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第31話 アホの総大将

第31話 アホの総大将


「じゃどんいーさん…!」


又七郎が叫んだ。


「アホかいーさん!」

「それは死ぬぞ! 馬鹿かいーさん!」


新井の家の者も俺の提案に叫んで拒否した。


「構わん! 俺は死なん! 早く!」


俺は敵中から叫んだ。

新井の家の者はためらい、そして意を決して俺のいる敵の群れを標的に、

それぞれが所持していた焙烙玉を、次々と放り込んでいった。

俺は玉の軌道を読み、爆発発生時間を計算した。

そこから逆算して敵中を突破し、着弾地点からずれた。


「ファイア!」


爆発は発生し、上がる爆煙はわずかに遅れる井伊の家臣らを飲み込んだ。

井伊の家臣とその装備品、河原の石や木片など、さまざまな物を巻き込んで、

爆風が腰の草摺を、はいだてを巻き上げて、裏に隠れる赤い炎を立ち上げ、

防具から露出する赤い肌を舐めては切り刻んでいき、

身体に無数の傷を作って背後へと逃げて行った。


「…いーさん!」


又七郎の泣く声がする。

俺は徐々に晴れていく土煙の中、井伊の家臣の生き残りの首を槍で突いた。

刃こぼれはしていないが、爆風でぶつかる物で組み立て式の大槍も傷だらけだ。

表面がはげている…つや消しの黒の下は赤だったのか。

黒の中にところどころ下地の赤が見える。


「赤…!」

「悪いな、赤は炎の色だ。炎の色は火狐の色…井伊の色に非ず。

色は陰があってこその色、貴様のように陽しか知らぬ者に色は使いこなせぬ…!

赤備え? 今、俺が貴様ら井伊を赤備えにしたぞ! 

陰を知れ、さすれば井伊の赤備えも少しは深みが増すだろう、色は陰あってこそ!」

「おのれ新井め…」


井伊の生き残りは立ち上がり、俺に斬り掛かった。

でももうよろよろだ、そんなの簡単に避けられる。

別の兵がその男を取り押さえた。


「…やめとけ、俺らじゃ敵わん」

「くそ…!」


井伊の残党らは捨て台詞を吐きながら撤退していった。

川を渡る夜風が傷にしみて痛い。

俺は彼らの後ろ姿に背を向けた。

そこには新井の家のやつらの笑顔があった。


「いーさん、総大将がそんなぼろぼろじゃだめですよ」

「『俺ごとどかん!』とかアホ過ぎでしょ? これだからアホの総大将は」

「いーさん、『こーるど・ふぃっしゅ』ち何ね? アホん総大将っちゅ意味じゃっどか?」


そう笑う新井のやつらもぼろぼろだった。


「『コールド・フィッシュ』は英国の言葉で、直訳すると『冷たい魚』、

『感情を露にしない冷淡な人』という意味だ…それが敵中であっても、爆撃の中であっても」

「おお、やっぱいアホん総大将ち意味じゃったか」

「『アホの総大将』…そうかもな」



以降、井伊の家臣らが新井を襲う事はなくなった。

この密かな戦いで新井の家は、井伊の家を完全に下に組み敷いた。

直孝様はまだ俺が忘れられないらしく、「いーさん、いーさん」と言っているが、

どう見てももうただの廃人だ、更生する事は二度と叶わないだろう。

人は薬物にではなく、経験に依存する。

一生俺に、新井の家にすがりついて、惨めに生きればいい。


戦いの後処理には榊原殿が一役買ってくれた。

俺の恋人、俺の水。

家中を動き回って火種をもみ消してくれ、井伊との戦いはなかった事にしてくれた。


「しかしいーさんもやりおるの、あの井伊が見る影もない」

「榊原様こそ…良いのでございますか、亡くなった直政殿の遺したお家を」


俺と榊原殿は人目を忍んで抱き合い、井伊の凋落を笑い合った。


「私は生前の直政に、井伊の家の行く末を見守る事を誓った。

私は今も井伊の家の行く末を見ておる…新井の家に生きる井伊の家の行く末を」

「本当に悪い人だ、私の恋人は」

「そなたと出会うた時、私もそなたに直政を重ねた。

でもそなたは直政ではなくいーさん、直政は私の恋を叶えてはくれなかった。

そなたは…いーさんは叶えてくれる、抱いても必ず応えてくれる…」


榊原殿も花様と同じ事を言う。

亡くなった人がどうだったかは知らない。

俺と同じ、冷たい魚だったかも知れない。

でも俺は仁義には応える男…やくざだから。

冷たい魚は表情こそ変えないが、心くらいはある。

俺は心を込めて、榊原殿の肌に唇を滑らせて愛撫した。

大好きな年上の恋人、水として俺を沈めておくれ。

俺の心の奥底に眠る淀をかき回して、白煙を上げておくれ…。



「いーさんや、そなたは英語を話せるかね?」


ある日の事、ナイフ様が言い出した。


「いやね…火狐の者からいーさんなら、英語がわかるかも知れないと聞いたものでな」

「英語は簡単な日常会話程度でございますが、あまり奥深くまではとても…」


台湾伊家の祖父は台湾人は英語も使うからと、俺に英語も教えてくれた。

ただたった三年あまりでは、俺の英語もあまり奥深くはならず簡単な英会話程度に留まった。

その後仕事で英語のやりとりもあり、少しは上達しても、

それでも専門的な用語まではわからずじまいだった。


「おお、やはりわかるのか。渡英でもされたのか?」

「いいえ、井上の家の前に台湾人の家で世話になっておりまして、そこで習いました。

台湾人らは香港人同様、海外とのやりとりに英語も使いますので」

「今、流れ着いた英国人を徳川で保護しておる。

在日の外国人を用いた、ポルトガル語や中国語を経由しての通訳はいるが、

英語と日本語を直接通訳する者がおらず、意思の疎通が不十分な状況にある。

いーさん、通訳を頼めないかね?」


流れ着いた英国人か…俺みたいだな。

見知らぬ土地で淋しい思いをしている事だろうに。


「わかりました、ナイフ様。私ごときの通訳では不十分にござりますが、

それでもこの新井直政、最善を尽くしまする」


俺はその外国人と接した事のある者より、事前に情報を仕入れる事にした。

名前はウィリアム・アダムスと言うらしい。

年齢は俺より少し年下の三十代後、職業は航海士らしかった。

俺のいた世界で言う、三浦按針に相当する人物のようだ。


その数日後、俺はその三浦按針に相当する外国人の謁見に立ち会った。

新井の家からは又七郎が俺に付き添っていた。

又七郎にもこの様子を見せておきたかった、彼にもいずれ手伝ってもらいたい。


「老中の新井直政にございます、アダムス殿には初めてお目にかかります」


俺は英語で切り出した。

果たして俺の英語は通じるのだろうか、不安だ。


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