第14話 「連なり」
ソーロの部屋……じゃないんだったな。じゃあどう呼ぼうか?
そもそも、僕はこのサイトの構造を知っているわけじゃないし、それぞれの部屋や空間の名前すらもほとんど知らないままだ。
えっと……まあ、とりあえず僕たちは“ソーロの部屋”を出て、“広い部屋”へと戻った。
改めて見ると、長机や椅子などはレイメバナンの食堂に似ている。調理場が単独で空間となっているところが違うけれど。
机上には四組の食器と料理が並んでいる。また名前の分からないものばかりだけれど、沖合定食に近い性質があるように思える。
「もしかしてアルゥシが作ってくれたのかい?」
「はい。私たち以外の利用者が来る予定は無いというのは確認したので、ちょっとだけ手の込んだものを作っておきました。長くなるだろうなとは思っていたので、冷めても大丈夫なものを」
「さっすが! キミの料理は前に食べてからワタシの大好物なんだ」
ソーロが小走りで右端の席に駆け込む。アラシは左端の席に座り、チエがその右隣の席に座る。一列に座るのは新しい――――
「あんたも早くそっちに座りなさいよ」
チエが自分の右隣の席を指す。着席すると、まるでそれを合図としたかのように食事が始まった。
改めて料理に視線を向ける。
皿の枚数は三。食器はフォークだけ。
料理のひとつはおそらく穀類だろう。粒形は米に似ているけれど、やや黄土色に近い。
もうひとつは厚い板状の……柔らかいものだ。側面では緑と赤の層が積み重なって帯状の模様となっている。
最後のひとつは……デイフォンか?
いや、見た目こそ似ているけれど、香りがやけに香ばしい。あと、チエの手でも包めそうなほどだったデイフォンよりもさらに小さい。
「四人だとさすがに余りすぎるね」
ソーロがフォークで黄土色の穀類をすくいながら部屋を見回す。
「えっ、多かったですか?」
アラシのフォークと皿とがキッとぶつかる。
「あ、いやいや部屋の話だ。料理はおいしいよ」
話し手が正反対の向きにいるから、首が疲れるな。少し下がってみようか。
「ああ、部屋は確かに……あれ? どうしたのカーム」
アラシが不安そうな表情で僕のほうを見ている。
「なにがだ?」
「料理に手もつけないで机から離れたし、どうかしたのかなって。もしかして嫌いなものだったとか?」
「嫌い……」
嫌うという感情の動き。不快と忌避とが合わさったようなもの。過去を振り返っても、自分がなにかや誰かを嫌ったことがあるのか確かな答えが出せないことに気づいた。好むという感情のほうは、欲や願望と深く結びついているからなのか、すでに覚えがある。
好むと嫌う。対であると書かれていた。その知識は、僕の現実に沿っていない。
じゃあ……嫌えばいいのか?
「分からない……」
そんな言葉になった。
今は、続けておくことしかできない。そう直感する。
「この料理たちの名前がどれも分からないんだ。推測してみようと思ったんだが……」
「えっ、全部知らないってえの? あんたって今までなにを食べて生きてきたわけ?」
「食べられるものを食べ……」
いや、違う。
食料は知っている。『箱』で見たこともある。触ったこともある。
けれど、僕は『箱』でそれらを食べなかった。
それでも動けていた。生きていた。
人間は、生物は、食料を摂ることで生き、動く。
じゃあ……『箱』での僕は、何者だったんだ?
どこで味を知ったんだ?
どうして味わい方を知って――――いや、違う。
食べたことはある。ただ、過去のことなんだ。
食べなくなったんだ。いつそうなったのかは分からないけれど。
理由も、原因も、過去には存在していたはずだ。けれど、今ではその名残すらも思い出せない。北方大陸の小屋から今まで、なんの迷いも惑いもなく食べてきた。どうして――――
「こっちはゴルダンって種類のお米で作った焼きご飯で、こっちはカロットと広緑草のパテ……まあ、重ね焼きのことね。そっちは魚の練団子。えっと、なに使ったんだっけ……ん、ねえ聞いてんの?」
「えっ?」
視線がチエに向く。チエは眉を鋭くして……たぶんこれは見た目どおりに怒っている。
「あんたねぇ……だからぁ、これがゴルダンっていうお米で作った焼きご飯、こっちがカロットと広緑草のパテ、そっちが魚の練団子だってえのよ」
チエが左の皿から順に指して教える。
「分かった?」
「あ、えっと――――」
「てか材料とか料理の名前なんか聞いて分かるの?」
「ああ、分か――――」
「あっ、ねえアラシ、この練団子の材料ってなんだったっけ?」
「なんだったかなぁ……タラだったとは思うんだけど」
アラシが練団子をひとつ口に入れる。
「んー、タラだねやっぱり。それ以上はちょっと分からないかな。乾かしたのがいつだったっけ? だいぶ前だよね確か」
「半年……くらい前だったと思う」
「ははっ、そりゃあ思い出せないよ」
……覚えきれない。
早くて、間が置かれなくて、追いついてもすぐに離れてしまう。だから、続けるしかない。
今は、食べるんだ。
ゴルダンの焼きご飯を一口ぶん、フォークですくい上げ、食べる。米と同じような甘さがあるんだろうと思っていたけれど、ほんのりピリつく……辛さだったか、真っ先に舌はそれを感じ取り、咀嚼とともにあの米の甘さがやってきた。見た目と食感から推測するに、どうやら米粒の表面を薄く覆うなにかが辛さの元のようだ。
パテをフォークで切り分けて、食べる。食感はもぬっとしていて、苦さと甘さに舌が弱く、それでいて長く絡まれる。このゆるやかに続く味は僕に合っているようだ。
タラの練団子のほうは、フォークで刺す途中で感触がなめらかになった。どうやら内部にタラとは別のなにかが入っているようだ。口に入れると、粗い食感の外側からは風味がほとんど感じられないけれど、噛み砕くと粘っこくてコメトに似た風味のなにかが中から出てきた。咀嚼で外側と内部の区別が曖昧になってゆくにつれて、味と食感とが混ざりあう。
どれもおいしい。そう感じる。
そうだ。僕には味覚がある。感覚と知覚の両方に、味が存在する。知覚の味を知った過去は確かにあるはずで、けれど思い出せる気がしない。まるで『箱』に忘れてきてしまったかのようだ。あるいは、消えてしまったんだろうか。
「ふあぁ……片付け終わったし、もう寝てきていい?」
器洗機に食器や皿を入れるなり、チエがアラシに訊いた。かなり眠そうだ。
「うん、今日はそんなに作業も残ってないし」
「そんじゃ、おやすみぃ……」
チエが少し蛇行しながら扉へと歩いてゆく。
「はいおやすみ」
「おやすみチェレ」
アラシとソーロがチエに声をかける。
あっ、そういえばこれはあいさつだったな。
「おやすみ!」
間に合わせようと強く放つ。扉を開けて去ろうとしていたチエは、ほんの一瞬だけ立ち止まり、ゆらりと手を肩の辺りまで挙げながら、扉の向こうへと行ってしまった。
「今日はギリギリ間に合ったって感じかな?」
ソーロがアラシのほうへと振り返る。
「そうですね。きのうは久しぶりに退行したんですけどね」
「そうか。ワタシが最後に見てからはあった?」
「それからでもきのうだけでしたね。もしかして終わったのかなと思ってたんですけど、まだそうはいかないということですね」
「まあ、チェレちゃんは事情が事情だ。アルゥシだって大変だとは思うけど、ここは年長者が耐えてあげなくちゃね」
ソーロがアラシの肩に手を置く。アラシは息をはいて肩を下げた。
「まだ九時半だけど、チェレちゃんもいないことだし、どうだい?」
ソーロがなにかを親指と人差し指で挟んで振るような仕草をする。
「えっ、いやいや、まだ少し記録の整理が残ってるんですよ」
「飲みながらでいいじゃないか。キミならワタシの話を聞きながら飲んで記録もつけるくらいできるだろ?」
飲料の容器を振る仕草だったのか?
「さすがにそんな多重処理は経験したこと無いですよ」
「そうそう、ここってつい最近に補充が入ったみたいで、いいのが売ってあったよ。ワタシが出してあげ――――」
「飲みましょう」
「そうくると思ったよ」
アラシがマナジンのほうへと向かう。ソーロは調理場に入って、なにかを探していたかと思うと、ガラス瓶を右手と左手に四本ずつ持って戻ってきた。八本のうち、一本だけ中の液体が白っぽくて、残りの七本はガラス瓶自体が茶色だ。
「カロゥムも飲もうよ。まあ、同じものは飲ませられないし、食後すぐではあるけど、きっとおいしいよ」
ソーロが瓶を机上に置くと、アラシが端末を携えて戻ってきた。
「……なにをするんだ?」
そう尋ねた瞬間に、アラシは眉を歪めた。
「あっ、そっか、カームもお酒は嫌いなんだったね」
そうか、先ほどから“飲む”と言っていたのは酒のことか。
「えっ、カロゥムはお酒の味を知ってるのかい? そんな歳?」
ソーロが目を見張る。
けれど――――
「いや、知らないぞ」
「あ、そうなんだ。じゃあお酒が嫌いっていうのは、お酒を飲んだ人に絡まれるのが嫌いだってこと?」
「そんなところ……だ……」
ああ……そうか。それだったのか。
なんだ、僕はもう確かに知っていたのか。ただ思い出せなかっただけなのか。
続けるしかなくて、けれど今、こうして思い出し、改めて知った。
だから、僕は今、ひとつの願望を持ち直す。
「アラシ、頼みがある」
「ん? なに?」
アラシの目をまっすぐに見据える。アラシの頭がわずかに引く。
「筆記具をくれないか」
すべてが止まったかのような、一瞬の間。
不安が鋭く増し、言葉が突き飛ばされる。
「なにを対価に出せばいい? なにかをすることでも代わりになるのか?」
「……あ、いや、別に筆記具くらいあげるよ」
アラシが安堵を含んだ笑顔になる。
「対価は要らないのか?」
「うん。というか、逆にそんなものもあげてなかった私が悪いよ」
アラシはまたマナジンのほうへと向かい、戻ってきた。
「はい、これでもいい? ちょうど余ってたんだけど」
机上に置かれたのは、僕の手のひらよりもひとまわり大きい手帳。ソーロの髪色に似ている深緑色のカバーには光沢がある。
「ああ。ありが――――」
「あっ、ペン忘れてたね」
アラシはまたマナジンのほうへ向かい――――
「アルゥシ。それにカロゥム。よければだけど、ペンはワタシから贈ってもいいかな?」
ソーロが胸元から服の内側に手を差し入れる。
「……どうする?」
アラシが僕のほうを向く。
「えっ、僕が決めるのか?」
「うん。カームに贈られようとしてるものだからね」
そういうものなのか。
「……ソーロ、頼む」
「ほいほい、うりゃっと」
ソーロが差し入れていた手を抜き出す。その手が掴んでいるのは、僕の指よりもいくらか長い、木造りのペンだ。
「うんうん、これこれ。解体した酒樽から作ったペンなんだ」
ソーロがペンを差し出す。
「いつか誰かに贈ろうかと思って持ってたんだけど、まさか本当にその誰かが現れるとは思ってなかったよ」
ペンを受け取る。指先に少し重たい感触があって、けれどすぐに馴染んでいった。
書きたくなる。ペンの持ち心地に、手が走ろうとする。
「それで、なにを書こうと――――」
「書いてきていいか?」
アラシの尋ねごとを遮ってしまった。
けれど、逸りは収まらない。
「えっ、うん、いいけど」
扉へと向かう。ここでは書けないという予感が、足を運ばせる。
「どこに行くの?」
アラシが訊いてくる。
「書きに行く」
的外れな返事だ。けれど、もう一刻だって早く書きたい。今度はもう逃したくない。
「ここでいいんじゃ……」
「まあいいじゃないか。なんだか一生懸命でかわいいし」
振り返らずに扉を開けて部屋から出た。廊下を進んで“ソーロの部屋”に入る。奥のベッドに平らな場所を見つけ、そこに近づいて手帳を開き、ペン先を当てて――――
「……なにから書こう?」
惑いがそのまま言葉になった。
まだなにも書かれていない手帳。今まさになにかが記されようとしている紙面。
少なくない数の“初めて”を潰してきたような気がする。けれど、これは潰してしまいたくない。
きっとまだ間に合う。潰さないでいられるかもしれない。
なにを書けば……なにを……
「…………」
潰したものを、まずは書くべきだ。
決まった。
ようやくペンが紙面の上を走り始めた。




