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第37話 ちんたか熱帯魚

第37話 ちんたか熱帯魚


「私を透明にする」、ナイフ様は俺を危険視しているのだ。

いつか謀反を起こすかも知れないと。


「いいえ…私は天下に興味はございませぬ故、謀反を起こす事は毛頭ありません。

ただナイフ様が仁義に外れる時あらば、その時私は迷う事なくナイフ様を討ちます」

「仁義か…」

「人の道、ここでは武人としての道にございまする」

「やはり面白いのう、いーさんは」


ナイフ様はくすくすと笑った。

…そこは触らないでくれ、俺が女になってしまう。

女のように身悶えて、特有のあの甘い声を喉の奥から吐き出してしまうではないか。

熱くなって、赤い肌が一層匂い立つではないか。


俺自身は自分の匂いなど気にした事はなかったし、抱いた女に言われた事もなかったが、

女のような匂いがする、俺を抱く男は大体そう言った。

又七郎も確かそう言っていた。

俺の独特な匂いは男を夢中にさせ、こういう時非常に有利に働いた。

全く男色の気もない男だって簡単だ。

俺も全くの男色ではない、だから冷たく醒めてより簡単だ。

どうすればいいか計算ずくだ、俺は動いた。


「ナイフ様は直政殿にもこのような事を…」

「まさか、そなただけだ…直政は美しかった、そして愛らしかった。

でもこんなに妖しくはなかった、男を挑発し、煽情するような、こんな淫らな男ではない。

こんな…成熟したいやらしい果実などではなかった…」



明け方家に戻ると、忠恒殿が起きて庭先に出ていた。


「ナイフさあん側んおっとか、いーさん」

「それも仕事だ」

「又七郎が泣くど。あいつは生粋の衆道じゃからな。

いーさん、おまんさは又七郎ん気持ちば考えた事あっとか?」

「何が言いたい」


忠恒殿は俺の肩を抱いて、耳にそうっと自分の唇を付けた。


「男ん嫉妬はまこち恐ろしか、あんま又七郎ば泣かしよったらいけんでね…」

「何を言う」

「又七郎はおまんさにわっぜ惚れちょっ、おいはそん愛が怖かと」


忠恒殿も気付いていたか。

俺も又七郎の行き過ぎた愛情が怖い。


部屋に戻り、まだ眠る又七郎の寝顔を見つめる。

…こうして見る又七郎は整った顔をしており、実に美しい。

俗世でもなく浄土でもない、どこか別の空間をゆっくりと漂うかのように。

汚れを知らず清らな事は、無機質なる化学から抽出された物質の如く。


又七郎の愛情はとても純粋で、とても真っ直ぐだ。

俺ではそんな気持ちに十分応える事は出来ない。

例え俺が又七郎を愛したとしても、又七郎はまだ愛を求め続けるだろう。

又七郎は満たされる事を知らず、永遠に渇き続ける砂漠なのだ。

俺は冷たい魚、又七郎は灼熱の砂漠。


徳川にはしばらく滞在し、忠恒殿は薩摩へ帰って行った。

彼を見送ってナイフ様に報告を済ませると、その夜はもう仕事がなかった。

家でお湯を使い、何か軽く食べてふとんに入る。

狭い家の事なので、又七郎とふとんを並べて。

便所の近くなった又七郎は夜中も便所に立つので、俺も目が覚めてしまう。


「いーさん…おい、ちいとも寝られん」


又七郎は勝手に俺のふとんに潜り込んで来た。


「やめんか、暑苦しい」

「抱いてくれんねいーさん、そいだら寝れっ気いがすっと」

「だめだ」


俺は寝返りを打ってそっぽを向いた。


「なして?」

「言っただろ、お前とだけは寝ないと。

お前と寝てしまえばお前との関係が終わってしまう、それが怖いと。

又七郎…お前は愛より思う人、大事に思うからこそだと」

「嫌じゃ、おいはそいじゃ嫌じゃっど! おいはいーさんに愛されたか。

抱いて欲しかと、抱いてくれんねいーさん、大事に思うなら…!」


又七郎は突然抱きついたかと思うと、俺を下に組み敷いた。

そうして俺の唇を自分の唇で、舌で舐って塞いだ。

その手は寝間着の襟を、裾を割って乱す。

俺は又七郎の顔を覗く…こんな又七郎は見た事がない、初めてだ。

あの美しい顔が、怒りと悲しみと欲望の混じった何とも言えぬ形相である。

肉欲に燃える愛の鬼か…醜い、でもとても淫靡だ。


又七郎は何もない股間を、俺の下半身にただこすりつけるだけだった。

いくら息を弾ませても、いくら腰を動かしても、又七郎に絶頂はない。

絶頂以前に勃起も射精もない、月経も妊娠もない。

又七郎には交わる事も結ばれる事もない、何もない虚しい股間しかなかった。


「無駄だ又七郎、その身体で何が出来る」


俺は又七郎の腕をすり抜けて起き出し、寝間着の乱れを直した。


「じゃどん、いーさん…!」

「他の誰と寝ても俺はお前とだけは寝ない、俺が自分の心にそう誓った。

お前を抱いてしまえば、俺は俺自身に負けてしまう。

上司と部下の平和な関係が、どちらが上になるか愛の戦に変わってしまう。

それは俺の負けを意味する」


俺は又七郎の愛情が恐ろしい。

彼の真っ直ぐな愛が、俺を変えてしまうのが怖い。

又七郎を抱いてしまえば、俺は彼に溺れて何も見えなくなってしまうだろう。


「…いーさん?」


俺は又七郎をふとんの上に押し倒して、彼の膝を割って前に出ると唇を奪った。


「わからないのか、俺はお前が怖い」


お前を愛してしまえば、俺の全てがお前一色に染まってしまう。

俺はきっと心の均衡を失い、お前への愛に身を焦がして死んでしまう。

俺は冷たい魚、熱の中では生きて行けぬ。

熱い身体に冷たい心、俺は微妙なバランスの上を綱渡りのように泳いでいる。

「ちんたか熱帯魚」…そうかもな、又七郎。


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