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第3話 御庭の家

第3話  御庭の家


ナイフ様はただの老医師ではなく、れっきとした武家の将だった。

しかも天下を統一して、次の将軍は確実だと又七郎は言う。

ナイフ様はそれからも毎日俺たちの部屋を訪ね、額の手ぬぐいを換えたり、

薬を飲ませてくれたりと、献身的な看病をしてくれた。

ナイフ様の作る薬は効き、熱もある程度まで引いた。


「…しかし、まだ顔も手も赤いのう。薬の効きが悪かったのだろうか」

「いいえ、これが平時にございます。私は体内に熱がこもりやすいので…」


ナイフ様は俺の手に触れ、名前を呼んで心配してくれていたが、

俺の平熱は高く、最低でも37.0度はあった。

そのせいか肌は赤く、やたらと冷たいものを好んだ。

火の中の火、漢方で言うところの実熱証だ。

ナイフ様は握った俺の手を、自分の頬に寄せて言った。


「まるでそなたの中に炎が燃えているようだ、吉富殿…いや、直政」

「それはきっと業火にございましょう…。

私も商いのためとは言え、大分悪どい事にも手を染めました故」



ナイフ様が帰ってしまうと、又七郎が桶に入った水と手ぬぐいを運んで来た。

彼に手伝ってもらって、汗をかいた身体を拭き清める。


「ナイフさあはいーさんにけ死んだ人ば重ねちょっと」

「死んだ人…?」

「うん、いーさんも『直政』だから」

「『直政』なんてありふれた名前だろが」


俺は父が日本人だから、「吉富直政」を戸籍上の名前にしている。

名前はその父が命名した。

由来は知らない、だが日本人らしい標準的な名前である事に何度感謝した事か。


「『直政』はこん戦国ん世界にもようけおっと、

じゃどん『直政』はそん人ん名あ、ナイフさあが一番可愛がっちょった家臣じゃっど、

…そんでいーさんが殺した敵ん名あでんあっと」


俺が殺したのか…!

それなのにナイフ様は、それを知った上で俺に優しくしてくださる。

俺はナイフ様になんと申し訳ない事をしたのだろう。


「又七郎、俺はナイフ様に償わねばならんな」

「はい」

「今の俺に出来る事はナイフ様に貢献する事…お前も付いて来てくれるか?」

「こん又七郎はいーさんが家臣、おいたちは吉富家じゃっど。

当たり前やなかとね、おいが命はみいんなみいんないーさんのもん…!」


又七郎は指をついて一礼すると、俺の首筋にしがみついた。



俺と又七郎の身柄はナイフ様の預かりとなり、

そのまましばらく彼の許で療養生活を送った。

時代の違いはあれど、俺はすぐにここでの生活に慣れた。

どこだって俺の過去よりは絶対にましだ。


翌年の早春、俺たちは城を移るナイフ様とその軍のご一行に伴った。

ナイフ様の城は駐屯地から、少し北に行った黒っぽい城だった。

俺がいた世界で言う、伏見城や二条城に相当するらしい。

ナイフ様は城に入るとさっそく、城の一部に工事を入れ、

俺たちに簡単な家を用意してくれた。


「狭いところだが、ここなら近くて行き来もしやすいだろう」

「ありがたき幸せ、ナイフ様のお庭の中に置いていただけて嬉しゅうございます」


その家はなんと、ナイフ様の庭の中に建てられたのだ。


「しかしながら私どもにこのような過分なご配慮、心苦しゅうもございます」

「気にするでない、ここがそなたたち吉富家の最初の城、この庭が吉富家の最初の領地、

ここからそなたたちの家を始められよ」

「はい! ありがたき、ありがたき幸せにございます…!」



夜、小さな家の小さな部屋にふとんを並べて眠る。


「いーさん…いーさんはきっとナイフさあに、わっぜ気に入られちょっと」


暗闇の中、隣のふとんの又七郎がぽつりと言った。


「ナイフさあはあんま衆道は好かん人じゃけんど、いーさんどげんすっと?

もしナイフさあからお召しあっとなら…」


衆道…男色の事か。

又七郎は俺がそのうちナイフ様に誘われると言いたいのだ。


「俺は別に…」


俺は正直どっちでも良かった。

やくざは女好きのように思われるが、案外男色を嗜む者も多い。

懲役に行けばなおさらだ、免疫ぐらいはつく。


「いーさんは嫁じょや想い人はおらんとか?」

「俺は独り者だ…お前は?」

「おいは故郷に嫁じょば捨てっせえ、いーさんとこ来たと」

「それはだめだろが」


又七郎は寝返りを打った。

黒い塊が闇の中でもこりと動く。

そうして又七郎は俺の方を向いて、じっと目を覗き込んだ。

又七郎の目は暗がりの中にありながらも、濡れたように光っていた。


「…いーさんはおいだけんいーさんじゃっど、おいはいーさんに命ば懸けちょっ。

ずうっとおいが側んおって欲しかと」


何をホモ臭い事を…。

そうか、又七郎は衆道の者なのだな。

どうやら俺は大変な世界に来てしまったらしい。

ここはたぶん実際の戦国時代とは別の、「戦国終末期風ホモ世界」なのだ。

刑務所と同じか。



又七郎に手伝ってもらって、袴に肩衣の装束に着替える。

まだ髷は結えなかったので、後ろでひとつに束ねる事とした。


「どうだ又七郎、おかしくはないか?」


又七郎はぱっと花が咲いたような笑顔になった。


「いんや、きれいじゃっど…いーさんはわっぜわっぜよかにせじゃっど。

…じゃどんいーさん、そん額ん氷嚢はおかしか」

「構わぬ。そろそろ刻限だ、行くぞ」


俺たちはナイフ様の庭を通って、城へと出仕する。

城ではナイフ様が待っていてくださった。


「苦しゅうない。吉富殿に又七郎殿、よく来てくれた。

吉富殿もこうして装束を改めると、何とも見甲斐のある事よ」


ナイフ様は又七郎の事はそのまま「又七郎」と名前で呼ぶが、

俺の事は「吉富殿」と苗字で呼ぶ。

「直政」はこの世界でも至極標準的な名前で大勢いると、又七郎は言っていた。

きっと区別をつけたいのだろう。

…死んだ人とも。


「さて、さしあたってそなたたちに小姓の役目を与えたい。

吉富殿はここに来られてまだ日が浅い、又七郎殿は吉富殿を補佐せよ」

「は、ありがたき幸せ」


俺たちは指をついて一礼した。

ナイフ様は続けた。


「吉富殿を小姓にするのは、あまりにも年齢が高過ぎるのではないかと躊躇した。

しかしながら、この世の事を学んでもらうには小姓が一番ではないかとも考えた。

以降、よく励んで精進せよ」

「は」


四十歳の小姓か…。

なんと年老いた小姓よ。


「御庭の家」…職場と自宅は近過ぎてもいけないの見本。徒歩1分以内とかどうよ。

「熱実証」…基礎代謝も運動部の中学生レベル。

「直政」…事実に基づく。

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