第15話 温かな復讐
第15話 温かな復讐
「いーさんや、井伊の屋敷はどうだったね」
城に戻ると、ナイフ様が俺の帰りを待っていてくださった。
「は」
「ずいぶんと早くにお戻りだね、もっとゆっくり過ごして来てもよかったのに。
一晩…いや、ひと月でも一年でも千代に八千代にな」
「そのような…恐れ多い事」
「大勢の家臣らに慕われるのは良いものであろう、そなたもああいう家を作るのだよ。
それに…私の植えた花橘はなかなかであったろう、いーさんや」
そうなのだ、井伊の未亡人はナイフ様の娘でもあるのだ。
知らぬとは言え、俺はまずい人に手をつけてしまった。
「…ナイフ様は何もかもご存知でいらしたのですね。
その上で私を井伊の屋敷へとお遣わしになったのですね」
「井伊の家はそなたを温かく迎えるだろう、家臣らもそなたに忠義を尽くすだろう、
娘もそなたを愛するだろう、子供たちも必ず懐くであろう。
そして何よりそなたこそが幸せになるだろう、悪い話ではない思うんだが…」
困った…。
ナイフ様はこの俺に井伊家へ行けと言いたいのだ。
これをどう断ったらよいのだろうか。
「まあ急ぎでもない、薩摩より戻ってからゆっくりと考えてくれれば。
井伊の家はいずれ側室の子が後継に立たれる事になっている…。
婿に行くも、娘を娶るも、いーさんの好きに決めて構わぬ」
「…は」
俺は苦りきって弱々しく返事をした。
ナイフ様はそこに追い打ちをかけた。
「いーさんや…そなたにはどこか適当な家の姫でも、世話しようと考えていたが、
うちの姫を世話出来るとは、思いもかけず嬉しい事よの」
家に帰ると、又七郎が針を手に繕い物をしていた。
女手のない家の事なので、繕い物も自分らでしなくてはならないのだが、
こうして繕い物をする又七郎を見ると、女人のように感じてならなかった。
これが島津の勇猛な武将か。
「いーさん」
又七郎は笑顔になると手を休めて、俺の首筋に腕を回した。
「どこ行きよったとね、おいばひとりにしっせえ…淋しいて淋しいて、
又七郎はけ死んでしまいそうじゃったど…」
又七郎の目が滲んで、涙がこぼれ落ちた。
言う事まで女のようだ。
いや、又七郎はもはや男でも女でもないか。
「又七郎…」
俺は又七郎に抱きしめられたまま、目を伏せて視線を落とした。
…言えぬ。
又七郎の一途な気持ちを思うと、とても話す事など出来ない。
井伊の家とその未亡人の事、ナイフ様の思惑。
又七郎の身体から匂う、あの日の雨がそれを阻む。
「…いーさんは冷たか魚んごたじゃっどね、気持ちばちいとも顔に出さん」
「冷たい魚…」
又七郎も井伊の未亡人と同じく、俺を「冷たい魚」と言った。
「表は真っ赤に燃えちょっのに、内は氷んごた冷たか。
いーさん…おいがいーさんば溶かしちゃる、おいが教えちゃる。
愛んなんたるか、人を思う事ん全て…」
又七郎は俺の耳に触れて、唇を奪った。
舌を立てて俺の唇を割り、強引に入って来るところは男だ。
でもねっとりとまとわりつくように、俺を受け入れるところは女。
なんとも不思議な存在だ。
唇で唇を塞ぎ、俺の視界を奪って手を伸ばす。
又七郎の手は袴の緒を解いて、中を侵す。
「そげん大きゅうはなかとね…じゃどん、いーさんが身体はまこち独特じゃっどね。
穴ちゅほどではなかけんど、女陰ごたへこみがあっと」
童顔に並んで結構気にしている事なので、あまり言わなかったし、
それを見た相手も気を使って、知らぬふりをしてくれていたのだが、
俺の身体は男性でありながらも、少し独特だ。
股間の外性器と肛門の間に、人の基本である女性が男性に分化していく過程で残った、
女陰の名残のような裂け目やへこみがあるのだ。
見られてあんまり気持ちのいいものではない、俺は着物の裾でへこみを隠した。
「見るな、触るな又七郎」
「うんにゃ見っど。いーさんはどげんしてんおいと寝んちゅうとなら、見して欲しかと。
見して、触らして欲しかと、こいはおいがもんじゃっどね…」
又七郎の愛情には常軌を逸したものがある。
そんな又七郎の顔色を伺っている。
俺は又七郎の愛が怖い。
次にナイフ様に会った時、彼は井伊の家の事と同時に又七郎の事を話した。
「いーさんや、又七郎殿には話してあるのかね」
「いえ…まだ決まった事ではありませんので」
「又七郎殿はまこと忠臣よの…しかしながら忠義が少々行き過ぎである。
いーさんや、又七郎殿とはそういう関係なのか」
俺が又七郎と寝ている、そう見えるか。
まあそれも致し方ない。
「…いいえ、又七郎は縁あって仕えてくれる私のたったひとりの家臣、
手など出せば私が痛い目に遭いまする」
「恐ろしいの、島津の又七郎殿は…うちの娘といい勝負だな」
「そんなに恐ろしいのでございますか、花様は」
「恐ろしいも恐ろしい。亡き夫がよそに子を作った時、女を送り返させ、
子とも連絡を取らせず、認知と引き換えに女を殺させたのだからな」
ナイフ様は笑ったが、俺は少しも笑えなかった。
「花はいーさんや又七郎殿となら同じ新参の家同士、対等に渡り合えると思うのだよ。
正妻とまではゆかずとも側室でいい、どうか娘を側に置いてやってくれまいか」
俺はナイフ様の情けないほどの懇願に言葉を濁した。
懇願ならまだいい、それはいつか命令となるだろう。
そうなると断れなくなる、どうしたものか。
その翌朝、ナイフ様の使いが家を訪れて書状を渡した。
薩摩への遠国御用を正式に命じる内容だった。
俺と又七郎は病欠という事にし、出仕を休んで準備に取りかかった。
宿や船はナイフ様が手配してくださった。
出立の前夜、気が進まないが井伊の家を暇乞いに訪ねた。
立派な屋敷だが一度入ったら最後、出て来れなくなりそうに思えた。
井伊の未亡人に子供たち、家臣らが温かく迎えてくれる。
俺には井伊の家という魔窟が、触手を伸ばしているようにしか見えない。
俺は井伊の当主を殺し、この魔窟に攻撃を入れた。
魔窟は反応し、震え、敵は動いた。
温かな復讐へと。
■「井伊の家に行け」…ナイフ様は井伊直政IIDXを狙っているらしい。
■「島津の勇猛な武将」…勇猛過ぎて何もかも捨ててしまった人。
■「井伊の家という魔窟」…段階を踏まずに一気に倒すとボスが集結する。




