第11話 いーさんと名乗る女
第11話 いーさんと名乗る女
又七郎はあの日以来、事あるごとに俺の嫁になりたいとのたまう。
俺の嫁と言えば、周囲も俺に結婚の話題を出すようになって来た。
四十にもなる男が独り身でいるのだ、この世界ではそれも仕方がない。
「いーさんや、そなたの男ぶりは大名家の姫君がたを悩ませておる。
そなたを婿に欲しいと申す家もあまたある、それなのになぜ独り身でおられる」
困った事に、ナイフ様までそれを言い出すようになってきた。
夜、召されるとふとんの中でその話になっていく。
「恐れながら、私は結婚など考えた事もございません。
仕事柄いつ誰のどんな要求にも応じられるよう、独り身を通してまいりました。
妻子があれば必ず足枷となります故…」
「足枷なあ…」
「女の方にも不幸な結婚になりまする、それが政略であればなおさら。
最初から破綻が見えている結婚など、私にはとても出来ませぬ」
俺でもこの世界の結婚がどういう物なのかぐらい知っている。
結婚によって信頼を得て政治的有利に運べても、それは一層の足枷となる事も知っている。
それに何より俺は純血の日本人ではない。
いくら日本生まれの日本育ちで日本語を主に話すとは言え、
この世界の武家に、在日台湾人の血が混じるのはさすがにまずいだろう。
ナイフ様は寝返りを打ち、背中を向けて言った。
「どなたか心に決めた女でもあるのか?」
「そのような者など…ナイフ様と言う心に決めた男はございますが」
俺はふと又七郎の事を思い出した。
本人は女と言っているが、果たしてあれも女に含めていいのかどうだか。
さしずめ又七郎は心に決めた女ではないが、一生を誓い合った女という事になるな。
女と結婚すれば、あの又七郎が黙っているはずない。
いーさん、いーさんと言って、涙をぼろぼろとこぼして泣く顔が浮かんで来る。
徳川の家中に出入りする者の中には、跡取りのいない家の姫たちもしばしば見られた。
彼女らは男装し、嫡男としての仕事をしていた。
俺のような新参の家の、しかも独身で、ナイフ様の寵愛を受けている男は、
まさに彼女たちの格好の獲物だった。
俺を落として結婚すれば、家の存続だけでなく再興も夢ではない。
面倒な親類縁者もおらず、養子縁組や婿入りさせるのも簡単だ。
彼女たちの俺を見る目つきは異様なほどだった。
「いーさん見やんせ、おなごん目えば…みんないーさんが事狙うちょっ。
じゃどん誰んもんにもなりよったらいけんでね…」
又七郎もそれに気付いており、俺を牽制した。
どう見ても又七郎の方が明らかに美しいはずだ、なのに誰も彼を狙わないのは何故だ。
やはり島津の分家の大名で、捨てたとは言え妻もあるからか。
跡取りのない家の姫たちの、ねっとりと絡み付くような視線の中、
一人だけ違った視線を向ける者があった。
まるで汚い物を見る如く蔑んだ、刺すような視線であった。
気のせいかと思ったが、その後も続いたので俺はとうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。
会議が終わって、誰もいなくなった広間での事だった。
「何だ貴様は、何を見ておる」
その女は俺が凄んでも怯む事なく、俺をじっと睨み続けた。
姫にしてはずいぶんと高齢だ、俺と同じくらいか。
そんなに美しい人ではないが、高齢なだけあって男装は様になっている。
「おや、ずいぶんと荒っぽい事…これだから吉富の直政殿は」
女はくすりと笑った。
やはり「直政」は笑われる名なのだ、俺は完全に頭に来た。
「その名で呼ぶな、俺は『いーさん』だ。
そなたこそ大年増がこんなところで婿探しか? あきらめろ」
「婿? そのような者など要りませぬ、そなたこそ嫁の来てがないのではなくて?
さすが『直政』の名に違わぬ性格最悪ぶりです事」
「何っ…!」
俺は女に掴み掛かろうと腰を浮かせた。
額の氷嚢がずり落ちる。
それを見て女は声を立てて笑った。
「お顔…いえ、全身真っ赤にござりまするよ、おお怖」
女は笑いながら、俺を躱して立ち去ろうとした。
「待て、そなたはどこのどなただ。報復する」
「嫌にございます、ご自分でお探しくださいな」
「名ぐらい名乗らんか」
「…では私は『いーさん』、そういう事にしておきましょう」
女はそう言い残して広間を出て行ってしまった。
彼女の方が一枚上手だったか…。
「いーさん」など冗談で誤魔化しやがって、どこの誰だ。
家に帰って又七郎にその女の話をしてみたが、彼もそんな女は知らないと言う。
いらいらしているところへ島津がまた、出頭要請への返事を遠国とか金無しとかほざいて、
のらりくらりと躱して来たものだから、俺は島津にも苛立った。
上洛など江戸へ行くよりまだ近い、散歩がてらのんびり歩いて来れば金もかからない、
俺も嫌味たっぷりに手紙を返してしまった。
島津も島津で、その後お互いどっちもどっちのやりとりが続いた。
「いーさんや、島津がそなたの文は嫌がらせかと泣いておったそうな」
「ナイフ様、嫌がらせは島津こそにございますれば…」
「又七郎殿、そなたはどう思う」
ナイフ様は部屋で俺たちに島津との事を聞いた。
「文んやり取りなぞ手ぬるか! 島津なんぞひと思いにすれば良か!
ナイフさあがお許しくいたら、挙兵しっせえおいが島津ば…!」
「私もそう思いまする、出来れば直接督促に参りとうございます。
ナイフ様、私どもに遠国御用をお申し付けくださいませ」
御庭番もなかったが、ナイフ様の時代に遠国御用もまだなかっただろう。
「しかしなあ…九州のやつらも島津を討つべく動いておるし、
今それを大事にして、島津などと全面戦争している場合ではないのだよ…。
ところでいーさんや、『遠国御用』とはどのような意味だね」
「は…『遠国御用』とは私のいた世界の言葉で、御庭番衆が身分を隠し、
遠国の事情を探りに出張致す事にございまする」
「『遠国御用』なあ…」
ナイフ様は腕を組んで唸った。
そして俺たちに言った。
「では御庭番火狐よ、その『遠国御用』とやらを少しばかり頼もうかの。
あまり大事にはせず、島津を真っ赤に染め上げ籠絡して参れ」
「は、ありがたき幸せ…!」
「もしもの場合はまあ致し方ない、そなたらで始末をつけよ。
追って書状にて正式に知らせる」
俺たちが薩摩へ…!
■「遠国御用」…嫌らしい島津への嫌がらせ遠征の事を指す。
■「跡取りのない家の姫たち」…徳川に潜入した大名家からの間者八人、ジャニ系に扮装。
イーサンをお笑い小川ドラマの主人公にと画策している。
■「イーサンの『直政』」…イーサン戸籍名。ひたすら笑いの対象になっている。
死んだやくざによる命名、名乗りをあげると大爆笑が起こる。




