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誰よりも軽やかな風  作者: 雪原たかし
第2章 『高楼大陸にて』
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第2話  「初見のチエ」

 高楼大陸北端の都市、ソーハン。白と黒の画一的な建造物群と、高楼大陸伝統の“赤練”という鈍赤の建材を使う雑然な町並みとが、湾向かいの緩やかな斜面に広がっている、いわゆる港町だ。

 レイメバナンは入港と同時にほとんど揺れなくなった。港内には幾艘かの船舶が停泊し、港湾機能もそれなりに稼働しているようで、距離があっても人の動きがあるのが分かる。あの静寂だったドック一八〇とは雰囲気がまるで違い、活気というものの一端を見ている気がしてくる。

「あっ、ちょうど出てきてるね」

 アラシの視線の先にある岸壁の上に赤い髪をした人が立っている。船が近づくにつれて、その姿が大きくなる――――とは言っても、船がとうとう桟橋につけた時になっても、まだ目を凝らさなければそれが少女なのだと分からなかった。視線がまるで合わないから、どうやら少女のほうはまだ僕に気づいていないようだ。

「あっ、そうですか。はい、それではよろしくお願いします」

 アラシは端末でどこかとやり取りしたあと、こちらを向いた。

「あとは職員の人がやってくれるそうだから、先に降りようか」

「任せていいのか?」

「操舵だけね。そういう仕事もあるんだよ。風を調べるだけの仕事があるようにね」

 そう言うと、アラシは操舵室のハッチを操作し、やがてガチッと大きな音が鳴った。どうやら施錠したようだ。

 そして、施錠音の余響が耳から消えゆくにつれて、桟橋を駆ける靴音がカッカンコンゴンと大きくなってきた。

「うわっ、チエったらまた横着する気だ」

「ん?」

 顔を上げると、なんとあの赤髪の少女が、桟橋からひとっ飛び。その勢いのまま狭い甲板いっぱいを使って着地を決めると、息つく暇もなく操舵室の扉へ駆け寄って――――

「アラシぃぃぃぃっ!!」

 扉を開け放つなり、歓声をあげてアラシの胸元へ飛び込んだ。

「うわっ!」

 アラシはしっかりと少女を抱きとめた。

「もうチエったら、勢いよすぎだよ」

「だってチイだけ置き去りだったのよ? 残ったら残ったで府長のオヤジからあれこれ言われてさぁ。アラシのやらかしたことなのになんでチイが……」

 甲高い声でまくし立てていた少女が、ようやく僕の存在に気づく。

「……なにこれ」

 少女がアラシから腕を解く。先ほどまでの高くて弾むような声音から、低くて強い声音へと変わっている。

「『なにこれ』って、チエったら、カームは人間だよ」

「いや誰でもいいけどさ……いや、誰でもいいわけじゃ断じてないんだけどさ……」

 ようやく動きが大人しくなり、僕は少女――――チエをようやくきちんと見ることができるようになった。

 遠くからでも見分けることができる赤髪は、少しの身体の揺れにさえも合わせて揺れるほどに柔らかい。前髪は緑の瞳がよく見えるくらいの長さで、後ろ髪は首もと辺りまでだ。怪訝そうに細めても十分に大きく見える、二重のつり目。少し低い鼻。白褐色の肌。

 そしてなにより、身体がとても小さい。白い上着の袖丈はかなり余ってしまっているし、その上着から出ている脚はひざ下からしか見えない。同じ歳だと聞いたけれど、どうにも信じがたいな。

「どういうこと? 北方大陸って無居住地域よね?」

「どういうことって訊かれても、私にもまだ分かってないんだよ。府長さんはなんて言ってた?」

「なにってそんなの、こっちで把握してるのはアラシが禁止区域に侵入したのだけで、そんなもんを連れて帰るなんて想定できるわけないってえのよ!」

 鋭い指差し。思わず叩き落としそうになったけれど、北方大陸の小屋で目を覚ました直後のことを思い出し、とっさに抑えた。

「じゃあまとめて説明するほうがよさそうだね」

 二人だけで話が進んでいる。僕はどうしていればいいんだろう?

「えっと、カームって言ったっけ?」

「えっ、ああ」

 チエが髪を無造作にかき上げながらこちらを向く。どうも機嫌がよくないようだ。

「どこから来たのか、何歳なのか、答えて」

「あ、えっと……どこから来たのかは……『果ての箱』だ」

「『果ての箱』だぁ? ああダメだこいつ。ねえアラシ正気?」

「えっ、至って正気だよ?」

 アラシは至って正直に言った。

 それにしても、チエの口調はかなり鋭いように思える。こういうものなんだろうか?

「歳は一〇代半ばのはずだ」

「わっ、もういきなりなに!? てか『一〇代半ばのはずだ』って、ああもうこれ絶対ダメなやつでしょ」

 そう言われても、確実じゃないことなんだからどうしようもない。

「だからさあ、全部まとめて話すからとりあえず行政府に行こうよ」

「ええーっ! どっかの喫茶店とかじゃダメなの?」

「たぶんカームにとってはあんまりよくないと思うんだよ」

「……ああもうっ! じゃあさっさと行こっ!」

 チエがアラシの左腕に抱きつく。

「カーム、ついて来てくれるかな?」

 アラシが声をかける。

「えっ、ああ……」

 先ほどから、くすぐったいような、冷やっこいような、とにかくどうにもおかしい感覚が僕の背をなで続けている。この感覚を生むなにかがあるはずなんだけれど、それは僕が見つけることのできるようなものなんだろうか?

 そんなことを考えながら桟橋へと踏み出した一歩が、高楼大陸における最初の一歩になった。




 いくつかある桟橋から続く通路は、四階建ての角ばった建物へと集まっている。昔は白地だったらしい外壁面は劣化で青ばんでいる。

 ガラス張りの扉に近づくと、触れてすらいないのに開いた。風が勢いよく建物内へと吹き込む。背を押されるように中へと入った。

 見たことがないほどたくさんの人が動き回っている。かごの中で氷漬けにされている魚介類。僕の身体よりも大きな魚が吊るされているのが見える。空きスペースが多いけれど、床が濡れているから、そこもどうやら使われていたようだ。

 ここは……漁港だろうか? いかにも滑りやすそうだから、気をつけて歩くことにしよう。

 建物を抜けると、雪が側部に除けられた道を挟んだ場所に、よく似た別の建物があった。ただ、漁港とは出入りしている人の格好が違う。その建物へと向かうアラシとチエの後ろを追って建物の中に入ると――――

「ん?」

 海水由来の匂いが唐突に消えた。

 どういう……ああ、入口の両側に門型のCRがあるのか。

「カーム?」

 いつの間にか立ち止まってしまっていた。

「すまない」

「こらシャンシャン歩け!」

 チエが先ほどからきつい口調で話しかけてくる。よく分からないけれど、チエにそうさせている原因は僕にあるんだろうから、早くそれを見つけたい。さすがに気分がよくない。

 階段が滑り上がる機械――――こういうものをエスカレーターというらしい――――を使って上の階へと向かう。外から見た時にはそれほど高い建物だとは思わなかったけれど、こうして上り続けていると、とても長いと感じる。向かっている場所が分かっていれば、まだいくらか短く感じるんだろうか。

 それでもさすがに上がり続けていればたどり着いてしまうもので、大きくて重そうな木の扉の前で、ようやく僕たちは立ち止まった。

「こんにちは。行政府の認可証、または予約はございますか?」

 扉の脇に控えていた人が尋ねてくる。この建物の管理員だろうか。

「アラシ・ハミル・キトスです。行政府長バンホウ氏の要請で参りました」

 アラシが笑顔で答える。

「それでは、コードをこちらでご入力ください」

 アラシが管理員の差し出した端末を少し操作すると、ピッという音とともに緑の表示が現れた。

「確認しました。お入りください」

 扉がゆっくりと開いてゆく。その向こうには――――

「お待ちください」

 管理員がアラシを呼び止めた瞬間、扉は止まった。

「そちらの方には認可が下りていません」

「あっ、そうだった……」

 アラシが気まずそうな顔になる。

「バンホウ氏にこちらへ出向いてくださるよう頼んでいただけないでしょうか。警護付きでもこちらは構いませんので」

「確認します。しばらくお待ちください」

 わずかに開いていた扉が閉まりゆく。その向こうを窺う暇もなく、扉は重い音を立てて再び閉じられた。

「この時刻で予約をいたしました。ご記憶の上で、記載の場所までお越しください」

 管理員がメモを差し出し、アラシはそれをじっくり読み込んだ。

「分かりました」

 メモを返し、アラシがくるりと振り返る。

「さて、ちょっと時間が空くから、先にご飯を食べようか」

「チイはもう食べたけど?」

「じゃあなにか甘いものでも頼みなよ」

「やった!」

 チエがぐっと拳を握る。

「カームはなにか食べたいものがあるかい?」

「えっ、えっと……無いな」

「無いなら無いでさっさと言ってよ」

 またチエが鋭く言う。表情の変化まで鋭敏だ。

「どうしたのチエ? さっきからなんだか気が立ってるね」

「そういう日ってことにしといてよ」

 アラシはそれ以上なにも言わずに歩き始めた。チエが後を追う。僕もすぐに追いかけるつもりだったけれど、エスカレーターの乗り降りで少しもたついてしまった。

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