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第1話 黒い雨

第1話 黒い雨


熱がある。

身体が燃えて熱い。


「…悪いが熱があるんだ、早めに帰らせてもらう」


閉め切った夜の倉庫に声が響く。

俺は手にしていた日本刀を抜くと、目の前の男の喉に突きつけた。


「イーサン…あんたそれが部下に対する仕打ちかよ」

「吉富直政と呼べ。ここは日本だ、何も英語名で呼ぶ必要はない」


俺は部下の首を跳ねた。

視界が赤に染まっていく…。

部下の近藤はミスを犯した。

昨日出荷するはずの女に惚れたらしく、接近した。

女には他にも監視がいたので、さすがに手は出せなかっただろう。

そんな事ぐらいで、そう思うかも知れない。

でもそれではだめなのだ。


そういう男はいつかまた、必ず同じミスを繰り返す。

そういう者が組織にいると、不穏の芽となる。

怨恨を残さぬよう、殺すのが最善。


「本部長!」


俺に付いていた若いのが外の異変に気付いた。

大勢の男の荒々しい足音が聞こえる。

警察か…いや、敵襲か!

俺は近藤の血に染まった刀を構えて、通用口から倉庫を飛び出した。


「よくも近藤を殺ったな、イーサン…」


敵は中国語で俺に話しかけた。

イントネーションから、本土の者か。

中国黒社会…近藤のやつ、裏でそんなところと通じていたのか。

部下を手討ちにしたつもりが、中国黒社会と抗争かよ。

やっぱり殺しておいて良かったな…!


「近藤? あいつはだめだ、だめ過ぎた。殺して良かったよ。

うちを裏切るような男だ、生かしておけばいつかそっちも裏切るぞ」


俺は中国からのお客様を中国語で歓迎した。


「中国語…!」

「なぜ俺が中国語を話せるか? なぜ『イーサン』という英語名を持っているか?

俺は通名、吉富直政。台湾系日本人3世、伊家の者だから『イーサン』…!」

「…台湾伊家! まさか貴様、台湾黒社会とつながりが…?」

「その伊家だ」 


中国黒社会の男たちは銃を抜いた。

俺は前に駆け出た、男たちも駆け出す。

黒と黒が交差して、赤を生み出す…。


「本部長、だめです!」


若いのも拳銃を構えて俺を追いかける。

組の者たちもそれに続く。


「イーサン、あんた本部長だろが!」

「本部長が前に出てどうする! バカかイーサン! ここは俺たちが!」


どんよりと曇って夜を煙らせていた雲がとうとう泣き出し、戦いの渦中に雨を割り込ませた。

晩秋の冷たい雨は夜に溶け込んで黒く降り、着ていた革のコートに弾け、

水滴の中に赤や青、遠くのネオンを滲ませた。


…熱がある。

俺は寒さの中にありながら、身体の中で真っ赤に燃える炎を感じていた。

黒い雨がばらばらと俺の目の前に冷たく降る。

癖のある、長めの髪は俺の動きに纏っていた雫を散らせる。

間もなく土砂降りとなった雨は、轟音を立てて、いよいよ黒く、

俺の進路を霞ませ、何もかもを塗りつぶしてしまった…。



しばらくして雨は上がり、ぼんやりと明るさを感じた。

目の前がはっきりすると、俺は目を見開いた。

俺は戦いの中にいた。

でもそれはやくざの戦いではなく、別の戦いだった。


甲冑姿の男たちが山道で、忠義を盾にぶつかり合っている。

刀で、槍で、火縄銃で、殺し合いをしている。

…戦国時代か?

しかしなんとも激しい戦いだ。

ごく少数の小さな隊が、3つの小隊からなる大軍を相手かよ。

そして向こうには小隊と別れた別の隊が遠ざかって行くのが見える。

なるほど、ここにいる小隊は囮…捨て奸戦法か。


戦いは容赦なく、俺の前にも転がって来た。

刀を構えた兵士が突進してくる。

どこぞの将だろうか、赤い甲冑に長い角のような前立てのついた兜をかぶっている。

やるしかない、俺はその兵士の胴を叩き斬った。

男は戦いの渦に飲み込まれて消えていった。


「何だ貴様は!」

「どこの軍の者だ!」


一人の死は大勢を呼び寄せる。

俺は両方の軍に挟まれ、囲まれてしまった。

ひとりの男が俺の前に出た。

俺はそれを山中へと突き飛ばした。


「井上会総本部長、吉富直政…だがお前らには関係ない。どうでもいい事だ。

今、目の前にいる邪魔者は排除するまで、それが俺のやり方…!」


俺は動いた。

剣術など習った事はない、だが刀をどう使えばいいかは知っている。

刀の殺傷力を最大限まで引き出すにはどう使えばいいか、身体が心得ている。

戦って、何人も何人も殺してきたから。

後頭部、人中、喉、胸、みぞおち…俺は敵の急所を最短で突いた。

一撃必殺、ひとりに時間をかけてはいけない。

傍目には敵の群れが成す固まりが花の如く、ほどけたかに見える事だろう。


残った残党を片付けると、俺は山道の脇の草むらに倒れ込んだ。

熱があった事を思い出した、だるい。

しばらく熱に浮かされてうとうとしていると、額に人の手を感じた。


「…おい、おまんさ大丈夫か? ちいと熱あっど」


身体を起こすと、そこには先ほど戦った二つの軍の片方にいた男が、

心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。

見たところ、男は今年四十歳の俺より十歳ぐらい若い。

装備の青っぽい色からして、囮をしていた小さい方の軍の者か。

兜が他の兵より立派だ、たぶん指揮官のひとりなのだろう。

熱と疲れでもう動けない、俺は覚悟を決めた。


「殺せ…俺を殺しに来たんだろ?」


男は首を横にぶんぶんと大きく振り、そして歯を見せて笑った。


「まさか殺すなんてそげん事…おまんさんおかげでおいは助かった。

おまんさはこん又七郎ん命ん恩人じゃっど…だからおいはおまんさば助けっと。

おまんさ、名あは何ちゅね? どっから来よったとね?」


又七郎と名乗る男は、どうやら俺が山中に突き飛ばした男らしい。


「吉富直政、遠い…遠い戦いの中から黒い雨に連れられて来た。狐憑きに遭ったらしい。

『イーサン』でいい。向こうではみんな俺をそう呼んでいる」

「んじゃ、いーさん…」


又七郎は俺を抱き起こして言った。


「おいは今からいーさんの家来、良かか?」


「だめだ、だめ過ぎる」…職場において、出入りする運送屋の運んで来た荷物の置き位置について、

嘆き、怒る時に頻出する言葉。この言葉を機に、運送屋との戦が勃発する。

程度の軽い「だめだ、だめだ」や、最上級である「だめだ、だめだめ! だめ過ぎる!」も存在する。

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