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誰よりも軽やかな風  作者: 雪原たかし
第2章 『高楼大陸にて』
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第24話 「別れと希望とは」

「桜風ってさぁ――――」

 僕とチエが食堂車から戻り、チエが机の上に『やさしい代数』を出してからしばらく経って、アラシが唐突に語り始めた。

「調べれば調べるだけ歴史が出てくるんだよ」

「歴史はいくつも存在するのか?」

 歴史は過ぎゆく時間に遺されるものだから、たったひとつのものだと思っていた。そうじゃないと言うんだろうか?

「えっと、カームの考える“歴史”って、唯一のもの?」

「ああ」

「そっか。うん、それも歴史だよね。ひとつだけのもの。でもね、歴史にはまた別の種類のものもあるんだよ」

「ひとつだけではないもの、ということか」

「そうそう。それで、桜風について調べるほどに出てきた歴史っていうのが、かつての高楼大陸に存在していた国家や自治領と盛衰を共にした、そうだね……“国の歴史”とでも言おうかな。そういう歴史なんだよ」

「今までに存在してきた国家の数だけ存在する歴史、なのか?」

「歴史となろうとした国家の数だけ、もしくはそれに近い数、かな」

 意向の有無が要素になるということか。

「桜風の捉え方や感じ方は時代ごとに少し異なっているんだけど、それでも傾向は見られるんだよ。レイメトゥーラがメルクレイムを研究する時に調べるものに、“感情種”というものがあるんだけど、桜風の感情種の“別離”“希望”は、その傾向にとても近いんだよ。いや、逆なのかな。傾向のほうが感情種に近い……うん、こっちが正しいね」

 チエが『やさしい代数』を閉じてアラシを見ている。

「それで、その中にちょっと面白いというか、興味深いというか、そんな歴史……というより、物語だね。そういうのを見つけたから、ちょっと一緒に観てみない?」

 観る。読むんじゃなくて。

「文字記録じゃないのか?」

「それもあるんだけど、それを原案にした映像作品があるんだよ。そっちのほうが掴みやすそうだからと思ってね」

 アラシがチエのほうを見やる。

「というわけで、チエは『陸の船』観る?」

「観る」

 いつの間にか机上から物が片付けられている。

「だよね。それにしても何回目?」

「そんなの数えてない」

 チエは何度か観ているようだ。

「そりゃそっか。カームは観る?」

「ああ」

 アラシが薦めるうえに、チエが明らかに観たがっている作品だ。観るほうがいいんだろう。

「よし、じゃあ大窓画面で観よっか」

 アラシがそう言うなり、チエがベッドを降りて車窓の左端へ歩み寄り、空間画面を操作し始めた。

「チエってこういう動きは早いよね」

「いつもなんでも迅速丁寧にやってるわよ」

 チエが言い終えると同時に、車窓が一瞬で黒塗りになった。

「いわゆる“二次元映画”なんだけど、これはこれでけっこう味があるんだよ。ほら、始まるよ。席……じゃなくてベッドに座って」

 車窓に“二次元映画協会公認”と表示された。




「古いからなんだって言うんだテルハのやつ!」

「古いってことしか正しいこと言ってなかったし、ほっときなよ」

「正しくないこと言って機体も桜風も貶めようとしたのにか?」

「あと女だからってのも言ってた」

「……ニアお前、怒ってはいるんだな」

「メニも怒っていいんだよ。というか、怒らなきゃ」

「じゃあ、お前がほっとかないって言えば、あたしも怒る」

「そんなことどうでもよくなる方法、あるよ」

「なに?」

「ん」

「……ああ、まあそうだよな、飛べばいいよな」




「あの子らはまだ飛んでいるのかい」

「お義母さん、そろそろ小言はやめてあげてくれませんか?」

「小言て、アマリュータ、私がかい?」

「お義母さんのことはギレイクに任されたから見てるんです。でも、あの子たちの心を傷つけるなら、話は変わります」

「言うねぇ。アマリュータ、あんたがもしあの時にあの子の助手でいてくれたら、なんとかできたんじゃないかと思っちまうね」

「わたしとギレイクは操縦士どうしとして出会ったんです。助手は似合わないって、ギレイクなら言ってくれますよ」

「だろうね」

「ニアみたいな、わけもなく『あっ、この子、助手だ』って思えるような天性の助手が、ギレイク譲りの滑空感性を持つメニと一緒に飛んでくれてるんです。わたしたちにできるのは……すべきなのは、その奇跡のようなつながりを見上げて、どこへ消えゆこうとしても見送る、それだけですよ」

「一四歳の子に……いや、時代が違ったね」

「時代の話ほど、老人を鬱陶しく思うものはないですよ」

「さすがに言いすぎだよ。死にかけは厄介だって自分で言ったろう」

「そこまで言いましたっけ?」

「私は、ちょっとだけ他の老人よりも記憶力が残っているんだよ」




「テルハ! ニア! 〇〇五号機応答しろ!」

「ジ……ザザ……」

「なんで空域制限効いてないんだよ!?」

「おい誰かメニを隔離しろ!」

「追わせろっ! ああっ!」

「やめろこらっ、おい!」

「消えるっ! ああっ! やめてええええぇぇぇぇ……」

「…………」

「いぁ……あぁ……」

「…………」

「……飲み込みやがったのか」

「ニアは……ニアが……」

「この土地で一番の別れになると、知ってやがったのか」

「追う……まだ届くっ……」

「うあっ、やめろ!」

「まだ、まだっ、まだっ!」

「……あっ、信号です!」

「なっ」

「微弱ですが……発信は二機! テルハとニアだ!」

「出ろ出ろ出ろ出ろ! 待機組はすぐにだ!」

「教官――――」

「分かってる、お前も出ろ。おまえらもういい、離してやってくれ」

「教官、あの――――」

「俺の航空機を使え」

「えっ」

「機体はどうするのかって話だろ」

「……いいんですか?」

「そのほうが可能性は高まる。いいから行け!」

「ありがとうございます!」




「なあ、テルハ」

「…………」

「もう、いいよな」

「…………」

「なんで……なんで……お前だけなんだ?」

「…………」

「なんで……なぁ……」

「……あの時、ニアがなんで助手なのかが分かった」

「答えじゃないだろ……」

「答えよ。答えだったのよ」

「ニアが助手だなんて、当たり前だ。ずっとそうだったんだ」

「最期まで……そうだったわ」

「最期って言うなっ!」

「…………」

「…………」

「…………」

「……あたしは行く。絶対に行く。お前が越えなかった“門”を、あたしは越える。越えてやる。ニアは、あたしが迎えに行くんだ」




「誕生日おめでとう。今年のプレゼントは今までみたいに訊けないから、選ぶのが難しかった。でもまあ、いいんじゃないかと思う。プレゼント、部屋に置いてきた。ここがいちばん近いんだってのは分かってるけど、ニアが帰ってくるのは……帰って、くる……なあ、帰ってこいよ、ニア。お前はあたしと飛ばなきゃだろ。あたしは、風を掴めなくなったぞ。お前なら、来てくれるだろ……お前なら、なあ……」




「いいの?」

「なにが?」

「私がこの機体に乗って……いいの?」

「…………」

「…………」

「……訊けばあんたの気が楽になる。そういう質問」

「っ……」

「あたしは、あんたがこの土地であたしに次ぐ操縦士だから乗せる。あんたの遠慮を捨てた乗り方。あの頑なな桜風を裂いて進むには、今のあんたの感覚が必要だから、乗せる。あたしが、もうなんにもできないから……」

「メニ……なんにもできないなんて、違うわ」

「みんなそう言った。なんにも分かっちゃいないんだ。風を見れば操縦ができたような気になってるようなやつらの言うことなんか、なんになる――――」

「もう、メニには“感覚”なんて要らなくなったってことよ」

「……乗せるって言ったからか?」

「違う」

「乗せるって言ったから図に乗ったんだろ、なあ!」

「違うっ! 私は風を掴める! だから……分かるわ」

「間違ってんだよ! それを正しいって思ってるだけだ!」

「飛べばっ!」

「っ!」

「……飛べば、分かるわ」

「…………」

「気づくわよ。気づかせてもらえるわ。メニにそれを教えるために、あの“門”はまた現れたのよ」

「…………」

「呼んでるのよ。なにもかもを利用しても、借りても、費やしても、許されるわ。それをしてでも、メニ、あなたは行けばいいのよ」

「…………」

「…………」

「…………痛い」

「……えっ」

「テルハ、あんたすごく痛いやつになってるぞ」

「…………えっ」

「あんたは助手なんてしなくていい。あたしと操縦舵を奪いあえ。あたしが欲しいのはそういうあんただから」

「…………」

「行くよ」

「…………できなくてもしろ、ということなのね」




「こんなに……穏やかだったのね……」

「腹立たしくなるくらいだな……」

「腹を立てるのは桜風のほうよ。切り裂かれたんだから」

「飲み込まれたら、切り裂いて取り戻すのが常道だ」

「そもそも、“門”と呼ばれているんだから、打ち破ると言うのがよりふさわしいと思うわ」

「どっちにしたって物騒だ」

「そうね」

「まあとにかくこれで“向こう”まで来た。あとはニアを見つけるだけだ」

「……いるのかしら」

「いる」

「……そうね、いるわ」

「滑空するぞ」

「滑空移行。原動機、空転へ」

「いや、停止だ。計器も要らない」

「……どうして?」

「そのほうが、感じられるから」




「『……四日目の記録を開始。もう天候や風のことはいいでしょ。初日に決めたことは変えないつもりだったけど、これだけは省くよ。航行の変化は、えっと、上昇してみてる。……笑ってくれてるかな。ここは時間以外がめちゃくちゃというか、単に違うというか、上昇できるのもそのひとつってだけというか。時間はね、たぶんだけどゆっくり進んでる。退屈してるからなのかもしれないけど。小さな光が移ろってるから、止まってはないはず――――――――』」

「『……一〇日目か。ほんとにこの時計が正しいなら、だけどね。起きてるのかがはっきりしない時間が長くなってるんだよ。きのうからほぼ確信してる。アラームが鳴らなかったら記録が飛んでたね。なんだか、怖いけど、怖がらなくていいって囁かれてる気がする。メニが隠してる気になってる優しさに似てて、うん……いつかね、いつか、受け入れちゃいそうな、従っちゃいそうな、そんな……ね。導きなんて要らないのに。導くほうだったはずなのに。ここはどこなんだろ……やっぱり遠くなのかな――――――――』」

「『……まあ、生き延びたほうだよ。死ぬ気はしないんだけどね。もっと穏やかで、眠るような…………そう、こんなふうに。ああ、そういや、誕生日か。そっか、誕生日だ。メニのいない誕生日って初めてだ。あっ……あぁ……なんだ、忘れてなかった……そうだよ、私、メニの助手に戻りたいの。戻してよ……戻れるような風を……お願い――――――――』」




「なあテルハ」

「……なに?」

「あたしは……ここに残ってもいいと思うか?」

「…………」

「ニアが許してくれると思うか?」

「……なんで私に訊くの?」

「…………」

「私は行く。帰るために行く。信じて飛ぶ。また切り裂いてやるわ。自分でそう決めた。メニもそうすればいい」

「…………」

「あなたたちの機体は奪うことにするわ。あなたたちが私の機体を返してくれないから。だから……いいえ、もう言わないわ」

「…………」

「…………」

「…………」

「……また、上空で」




「テルハって、あんなになめらかな飛行をするやつだったか?」

「いや、むしろその逆だったろ。頑なで、真っ直ぐで」

「滑空にこだわるようになったあたりは、堅さが残ってるぞ」

「まあどっちでも技術はあった……ん?」

「あれ? あいつ……真っ直ぐに飛んでね?」

「てか遠ざかって……いや、上昇……なにやってんだ?」

「ん? あれは……」

「複座の滑空機……」

「…………」

「…………」

「…………」

「……あれが“越えた者”たちの語らいか」

「おかしいなぁ。ただの飛行だろ? なんであんなに……」

「おかしくねえよ。“帰ってくる”ってのは、そういうものだろ」




 制作に携わった人たちの名前と役割が画面を流れてゆく。

「ねえアラシ」

「ん?」

「今さらだけど、これはちょっとこいつには早すぎたんじゃない?」

「どうして?」

「この心情の移り変わりをこいつが追えると思えないから」

「追えなくてもいいんだよ。そんな義務は無いんだから」

「そうは言っても、それじゃ作品の全部を味わえないわよ?」

「今じゃなくてもいいんだよ。今じゃなくても、きっと大丈夫」

「……まあいいけどさ」

 作中に出てきた複座の滑空機を最後に映し、作品の再生が終わる。身体から力がスッと少しだけ抜けた。

 映像作品は、娯楽のため、つまりは楽しむために観るものらしい。ということは、いま僕の身体にある感覚は、楽しさに類するもののはずだ。

 けれど、なぜだろう、そうは思えない。

 ただ、ひとつ分かっていることはある。それは、僕の思考が最も深くなったのは、航空機乗りの少女たちがいた“向こう側”を見て、聴いて、知った時だった。

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