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誰よりも軽やかな風  作者: 雪原たかし
第1章 『北方大陸にて』
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第1話  「見つけたもの」

 あらゆるものが投下されて、積もり、動かなくなる『果ての箱』という暗大な空間で、僕は生きている。




「ん……」

 見かけたことの無い本だ。書名は……『北方史』か。分厚いし、表装もまだ綺麗なほうだな。

 表紙と目次を飛ばして、最初のページには――――


『北方大陸には行政府に許可された者しか踏み入ることができない。ゆえに、その中央、北極圏の地下に存在するという巨大空間の実態を知ることはほとんど不可能といえる。『果ての箱』という名前は実に合っていると言え――――』


「ハァ……」

 またか。これで何度目だろう?

 どこに『箱』があるのか。外界ではどういう場所だと見なされているのか。どの書籍や記録でも、その結論はほとんど変わらない。 北方大陸の中央、極圏の地下にある、最新の秘境。それが『箱』。

 けれど、まさにその『箱』で生きている僕にとって、暗く果ての見えないこの空間で遭遇するすべては、どんな記述でも及びようのない現実だ。

 ほのかに光る底面。その大半を覆い隠すように散り積もっている無数の物体は、『箱』の上面にある投下口から落とされる。落下で得るはずの速度は、着底の直前には失われている。

 ここにはなんでもあるんじゃないかと思える。さっき拾った本。ずいぶん前に見つけた巨大な船。きのうは小鳥を見かけた。壊れているものが多いけれど、壊れていないものもある。無機物。有機物。生物。機器。人間も。やっぱり、ほとんどなんでも。

 僕はそのすべてを“物体”と呼ぶことにしている。どんな性質を備えていても、どんな形状でも、どんなに盛んでも、どんなに静かでも、すべてがいつかは停滞するからだ。

 そして、完全に停滞した物体は『箱』から消失してしまう。

 どういう状態が“停滞”なのかは、僕には確かなことが言えない。微動だにしない固体であってもなかなか消えずにいることが多いし、動き続けている人間でもいつの間にか消えていたりする。けれど、消えたものを思い返せば、きっと停滞したんだろうと思えてしまう。きっと動かなくなったんだろうと。それもまさにまったく動かなくなったんだろうと。

 目には見えないなにかも、きっと停滞し――――

 ゴッ。

「うっ」

 物体の山に肩がぶつかり、思わず足が止まる。見えてはいたから、難なく避けることができそうだったんだけれど……ん?

 本……だろうか。上質な皮革系の素材の表装。傷はほとんど無い。ここまで状態の良好なものは珍しいな。

「『風の空白』……」

 書名に覚えは無い。

 表紙と目次を飛ば――――


『空っぽな場所へ、寂しさに砕けてしまいそうな人のもとへと吹く世界中の風を、あなたと共に知るための本となることを願う』


 飛ばせない。手が止まる。目が留まる。

 表紙裏。あるのはこのたった一文だけだというのに。

 どうして……こんなにも意識に強く映り込んでくるんだ?

 目次に書かれているのは、知らない名詞とページ番号の数字だけ。けれど、表紙裏の一文のせいか、それさえもが意識を掴んでくる。

 もう一度、表紙裏に戻ってみる。どう見ても、思っても、一文だ。

 この一文のなにが僕の意識を捕らえているんだろう?

 読み進めれば分かるんだろうか?

 そうだ……そうだな。きっとそうだ。読み進めればいいんだ。

 もう一度、目次を読んで、ページをめくろうか。




『科学が証明したように、風は確かに密から疎へと向かう。だが、それでは説明のつかない風が、世界中の様々な場所で吹いている。私が風旅を続けているのは、とある風を求めているからだ。だが、未だにその風に出会えていないことを、私は悲しいとも悔しいとも思っていない。私の旅はたくさんの風との出会いそのものだった。いつだって彼らはひとつだった。また、小さなひとつでもあった。拒んでいるように感じたこともあった。本当はそのひとつひとつが私に寄り添ってくれていた。そう、科学が証明できなかった風は、私に吹いていたのだ。たとえ探し求めている風ではなくても、この発見だけで、私の旅は孤独との闘いではなくなったのだ。風は私に吹いている。なにかを求める空っぽの心を満たそうとして』


 裏にはもうなにも続いていない。これほど分厚い本だというのに、もう読み終えたんだな。

「ふぅ……」

 もう一度、表紙へと戻る。

 『風の空白』という書名。僕にとって未知ではなくなったものだ。

 著者の『アラシ・ハミル・キトス』。未知を教えてくれた者だ。

 僕は……なにを知ったんだ? なにかが変わったのか?

 今の僕ではまだ分からない。だったら、もういちど読もうか。

 知るまで、分かるまで、何度も、何度でも。

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