第12話 コールド・フィッシュ
第12話 コールド・フィッシュ
俺たち吉富家が薩摩へ行く…。
島津の者である又七郎が薩摩へ入るのは、少々危険だろうか。
だが同行出来る者は又七郎の他にはいない。
俺は庭の家で朝食の時、又七郎と向かい合った。
「又七郎、お前の身の上を少々聞いておきたい」
「何ねいーさん、いきなり」
「これまでの事からお前は島津の分家の殿様、名は島津又七郎豊久。
お前は忠豊と思っているようだが…そうに違いないな」
「旧豊久ち言いやんせ、今んおいはただん又七郎じゃっど」
又七郎は「豊久」という名に噛み付いた。
くそ、やっぱり又七郎は身分ある者か…面倒な事になるな。
「して又七郎…いや、豊久。お前は島津から出奔して、俺と共に徳川に入ったが、
それは家に背いた罪に当たるのではないか」
「…罪じゃっどね、薩摩ん戻れば死罪が待っちょる。
じゃどんおいが罪は将ば逃がせられんかった事、そっから始まっとね」
顔を背けて、又七郎は言った。
…辛い事を話させてしまったか。
「そいだけやなか、おいはいーさんば、敵ん徳川ん男好きんなってしもた。
こいは不義ん密通ぞ、いーさんは? いーさんは罪ば犯した事あっとか?」
又七郎はまだ痛むのか股を押さえて聞いた。
その仕草がなんだかおなごのように見えた。
「俺? …あるよ」
「えっ、まこてか…? おいもいーさんが身の上ん話ば聞きたか。
いーさん、あんましゃべらんかったし知りたかあ。
なあ、どげん童じゃったとね…いーさんならきっとわっぜ愛らしか童じゃったろうね」
俺は又七郎に自分の過去を話した。
俺に「直政」とこの世界で笑われるような名を命名した、俺の父親もまたやくざで、
生まれて早々抗争に巻き込まれ殺された事、
その後母は台湾へ帰国する時に、俺は父方の親戚に引き取られた事。
親戚は俺を虐待した上、たらい回しにした事、最後は施設で過ごした事など。
又七郎は俺の話に涙した。
「…泣くな又七郎。そんな細かい事はどうでもいい」
「いーさんはそいからどげんしたとね…」
又七郎は涙を拭いながら言った。
俺はその続き、15歳で母方の実家である台湾の伊家に引き取られた事、
伊家は俺を可愛がってくれた事、それが「いーさん」の由来である事、
18歳で日本に戻って井上の家に仕え始めた事を話した。
「…という事情で、俺が罪を犯すのは至極当然なのだ。
井上の家も台湾伊家も犯罪組織、俺は犯罪のど真ん中に生まれた子。
又七郎が犯罪初心者ならば、俺は由緒正しきお家柄の猛者や精鋭みたいなものなのだ」
「おいたちはお互い罪人じゃっどか…うん、お似合いん二人じゃっど!」
又七郎は大きく頷き、笑顔に戻った。
「いーさん、話してくいておおきに。ところで犯罪ん猛者ち、
いーさんはそん世界でどんくらい偉かったとね、きっと大名くらいじゃっどね」
「大名? まあそうかもな、俺は井上会総本部長…井上会はその世界の最大手だから、
この世界だと徳川の家に相当するだろうな」
「本部長ち何ね?」
「本部長は家の幹部の職のひとつで、頭の会長の下に次期会長の若頭、
名誉職として顧問、その下に本部長、若頭補佐…、
もちろんその一人一人が家を持っている」
馬鹿なのか、又七郎は。
俺の説明に目を上にして、必死に考えをまとめようとしている。
俺は便所に立った。
部屋から又七郎の「えーっ」という絶叫が聞こえる。
その日の終わり、誰もいない部屋で帰る支度をしていると、
榊原殿が近づいて来て、俺の耳に今度会わないかと誘いかけて来た。
関係を維持するためには乗るべきだろう。
榊原殿は遠国御用の事を知っているのだろうか。
たぶん知らないだろう、密偵だからな。
もし知っていても、榊原殿は高齢でとても旅には耐えられない。
ここは黙っておいた方がいい。
榊原殿は誘いの言葉を耳に吹きかけると、すぐに立ち去って行った。
「吉富の直政殿は悪よのう」
低い女人の声がして振り返ると、先日のあの女が柱に寄りかかって笑っていた。
そして彼女は部屋に入って襖をすうと閉めた。
「その名で呼ぶなと言ったであろう、貴様は何しに来た」
「榊原のような年寄りをどうやって誘惑した事やら…大体の想像はつく。
さてはそなた、直政の影を利用したな?」
「さあな…『直政』などよくある名、どこの直政だか」
「直政」という名は、前の世界では日本人として暮らしていくには便利だったが、
この世界ではもはや笑いの種でしかない。
「そなたは直政を思い出させるのだ、徳川に仕える者なら皆そうであろう」
「どこがだ、同名なだけだろが」
「もちろんそれもある。そなたは姿こそ違う、直政はそのような華やかな顔立ちではない、
そんな赤い肌などしていない、けれどその核は同じ。
水底の魚のように冷たい、悲しい匂いを感じるのだ…直政は、そなたは冷たい魚ぞ」
冷たいとはよく言われた。
外国人は感情を露にしない俺を「コールド・フィッシュ」と言った。
俺自身は悲しくなど思わなかった、冷たさはただの恵みでしかなかった。
「…お前は一体何者だ、どこの姫だ」
「ご自分でお探しくださいと申したはず…」
女はそう言ってまたも俺の前から去って行こうとした。
俺はそれを捕まえた。
「待て、そなたは何がしたい」
俺は彼女の後ろ姿を抱きすくめた。
男のなりをしていても身体は柔らかく、甘いような女特有の匂いがする。
女に触れたのはとても久しぶりだ。
「…私にございますか、私は…」
無理矢理振り向かせると、女は涙を流していた。
…美しい、俺はふとそう思った。
こうして見ると、男装の大年増は実に女らしい。
成熟した大人の女、女人の中の女人なのだ。
これはまいった。
「ただ昔を…幸せだった頃を、懐かしく偲びたいだけにござりまする」
「…それは俺と一緒ではいけないか」
どうしても彼女を放す気にはなれなかった。
脳裏に又七郎の泣き顔が浮かんだが、俺は何も見えなくなってそれを忘れた。
俺は彼女を抱いた。
悲しいのはあなたの方だ、俺にはそう見えた…。
■「コールド・フィッシュ」…作者の製作環境、殺人ど真ん中。
■「島津豊久」…祖先の作物の一種、その呪いは今もなお続く真実。
呪われた本人は気にもとめておらず、返り討ちにする気満々。




