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誰よりも軽やかな風  作者: 雪原たかし
第2章 『高楼大陸にて』
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第13話 「不動」

 暗赤色の薄明かりが照らす部屋。ソーロは扉を叩きつけるように閉めると、把手の隣にある鍵を、これまた乱暴に叩いた。カシャッという音は、おそらく施錠音だろう。破壊音かもしれないけれど。

「はぁ……」

 ソーロはいつになったら僕を降ろして――――

「あ、切れたぁ……」

 そう呟いて――――ソーロはその場に崩れた。

「えっ」

 そのまま僕も落ちれば、きっとソーロを傷つける。

 もはや拘束は無いも同然。時機は一瞬。

 部屋の中の物体で把握できているのは床だけだ。それを見据え、手足が触れた瞬間に落下を前へと押し込めて――――

「んぐっ!」

 正中に沿わない前転。不格好に床を転がって、仰向けに倒れた。

「ぐぁっ……はっ……はぁ……」

 これほどの瞬間的な緊張はとても久しぶりだ……

「ごめんカロゥムくん……」

 先ほどまでの勢いが失せている声。身体を起こして振り向くと、ソーロも仰向けに倒れているのがかろうじて見えた。

「ここはなんだ? どうして僕を連れ込んだ?」

「答える気はあるんだけど、まずはここから動く手伝いを頼んでもいいかな? さっきキミを担いで無理したせいで身体が……」

 しきりに身動きをしているのは起き上がれないからか。

「動く手伝い……それはどうやればいいんだ?」

 暗いせいではっきりとはしないソーロの影に問いかける。

「ん、経験無い? じゃあ、えっと……意外と説明するの難しいな」

 とりあえず、離れていては手伝いなどできようがないだろうから、ソーロのすぐそばまで近づく。

「本当にごめんよ。拉致した挙句に介抱を頼むなんて」

「お前は抱えたせいで抱えられることになるんだな」

 ふと気づいたことを言葉にすると、ソーロは黙った。

「どうし――――」

「なんだいそれ、ふはははっあ、痛ぁい……」

 えっと、笑って、苦しんだ……のか?

「とりあえず明かりを点けようか。そこの扉のすぐ左にスイッチがあるんだ」

 扉に近づくと、確かにスイッチらしきものがある。押してみると、部屋の上辺を渡る光源が輝度を増し、暗赤色から青白色に変わった。

「んー、見上げてもかわいい……」

 ソーロが目を細めている。先ほどよりもかなり穏やかだ。というよりかは、弛んでいるという表現が近いのかもしれない。

 改めて部屋を見ると、レイメバナンの居室を三部屋ぶん合わせたほどの広さだと分かる。直方体の空間は扉から直進する方向に長い。壁は白砂色で、奥には二台のベッドが縦に積み上がっている。荷物らしきものが床の所々に置かれているけれど、ソーロのものか?

「ここからは?」

「ああ、えっとね、キミの肩沿いにワタシの腕をまわして、身体を起こしてくれるかな」

 ソーロの脇にしゃがみ、ソーロの腕を持ち上げて――――

「これは……荒原と同じ香りだな」

「え?」

 ソーロの手や上腕のかすかな香りは、ソーモン荒原の風がずっと運んできていた香りとよく似ている。ほんの少しの金気と、湿り。

「ソーロはこの荒原に住んでいるのか?」

 ソーロの腕を肩に沿わせ、背中に自分の腕をあてがってソーロの身体を起こしながら訊いてみる。

「いや、住んでるって言えるほど長くは滞在してないよ。どうしてそう思ったんだい?」

「手と腕に同じ香りを感じたからだ」

「ほんほん、嗅覚が鋭いんだね」

 腕への負荷が軽くなる。

「キミは床に座ることに抵抗があるほうかな?」

「無い」

「ならまあ、このままでいいか。腕、もういいよ、ありがとう」

 離れると、ソーロはわずかに揺らいだけれど、すぐに姿勢を戻し、僕のほうへ顔を向けた。

「そうそう、質問のことだけど、ちなみにカロゥムくんはなんだと思ってるの?」

「お前の部屋だと思っている」

「それはどうして?」

 これまでの経緯を思い返してみる。

「この部屋への駆け込み方……空間や構造を知っていて……あとは、荷物があるから誰かが所有していると考えた」

「よく見てるし考えてるんだねぇ……でも、ここはワタシの部屋であって、そうじゃないとも言える」

 どういうことなんだろう?

「“公共施設”という言葉は知ってる?」

「行政府に代表される、衆人が利用する施設……だったか?」

「そんな感じだね。で、サイトは行政府の高楼大陸管轄庁が運営をしている公共宿泊施設、という位置付け。まあ、簡単に言うなら、“みんなが利用できて、お泊まりもできるところ”だね」

 理解したような……していないような……

 いっそのこと、言葉にしてソーロに聞いてもらうか。

「えっと……お前はここの部屋に泊まっているから、ここはお前の部屋だと言えて、けれど公共施設だから、お前のものではない……ということか?」

 ソーロが目を見開く。

「キミってとんでもなく賢いんだね。アルゥシがお供に選ぶわけだ」

 どうやら正解らしい。

「まあ、ソーモン荒原にはサイトによく似た私設の宿泊施設もあるけど、気候と土壌の関係上、特殊な工法を採らない限り、この辺りにはあまり規模の大きな構造体を置けないんだよ。私設のものは、ここよりもかなり南の、安定層の深度が小さくて、融雪水の排水が容易な地域にしか無い」

 またよく分からないけれど――――

「“特殊な工法”を私設の施設で採用すればいいんじゃないのか?」

「うーんとね……これは説明の順番を間違えたかな……」

 ソーロが首元の髪を指でくしゃくしゃと乱す。困っているというのは明らかだ。チエのような性質でなければ、の話だけれど。

 そしてきっと、困らせたのは僕の理解が足りないことが影響しているんだろう。

 考えよう。もっと、もっと……

「気候……土壌……特殊な工法の制限……北には公共施設のみ……私設には不可能……南は……」

「えっと、カロゥムくん?」

「安定層……安定層……そうだ、安定層だな。あとは融雪の排水が北と南で……そうか、分かったぞ。いや、分かってはいないか」

「どっちなんだ……じゃなくて、カロゥムくん?」

「……ああ、なんだ?」

 ソーロがさらに困惑している。

「ああよかった、気が狂っちゃったのかと思ったよ。それはそうと、分かったって?」

「ソーモン荒原の北部は、安定層とやらの深度が大きくて、融雪水の排水も容易ではなくて、そのことを克服するために特殊な工法を採用する必要があるけれど、それが私設では困難なもの……という関係があるんじゃないかと考えたんだが――――」

「わおわおわお! なんてこったい天才じゃないか!」

 ソーロが目と口を大きく開く。

「カロゥムくん、キミは何歳?」

「えっと、一〇代半ば……だと思う」

「だったらありえないこともない……にしてもやっぱり賢いよ」

 かなりソーロに動きが戻ってきた。回復しつつあるんだろうか。

「そう、まさにキミの言うとおり、ソーモン荒原は冬季を過ぎると融雪水が土壌を軟弱にするんだ。その上に大きい構造体を置いたら、そりゃあ傾いちゃって安定しない。だから、長ーい杭を、安定層と呼ばれる硬い地層まで伸ばすんだけど、ソーハンから、ここの南にずっと行ったところにあるスーコンまでの地域は、安定層の深度が大きすぎるから、特殊な工法を採らないと杭が届かない」

 次第に想像が確かになってきた。

「……その地域では融雪水の排水ができないのか?」

「むしろスーコンよりも南は融雪水の排水ができるというのが特殊なんだよ。いきなり川が現れるわ、やたらと太い地下水脈があるわ、まあ、細かく説明し始めたらワタシの専門領域の話になって難しい話になるから省くけど」

 今の僕ではこのくらいの理解に留めるべきということか。

「あとは……ああ、連れ込んだワケか。こっちの話はなぁ……」

 ソーロがまた首元の髪を指で乱す。

「困るのなら、言わなくてもいい」

「えっ」

 髪を乱す指が止まる。

「今のお前からは、僕を拘束する意思も能力も感じられない。僕は風旅を続けられさえすれば、それでいい」

「あ、そういう認識だったか……まあ、そう思っても仕方ないけど」

 ソーロが笑う。困惑が混じっている。

「けど……うん、大丈夫。困るというか、困らなきゃいけない気がするしね」

 ソーロが身体を傾けて僕の肩に手をかけ、促すように引き寄せる。それに流されるようにして、ソーロの前に背を向けるような格好で座ると、先ほどと同じように肩越しで腕がまわされ、緩やかに拘束された。頭頂に触れる感覚は無い。

「ワタシはね、地学者なんだよ。土を調べるのが仕事で、いろんな地域のいろんな深度の土を調べてきた。ここ数年はソーモン荒原の土をずっと調べてる」

「土を調べる……というのは、土にも意思があるのか?」

「いやいや、アルゥシが調べてる風と違って、土は意思を持たない。ワタシが感じていないというだけなのかもしれないけどね。まあ、ワタシは古くからある手法に則って土の組成を分析したり、掘って、掘って、掘りまくったり、そういうのを繰り返して、さっき言ったような地層のこととかを調べてきたんだ。それで、そもそもなんでワタシが世界中にある数多の地域からソーモン荒原を選んだのか、というのが、キミの疑問の答えに繋がるんだよ」

 土と連行。本当に繋がるんだろうか?

「キミは愛がどういうものか知ってる?」

 ……本当に繋がるのか?

「愛……読んだことはある」

 それがなんらかの変化の合図であるということは読み取っていた。けれど、あまりに複雑な変化を見せるから、それ以上の理解を放棄していたものだ。

「まあ、難しいからね。とりあえず、今は特に“ある異性のことを大切に思って、その人を求めようとしてしまうこと”という感じに認識しようか。たとえば、キミがアルゥシやチェレちゃんのことを大切に思ってるとしよう……思ってるよね?」

「ああ」

 即答していた。“大切に思う”というのがどういうことなのか、まだ分かっていないというのに。

 なんだこれは……なんだ……?

「数年前……いや、二〇年とちょっと前のワタシはね、それと似たような気持ちを、あるひとりの男に対して感じていたんだ」

「男……ああそうか、ソーロは女だったな」

 話の主体が移ったことに少し混乱して呟くと――――

「それ、ワタシは女に見えないってこと?」

「ぐぁっ」

 背中に大きな重みが唐突にのしかかる。ソーロが身体を僕のほうへと倒そうとしているようだ。

「ちっ、違うぞ……」

「あ、そうなの」

 重みが急に消えた。まだ腕はまわされたままだ。

「キミは嘘のつき方を知らないって顔に書いてるもんね。ごめんよ」

 顔に書いて……いや、確かこれは慣用表現だったな。

「こういう、そんな人じゃないとか、そういう人だって分かってるのに、それとは逆の反応をしちゃうのがいけないんだろうね……」

 またわずかに背中を押す重み。

「彼も地学者だったんだ。お互いまだ若くて、有名な教授に研究員として同行して、この荒原で出会ったんだよ。地学に対して真剣な男だなって思ったのがきっかけで彼に話しかけるようになってね。下っ端の研究員なんてほとんど野放し状態だったから、暇になればすぐに話しかけて、いつだったか、彼のほうから話しかけてくれるようになった時に、彼のことを愛しているんだって気づいた」

 意識が部屋の輪郭を忘れ、想像が領域を広げてゆく。

 ソーロの輪郭と、曖昧な人影。ソーモン荒原の風景に並べて置く。

「深く、ふかく、それこそワタシはたくさんのものを懸けて、彼を愛した。彼だって愛してくれていた。愛という感情の、最も甘くて素晴らしい時間と感覚を、ワタシたちは贈りあってた。五〇歳近くになった今でも思い出せるよ、その頃のことは」

 ソーロも、曖昧な人影も、微動だにしない。

 愛するというのは、どんな動きをするんだろう?

 風景だけが広がってゆく。ソーロの言葉が荒原をただ響き去る。

「でも、彼は野心家だった。それも、なんですぐに気づけなかったのかが不思議になるくらいの途方もなく大きな野心を持っていて、そのためならどんな雑務でも……そう、“どんなにつまらないことでもしっかりやる”人だった。それで、そのつまらないことの中に、彼は地学すらも含めていたんだよ」

 服の胸元をぐうっと掴まれる。現実へと引き戻そうとする力。

 けれど、想像は終わらない。

「それを聞いた瞬間、愛は消えた……ということになってくれたらよかったのにね。ただ、確かなのは、彼とはもう一緒にいられないってことだった。それから、ワタシはここを自分の研究領域にすることに決めて、彼は本当に野心を叶えていった。その野心を叶えることにおいて、彼は本当に強かったんだよ。ワタシのほうは、このはるか昔に研究が尽くされた荒原に、どうしても戻ってくるようになった」

 曖昧な人影が薄らぎ、消える。荒原は夜になり、ソーロは地下へ沈み、サイトが象られ、そこに僕とソーロの姿が現れる。

 意識は現実を思い出した。視界には、白砂色の壁。肩と背中に、確かな重み。

「お前は……愛のために、土を触っているのか」

 ソーロの上腕が手に捕まり、握り締められてゆく。

「その質問に『そのとおり』って答えられるようになることなのか、『違う』ってはっきり答えられるようになることなのか、どっちがワタシの研究の果てなのか……自分でも分からないんだよ。ずっと探してるのにね」

 右の側頭部にソーロの頬がひとっと触れる。呼吸と声とが、僕の右耳を捕らえる。

「感情というものはね、カロゥム、確定しないほうが優しいんだ。確定してしまえば、たとえそれがどんなに好ましくないものでも、自分自身がその残酷な選択をしてしまうことになるんだから」

 ソーロが語り終えてもなお、右耳に残る言葉。理解ができずに、ただ言葉であるということだけを確かな性質として、記憶に残る。きっとそういうことが僕の中で起こっている。

「さてと、戻ろうか。もう動けそうだし、おなかもすいたしね」

 拘束が解け、背後でソーロがゆっくりと立ち上がる気配がする。

「カロゥムく……やっぱりもうカロゥムって呼び捨ててもいい?」

 僕は、なにかを理解しなければいけなかった。ソーロから。その言葉から。きっとそうだ。

「ああ、問題無い」

「じゃあ、ワタシのこともソーロでいいからね。今度はかわいさに免じてじゃなくて、キミに免じて許可しよう」

 扉の開く気配。振り向くと、扉を押し開けるソーロと、その奥の廊下で壁にもたれて立つアラシとチエが見えた。

「ごめんよアルゥシ、キミのお供に慰めてもらっちゃった」

「えっ、それって……」

「いやいや、そっちのほうはさせないよ」

「ですよね……あぁびっくりしたぁ……」

「にしてはあいつ呆けてる気がするけど?」

「へぇ、チェレちゃんは呆けてたらそっちのほうかもしれないってこと知ってるんだね」

「……ええそうよ」

「うわっ、若いなぁ! でもそっか、キミたちはみんなまだ若いんだったね」

「カーム」

 アラシの声。視線と意識とが揃って扉のほうを向く。

「おいで。晩ご飯にしよう」

 僕は待たれていた。

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