第2話 老医師ナイフ様
第2話 老医師ナイフ様
又七郎は俺を背負って山道を歩き始めた。
俺の家来になるとは言っても、戦国時代に暴力団などあるはずはない。
「…なあいーさん、いーさんはなして『いーさん』ちゅうとね?」
又七郎は楽しそうに「イーサン」の由来を聞いた。
「ああ…俺、混血児なんだ…台湾人の孫。台湾人は本名の他に、
西洋の人間と円滑なやりとりを行うため、西洋風の名前を自分で命名する。
俺は祖父と母の苗字が『伊』(イー)だったから、それにかけて『イーサン』」
「『イーさん』? 」
「いや、『イーサン』。『イーサン』さんだ」
「『さん』がふたつ付くとはおかしかあ」
そうけたけた笑う又七郎は、そんなに大きな男ではないが力がある。
彼より身長も体重もある俺を背負っても、険しい山道をものともしない。
「…又七郎、どこへ行く?」
「とりあえず山ば下っせえ、人んおっとこ行こかち思も…いーさんに薬が要っと」
俺たちは山を下り、人気のあるところを目指した。
この辺りは小さな山が点在しており、ところどころにどこかの軍の旗が見えた。
大きな戦の後なのだろうか。
「おい又七郎…何だここは」
「しもた、敵陣じゃったか…」
又七郎は慌てて引き返そうとした。
しかしそこは敵中、俺たちはたちどころに囲まれてしまった。
「お前ら、島津の落ち武者か!」
「島津? そげん家終いじゃ、おいは島津なぞ…」
「その装備、貴様指揮官だな…これは首級御自ら参上とは」
敵は又七郎に斬り掛かった。
「又七郎!」
俺は彼の背中から飛び降り、又七郎の前に出た。
敵の刀が革で出来た俺のコートの袖を裂いて、その下の腕を斬る。
「いーさん…腕が!」
「細かい傷など気にするな、又七郎」
又七郎は歯をぎりりと食いしばった。
「貴様ら…おいばうっ殺すとは仕方なかけんど、こん人は、いーさんは何も関係なか!
どうか…いーさんば助けてくいやんせ、たのんあげもす…!」
又七郎は地べたに座り込み、指をついて敵に頼み込んだ。
敵は非情にもそんな彼を捕らえ、縄で手足を拘束した。
もちろん俺も捕まって、又七郎と同じく手足を拘束された。
俺たちは敵兵に引きずられ、荷車に乗せられ、どこかの陣へと連行されて行った。
そしてそこからまたあちこちへと移動させられ、俺は消耗した。
…熱が上がっていくのを感じる、俺はうつらうつらし始めた。
意識がだんだんと濁っていく…。
「…気が付かれたか、肌の赤いの」
目を覚ますと、どこかの城の中らしかった。
俺は板の間に敷かれたふとんに寝かされていた。
肥えた老人が俺の横で乳鉢を使っている。
医師なのだろうか、しかしその割には身なりが立派過ぎる。
「いーさん! 良かったあ…! いーさん、何日も何日も寝っぱなしじゃったど」
又七郎が泣き出しそうな顔で笑っている。
老人は苦笑していた。
「島津の又七郎殿が自分の命を差し出すからと、泣いて頼むのでな…。
いーさんとやら、そなたは大分変わったなりをしておる。
どこの家の者だ? 名は何と申す?」
どうやらこの老人は悪い者ではなさそうだ。
「…はい、名は吉富直政、所属などございません。
なにぶんこの世界に来たばかりですので、まだ…」
「ナイフさあ、いーさん狐憑きに遭うたと…遠か遠かとこから来よったとね」
又七郎は老人を「ナイフさあ」と呼んだ、知り合いか。
それがこの老医師の呼び名なのだろう。
「前の世界では商人として、大きな団体にも仕えていたのですが、
出荷した商品をめぐって揉めていたところ、黒い雨に飲まれてしまい、
それでこの世界に…」
俺は「やくざ」を「商人」と表現した。
暴力団は武家という側面もあるが、基本は利益を上げてしのいでいく商人であって、
抗争など戦闘は、しのぎに付属しているほんのおまけみたいなものだからだ。
「その世界の商人はきっと、武家をも兼ねているのだな…。
部下からの話に聞くそなたの強さは、とてもただの商人とは思えぬ。
まるで前線の兵士のようだ。」
「はい、商人には商人同士の戦いがございます故…。
仕事を、利益を、人材を守るためには、退けぬ時もございます」
ナイフ様なる老医師はふふと笑った。
そして乳鉢の中身を紙に乗せて、天秤で測りながら量を調節した。
「さ…吉富殿、薬を飲まれよ」
ナイフ様は出来上がった薬の包みを片手に、運ばせた水の椀を差し出した。
又七郎が俺を抱き起こしてくれた。
「…ありがとうございます、このご恩は必ずお返しいたします」
俺はありがたく薬を頂戴した。
苦い、だがこの世界の薬がどれだけ貴重な物なのかくらいわかる。
「私の部下たちを潰したそなたが、一体どのように報いてくださるか…。
ところで吉富殿は病が癒えた後、いかがなさる?」
「それは…」
まいった、この世界に降って湧いた俺には行く宛てなどない。
俺が弱り切っているのを見た又七郎は言った。
「恐れながらおいたち、ナイフさあにお仕えしたかち思も、良かかね?
いーさんが潰らかしたナイフさあん部下たちん償いもあっし、
おいも戦乱に乗じて家ば出奔したと、行くとこなか。
おいたちは捕虜、ナイフさあがおいたちを好きん使てよかと」
「又七郎…!」
俺は目を丸くした。
ナイフ様はそんな俺たちを見て、声を立てて笑った。
「償いなあ…そなたたちが彼らの代わりを務めると申すか、面白いことを言う。
気に入ったぞ、そなたたちは私が面倒見よう…心して仕えよ」
「…おおきにナイフさあ! んじゃ、今からおいたち二人は吉富家じゃっど。
いーさんが主君で、おいはそん家臣…おいはいーさんが家臣ち決めたし。
そいで良かとね、ナイフさあ」
又七郎は日が射すような明るい顔で小躍りした。
「その生まれたばかりの吉富家が、これからどのように成長するか楽しみだのう。
吉富殿に又七郎殿…私の許で手柄を立て、家を大きく繁栄させてみせよ、
それが部下たちへの償いぞ…!」
ナイフ様はそう言うと、「また来る」と言って俺たちのいる部屋を出て行った。
大勢の家臣らが彼のあとにぞろぞろと付いた。
「…すごい従者だ。ナイフ様は相当の身分なのだな、又七郎」
俺はまた横になって言った。
「そりゃあナイフさあっちゅくらいやし…ナイフさあはこん戦いで天下ば統一したとよ。
きっと次ん将軍さあになっと、新しか幕府作っとよ…」
「マジかよ」
「島津」…作物の一種。成長すると関ヶ原より落ちて来る。非課税作物であり、収穫は娯楽のひとつ。