そなたの心の冷たさとして。

いーさん、どうかそなたの手で私を、この井伊直孝を討ってくださいませ…!」


直孝様は帯に挟んで、懐に隠しておいた脇差しを取り出し、

それをそっと差し出して俺の前に置いた。

鞘についた金具の家紋が、日没のほんの一瞬に光った。

花橘…その花弁は指の欠けた俺の手が作る夜の始まり、青い闇に染まった。

雲が晴れて、銀色の細い月が姿を現す。


「すまぬ、直孝様」

「いいえ、いーさん…直孝はこの上なく幸せにございます。

愛のために、愛する者の手で逝けるのですから…」


俺は直孝様の首を跳ねた。

俺は愛した人を忘れても、殺した人は決して忘れない。

井伊直孝、あなたは俺の永遠だ。

永遠は俺の心の奥底に冷たく沈めばいい…。


俺は荷車を借りて、直孝様の遺体を着物にくるんで首と共に近くの沼に運び、

身体のあちこちに切り込みを深めに入れて、ガスの逃げ道を確保しておき、

同じく井伊の屋敷の瓦礫から見つけた金網を巻き付け、沼に沈めた。

それから枯れ木を集め火打石で火をおこし、

彼の着ていた衣類が燃えてゆくのを眺めながら、煙管に葉を詰めてたばこを吸った。

井伊は透明になってゆく…。


「散歩ち…ずいぶんゆっくいしちょったとね、いーさん」


徳川の御庭の家に戻ると、又七郎がきゃんきゃん言いながら奥より飛び出し、

俺の足許にぐるぐるとまとわりついて来た。


「…いーさん血腥か、何しちょったと」

「季節外れの花橘を見つけてな…棘で傷つけてしまった」

「この季節に花橘とは…いずこの橘やら、危ないこと」


花様は俺の手を取った。

そしてその手を自分の頬に寄せた。


「直政殿、そなた…直孝を討ったのですね? 井伊を滅ぼしたのですね?」

「私は新井直政、新井の家の当主だ。当主が当主の仕事をしたまで」


俺は目を揺らす事もなく答えた。

花様は目を閉じて静かに涙を流した。


「ありがとう直政殿…これで井伊からの者の心も安らぎます。

この花が井伊を代表して感謝いたしまする…まことありがとうございまする」

「…花」


俺は初めて花様を呼び捨てにした。


「そなたたちは新井の者、井伊の者であった事はもう遠い遠い昔。

私たちは火狐、そなたたちこそ先駆けて井伊の家臣を殺るなど…。

私に隠したつもりでもばればれであったぞ」

「花さあ、おいたちん事ばれちょっと」


花は涙もそのままに笑った。

又七郎も笑った。


「いやだってさ…いーさん連れて行ったら、絶対に前飛び出すだろ?」

「大将が前衛とかいーさんはアホ過ぎだろ、今は身分もあるんだし」

「いーさんがいくらアホの総大将でも、死なれたら俺ら新井の火狐が困る」

「いーさんこそ井伊直孝殺っちゃって、どこの『人斬り兵部』だか。

そんな汚い仕事なんか俺ら火狐に任しときゃいいのにさ、馬鹿じゃね?」


新井の家の者たちも笑って、俺の悪口を口々に言い出した。


「お前ら…よくもまあしゃあしゃあと一家の当主の悪口など言えるな、どの口が言う。

手討ちだ、お前ら全員手討ちにしてやる!」


家中の者はきゃあきゃあと騒ぎながら逃げ出す。

それを俺が麺棒を振り回しながら追いかける…。



「いーさんや」


ナイフ様は俺に話しかける時、大体「いーさんや」で始める。

俺はじいさんばあさんか。


「は、ナイフ様」

「新井のお家はとても楽しそうだな、私も近くまたお邪魔するぞ。

新作のうどんを考えたのだ、今度のは滋養強壮の薬膳効果もあるぞ」


ナイフ様こそが新井の家を一番に楽しんでいるようだった。

でも彼は俺の脇に置かれた新しい脇差しを見逃さなかった。


「そなたの新しい脇差しは花橘か…井伊の物だな、それは」

「さあ…拾った物にございます故」

「いーさん…とうとう井伊を落としたのだな?」


ナイフ様の目が光った。


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