第23話 「共有車両」
「ねえ」
「なんだ?」
「なんできのう客車を出たがらなかったわけ?」
アラシが去ってしばらくして、僕とチエはこの列車の中で行ってみたい場所を話しあう……はずだったんだけれど、どうやらチエは別のことを先に訊きたいらしい。
「分からない」
そう答えるしかないと分かってはいた。
「いやにはっきり言ってくれるじゃないの」
自分でもここまではっきりと言いきるとは思っていなかった。
「曖昧に答えたほうがもっと困る、と考えたからだ」
今はそう考えているけれど、言った時にそんな考えは無かった。嘘だというのに、こんなにもさらりと言ってしまえた。
「まあ、チイはそのほうがいいけどさ」
やっぱりそうか。
「じゃあ、そうね……」
チエが考え込む。
「あんたってそもそも他人がいる環境はどうなの? 見ず知らずの人がたくさんいる場所に行くことなんて無かったんでしょ?」
「えっ、ああ……」
どちらの質問を先に答えようか。順番どおりでいいんだろうか?
「意識では他人のいる環境を嫌だとは思っていないんだが、本当はどうなのかは分からない」
「ふぅん、そこは変わんないのね」
「『箱』で見ず知らずの人間に遭遇することは何度かあった」
「でもたくさんじゃなかったと」
「そうだ」
「じゃあ、やっぱ深いとこで嫌がってるってえことよね。あんたが極度の気まぐれ野郎じゃないなら、だけど」
“深いとこ”というのは、きっと思考の深部を指したんだろう。自分の意識が届かない領域。その存在は、『箱』を出てから何度か感じている。
「チエは他人がたくさんいる環境を嫌っているように見える」
チエが目を少し見開き、視線を斜めに落とす。
「まあ……確かに好きじゃないわよ。二人や三人を相手にすんのはけっこう慣れたけど、たぶんこの先ずっと多人数を相手にすんのは慣れない。アラシを見てたら、なんだかそう思う」
努力では得ることのできない技能ということだろうか。
「でも、慣れようが慣れなかろうが、できるなきゃいけないのよ。これまでアラシに任せてればそれで終わってたことも、これからはチイとあんただけでなんとかしなきゃ」
「そうか……そうだな」
チエも僕も多人数の相手をすることに慣れていない。それでも、僕たちがそういう状況に追い込まれた時には、協力して対応する。そうすることが、アラシに楽をさせることになるはずだ。
「まあ、あんたのできることがまだあんまり分からないってえのは面倒ね。それを探すためにあんたの興味を優先させようってえことなんだろうけどさ」
「そう、興味だ」
「なにかあんの?」
あまりだるそうにしていない。意外だな。
「鉄道車両というだけでほとんどすべてが興味の対象だ」
「……それって“鉄道だから”ってえ理由じゃないわよね?」
「鉄道だから……というわけではないな。実際に使われている鉄道車両が『箱』には無かったからだ」
「見たことないものならってえことね。そりゃあそっか」
なんだろう……さっきからチエの反応がなめらかというか、柔軟というか……
「じゃあ、行ってみたい場所は全部ってえことね。ここは二号車で、いちばん近い共有車両は……八号車の食堂車」
きのう行こうとしたところだな。
「お昼ご飯には早すぎだけど、アラシが帰ってきてからだったら、いい感じの時間になるかもね。いいんじゃない、食堂車」
「昼食を摂るならアラシが一緒でもいいんじゃないか?」
「あそっか、絶対に別行動じゃなきゃダメってわけじゃないのよね。じゃあ帰ってきたら誘おっと」
確か食堂車はこの列車でかなり人気の場所だと言っていた。あと、アラシのおかげで優先利用ができるとも言っていたな。
今は一〇時半か。アラシはいつ戻るんだろう?
時刻は一〇時五七分。連絡とやらからアラシが戻ってくるなり、チエが食堂車へ行こうと誘った。
けれど――――
「いやいや、二人で行ってきなよ」
アラシは笑って断った。
「えっ、なんで?」
チエが困惑する。僕も同じだ。
「二人で動くからこそ感じられるものがあるからだよ」
「いや、でも――――」
「それに、明日の朝にはサンセン駅に着いて、乗り換えたらすぐにメイユウ駅に着くよ? チェルではゆっくり過ごさせてくれるって言ってくれたけど、今のうちから二人行動に少しでも慣れておいてくれなきゃ」
「だからってなにも……お昼ご飯よ?」
「だからこそだよ」
チエが「えぇ……」と言いながら眉を寄せる。けれど、困惑する僕やチエとは違って、アラシはなんだかしっかりとした考えの下で断っているように思える。そう見える、というほうが近いか。
ただ、言葉の出し方が強く迫っているようにも思える。焦りにも似た雰囲気だ。明日にはチェルに着くから。それだけがこんなにもアラシを追い立てているというんだろうか。
「……分かったわよ。二人で行けばいいんでしょ行けば」
チエが不服顔を隠さずに言い放つ。けれど、言葉の勢いは弱い。
「優先利用はアラシがいなきゃできないってえのに……」
「ああ、私を誘ったのはそのため?」
チエがアラシを睨みつけて……えっ、チエがアラシを睨みつけているのか?
「えっと……」
アラシが言葉に困っている。なんだ、この状況は?
「優先利用は、私の名前で予約をすれば大丈夫だよ。何時がいい?」
かなりの間を置いて出された質問に、チエは「今すぐ」と乱暴に言葉を返した。
客室から二号車の通路へと出て八号車へと向かっている。前方のチエはずっと黙ったままで、雰囲気は鋭いけれど、足音は弱い。
なんだか落ち着かないな。おそらく“気まずい”というのは今のような状況と心情のことなんだろう。いま何号車にいるのかが気になってしまうし、チエがなにか言った時にどう返すのがいいのかと考えてしまう。とにかく、いい感覚ではない。
四号車。ここも寝台車らしい。案内板にそう書かれている。
そういえば、通路は車両の片側に寄っているようだ。三号車では東側に、二号車は西側に寄っていた。四号車も西寄りだ。
「ほんっと意味分かんないってえのよ」
「…………」
どう返せばいいんだ……?
「イラついたらお腹すいたわ。高いやつたっくさん食べよ。どうせアラシの払いになるんだし」
今はその選択を否定しないほうがいいんだろう。それだと返事に困るんだけれど。
五号車へと移る。まだ寝台車らしい。通路は東寄りになった。
「……なんか誰ともすれ違わないわね」
確かにここまで人を見かけていない。ここまでの扉の数からして乗客が多いわけではなさそうだけれど、今は誰か出てきてくれないものかと思ってしまう。
六号車へと移る。まだ寝台車。通路は西寄りだ。奇数番号車両は通路が東寄りで、偶数番号車両は西寄りになっているんだろうな。
チエの足取りがいつものような強さを取り戻している。やっぱり黙ってついて行くのが正しかったようだ。
七号車へと移る。ここも寝台車だ。けれど、次の車両はそうじゃないはずだ。もう言うまでもないんだろうけど、通路は東寄りだ。
通路の位置関係を方角で表すことができるのは、この鉄道が南北方向の直線路線だからだ。進行方向の左手は東で、右手が西。この方角関係はサンセン駅までずっと変わらない。アラシは地図を表示しながらそう教えてくれた。
通路の奥にある扉の向こうは八号車だろう。長く感じたけれど、気づきのある時間でもあった。チエは確か苛立ちで空腹になったと言っていたか。僕は観察で空腹になっている。
寝台車と違って、食堂車は通路が車両の中央を貫き、その両側は少し高まっていて、テーブルと椅子が数箇所に整えて置かれている。
「昼食利用で。予約がアラシ・ハミル・キトスで入ってるはずです」
「予約利用ですね。確認いたしますので、少々お待ちください」
いつの間にか現れていた乗務員らしき女性にチエが声をかけると、女性は空間画面になにかを映して指でたどり――――
「確認が取れました。お席はあちら、五番テーブルになります」
右側にあるテーブルのうちで最も奥にあるものを指した。
「ご注文の際には卓上の銀鈴でお呼びくださいませ」
女性が言い終わるが早いか、チエが指されたテーブルへと向かう。女性になにか返事をするべきなんじゃないかと思ったけれど、僕もテーブルへと向かう。
席につくと、側面を渡る大きなガラス窓から景色を眺める余裕が生まれた。寝台車を渡り歩いていた時でも窓外の景色を見ることはできたはずだけれど、そうか、余裕が無かったんだな。
食堂車を利用している人は少ないのかもしれない。一一時一〇分くらいだから昼食には早すぎるというわけではないはずだ。けれど、今は僕とチエの他に二組しかいない。そもそも食堂にはテーブルが一〇卓くらいしかない。
「訊いてもいいか?」
「チイに答えられるやつにしてよ」
やっぱり気分はいくらか戻ってきているようだ。
「この車両は何人くらいが利用しているんだ?」
「ここの食堂車は四人寝台の利用者も来るから、利用できる人数でいえば一〇〇人くらい。毎回の運行で何人くらいが利用すんのかは知らない」
「そうじゃなくて、全体の乗客が何人なのかということだ」
訊き直しになってしまったけれど、チエの態度に変化は無い。
「ああそっちね。確か後ろのほうの車両は六〇〇人くらい。まあ、日はまたがないっていっても長距離移動だし、それなら鉄道なんか使わないってえのが普通だから、後ろはあんまり人いないわよ」
「後ろのほう……車両は全部で何両あるんだ?」
「えっと、二号車から七号車が特級寝台車で、ここが食堂車でしょ。あとは、普通寝台車が四種類それぞれ二両ずつで、そこまでが寝台。そっから後ろは乗務員車両を挟んで特級客車二両と普通客車五両。だから合わせて……二三両ね」
一号車は乗務員車両なんだろう。共有車両ではないというのは、この食堂車が二号車から最も近い共有車両だと言っていたことから推定できる。
キーン、と細く高い音が響く。卓上を見やると、チエの手が銀の輪の上に置かれている。おそらくはこれが銀鈴なんだろう。
ただ――――
「あっ、あんたがなに食べるのか決まってないじゃん」
呼んでしまってから気づいても……
「チイと同じやつでいい? メニュー見たって分かんないだろうし」
「ああ」
今は滞らないことのほうが重要な気がする。
まもなく先ほどの女性がやってきた。
「ご注文を承ります」
「肉のイーセン漬け四種の昼食組を二つ。摂食制限は無いです」
「はい。確認いたします。肉のイーセン漬け四種を昼食組で二つ。摂食制限は無し。間違いはございませんか?」
「無いです」
「承りました。お料理が出来上がるまでしばらくお待ちください」
浅く礼をして、女性が立ち去る。
「どういう料理なんだ?」
「見れば分かるわよ。あっ、いや、見ても分かんないか」
どちらなんだろうか。
「イーセン漬けっていう食材の漬け調理の技法があんだけど、肉にそれをして軽く炙ったものが出てくるのよ。桜州黒牛、蒼帆陸鳥、ロイズ羊、蒼門兎……だったと思うけど、とにかく四種類の肉に、昼食組の月白米と晴れ汁が付いてくるわよ」
知らない名詞がたくさん出てきたけれど、おそらく実物が来れば分かるんだろう。
今のところ、僕とチエだけで問題無く行動ができている。まあ、チエに任せるだけになっているけれど、それほど困らせてはいないはずだから、これでいいんだろう。
ただ、チエが心変わりをしていないなら、アラシにはお金の面で迷惑をかけることになるだろう。そうなると、僕たちが一緒に行動している意味が無くなりそうだな。
食事の質の違いというものが分かってきたのかもしれない。この満たされた気分は、少なくともソーモン荒原での食事には無かったものだ。
イーセン漬けの鋭利な香味が口内で弾けた瞬間を思い返しながら、二号車へと戻ってゆく。行きでは早くも単調に思えていた通路が、今はまた違って見える。その違いを表す言葉が出せないのは、少しもどかしい。
気分とは異なるもの、たとえば高楼大陸の料理に共通する風味は言葉で表現できる。甘く辛いものが多く、けれどそんな風味が後に残ることはほとんど無い。濃厚なのに後引くことがなくて、だからこそ次を次をと求めてしまう。食べる量が少しずつ増えてきていることには気づいているんだけれど、アラシにはたくさん食べるよう言われているから、それでいいんだろう。
「にしても、あんたの反応で笑ったのって初めてなんじゃない?」
まあ、前を歩くチエが笑いを堪え続けて痛めたらしい脇腹を手でさすっているのを見ると、少しもやついた気分になるんだけれど。
僕がイーセン漬けの強烈な辛味を堪えている間、笑いそうになるのをチエはずっと堪えていた。水を持ってきてもらうよう頼む時も、完食しなければと思って堪えながら食べている時もずっとだった。
「でもまあ、あんだけ必死になって食べきったってえのはいいことなんじゃないの」
チエが顔を少し後ろへと向けてくる。
「いいことなのか」
「チイはそう思うわよ」
自分以外の者がどう思うのかは関知しない。そういう言葉だろう。それでも、確かなことのように思えてしまう。
「そうか」
辛味に慣れたいような、慣れたくないような。そんなどちらにも振れない思考が、唐突に現れた。




