第33話 リップ・ヴァン・ウィンクル
第33話 リップ・ヴァン・ウィンクル
三浦按針殿の馴染み様は、俺の料理をきっかけに一気に加速した。
それから俺は家中の者の策略に引っかかり、何度も手討ちとなって麺を打つはめになった。
「ラザニア」、「ラビオリ」、「かた焼きそば」、「クスクス」…。
「いーさん、こん『くすくす』ちゅうもんは保存が効くとね、
戦ん時も持って行けっし、前もってようけ作っちょけば飢饉ん時も食えっど」
「これはお米のように使えますね」
「これなら味付け次第で飽きも来ません」
作った中で、意外にも「クスクス」が一番の評判だった。
それから麺ではないのだが、「パエリヤ」や「ジャンバラヤ」も好評だった。
ナイフ様もちょくちょくやって来ては、これらの料理を食べて行った。
「イーサンはどうして世界の料理をこんなにもたくさんご存知なのですか?」
按針殿は食後によく徳川の庭を散歩していた。
そんなある夕食の後、按針殿は散歩しながら言った。
「私は世界のあちこちの人間と接しておりましたので…」
「イーサンのおられた世界とはどのような世界だったのですか? とても興味があります」
「私が狐憑きに遭うまでいた世界は…ここよりもずっと文明の発達した日本でした。
私から見ると、ここはまるでだいぶ昔にタイムスリップしたような…。
私は別世界に迷い込んだリップ・ヴァン・ウィンクル、もしも元の世界に戻れるなら、
その時私はきっとお爺さんになりまする」
按針殿は不思議そうな顔をした。
「リップ・ヴァン・ウィンクル」はこの世界にはまだ生まれていない、しかもアメリカの物語だ。
でも、もしもこの世界が俺から見た過去の世界ならば。
この状況を例えるには「リップ・ヴァン・ウィンクル」が一番近い。
「…イーサンは元いた世界に帰りたいと思った事はありますか?」
「按針殿…心中をお察しします、しかし私は一度も戻りたいと思った事はございません。
私は航海中に漂着したのではなく、狐憑きに遭ってしまったのです。
私には帰る道などございません、ナイフ様もここで生きろとおっしゃってくださいました」
私の話を聞きながら、按針殿は目に涙を浮かべて俺の肩に手を置いた。
「イーサン…!」
「按針殿、私はそなたがうらやましい。
帰る道もある、恐らく元いた国には按針殿を待っていてくださる方もおられる。
私は初めから私自身だけ、帰りを待つ者などおりませぬ…。
でもここには迎えてくれる人がおります、私は彼らのためにここで生きまする」
按針殿は私の肩を抱いた。
きっと国が恋しいのだろう。
残して来た人たちを思っているのだろう。
次の謁見で按針殿は帰国を願い出たが、それは叶わなかった。
俺も一緒に願い出たが、やはり政治的に難しかった。
ナイフ様は按針殿に言い、俺はそれを訳した。
「按針殿、帰国を願うそなたの気持ちはよくわかる。
でもそなたは航海の途中で難に遭い、この国に流れ着いた。
仮に帰国の航海に出たとしても、帰還の確立は低いのでないだろうか」
「しかしながらナイフ様…」
「そなたの家族の心情を思うと、危険を冒して命を散らすより、
例え遠国であっても、ここで無事に生き続けた方がきっと嬉しいはずだよ。
そして私もそなたを亡くしたくはない…辛いだろうがわかっておくれ、按針殿」
按針殿は床に上体を伏せ、声をあげて泣いた。
俺はそんな彼の背中を抱いて折り重なった。
この謁見で按針殿は正式に保護と登用が決まり、造船のために住居を移す事になった。
彼の出立は謁見の翌々日だった。
俺は新井の家の者たちに、自ら手討ちになると申し出た。
出立前夜の夕食は、最初と同じグラタンだった。
今回は魚介のグラタンで、鍋の上に乳脂を練り込んだ生地をかぶせ、
その上から火を通した魚の頭を上向きに飾り付けて、かまどで焼いた。
又七郎や花様は気味悪がっていたが、按針殿は嬉しそうに目を見張った。
「『スターゲイジー・パイ』!」
「十二月二十三日ではないのですが…今宵は按針殿を送り出す夜にございます。
按針殿はこれから徳川の家臣として、この国の社会へと漕いで行かれる。
私は按針殿のご武運と、これからの幸せをこのパイに祈ります」
飾りの魚の頭はともかく、料理そのものは至極普通だったので、
最初は気味悪がっていた又七郎や花様も、美味しそうに食べていた。
花様はこの料理と俺の取り合わせを笑った。
「冷たいお魚さんが温かいお魚にございまするか」
「冷たい魚にも体温はありますので」
食後、按針殿は最後の散歩に庭へ出た。
俺も彼の散歩に付いて、夜の庭を一緒に歩いた。
庭木の花が灯籠の柔らかな光に照らされ、下り坂の空気は湿気を帯びて艶かしく、
それはなんとも妖しい光景だった。
「…イーサン、いろいろと良くしていただいて、まことありがとうございました」
按針殿は口を開いた。
「イーサンとの出会いがなければ、私はすぐにこの国を飛び出していました。
でもイーサンはここで生きる道を示してくださいました。
新井の家はまこと幸せの家、それがイーサンがここで生きた結果にございますね。
明日私はここを離れますが、またイーサンに…新井の皆様にお会い出来ますか?」
俺は両手で按針殿の手を取り、それを自分の胸に引き寄せて当てた。
「Please remember, Arai the house of happiness is always next to your mind....
按針殿、どうか心にお留め置きくださいまし、
幸せの家は、新井の家はいつでも按針殿のおそばにございます事を」
俺は按針殿の目をじっと覗き込んだ。
按針殿も俺の目を見て、そして微笑んだ。
「Ethan “ The Cold Fish”, You're a wonder one...two hearts is living in you.
The cold fish makes me warm and lovely, lovely...!
イーサン、『コールド・フィッシュ』…そなたは不思議な人だ。
冷たい表情に温かい心、冷たい魚の温かいお気持ち、
按針はとてもとても嬉しゅうございました…!」
按針殿は翌朝、新井の者とナイフ様に見送られて任地へと旅立って行った。
その日の昼下がり、俺は忠恒殿からの文を受け取った。
「くそう忠恒め、いーさんと文通が続いちょっとは…許せんでね」
ぎりぎりを歯をきしませて、悔しがる又七郎をよそに俺は文を開いた。
内容はもうわかりきっている、どうせ亀寿様とののろけ話に決まっている。
「忠恒殿も下らん事をわざわざ…」
呆れながら冒頭の挨拶を読み、続いて本文に入った。
ところが忠恒殿の書く文章はいつもと違い、ずいぶんと改まったものだった。
文を読み終えた俺は急いで出仕の支度を始めた。
「いーさん、出仕じゃっどか? どげんした?」
「急ぎナイフ様にお目通りを願う、お前も来い」
忠恒殿からの文には島津家中の反徳川派の不穏が書かれてあった…。
■「リップ・ヴァン・ウィンクル」…西洋浦島。なろうテンプレの始祖。
冴えないおっさんが異世界チーレム炸裂! 衝撃の結末!




