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その後、レオは、自宅へ戻る時間を惜しんで、三階のギオルの部屋へ向かった。
(早く父に連絡しないと……。)
ギオルの部屋なら、何がどこにあるのか、よく知っている。
レオは、誰もいないこの部屋に入り、勝手知ったる机の引き出しから、ペンと便せんを取り出すと、父モラードに短い手紙を書いた。
------国王軍がカーラ姫をさらって、父さんの捜査を要求してきている。
くれぐれも警戒されたし。 レオ------
本当は裏金の事を問いただしたかったが、それはあえて書かなかった。もしかしたら、この手紙が国王軍の手に渡る可能性もある。だから今は、とりあえず、現在の状況だけを書き留めてロウで封をし、レオは、近くにいた兵にそれを託した。
「急いで議長のもとに届けてくれ。」
「分かりました。」
兵が去ると、ふいに、レオは、虚しさに駆られた。
ここはギオルの部屋だ。
そこかしこにギオルとの思い出があるのに、ここにギオルはいない。
それが、とても寂しかった。
(……ギオル。)
ギオルは、不幸な子供だった。
勤労日は、領礎結界石で守られた、この建物内しかいられないし、回復日でも、結界士用の重いローブを引きずっていないと、外にも出られない。だから、外で駆け回って遊んだ経験が、ギオルにはなかった。それを破って外に出れば、何日も寝込むことになる。ギオルは幼い時から、行動の自由が制限されていた。
それに、ギオルには、職業選択の自由もなかった。
ギオルには、他に兄弟がいなかったため、早い段階でデノビア領の結界士長になる運命が定められていた。もっと遊んでも、誰も咎めたりしないのに、少年ギオルは「他にすることもないから。」と、毎日結界術の勉強ばかりしていた。
そんなギオルを、レオは、可哀想だと思った。
せめて少しでもギオルを楽しませようと、いろんな話を持ってこの部屋にやってきた。どこかの子供がイタズラをした話とか、どこかの大人が酔っぱらって奥さんに怒られた話とか。ギオルは、喜んでレオを迎え入れてくれたが、今思えば、ギオルが少年らしい顔をしていたのは、自分と喋っている時だけだったのかもしれない。
ギオルは、成人を前に、相次いで両親を亡くしている。
ギオルの両親は、ともに上級結界士だったが、術力的には中級結界士に近かったため、毎日の結界石の構築作業に疲弊していた。デノビア領民を守るため、そして、息子ギオルにその苦労を背負わせないため、両親は、必死で結界石を構築し続け、その過労がたたって亡くなったらしい。
青年ギオルがノーラ家を引き継いだとき、その姿は誰の目にも哀れに映った。
青年ギオルは、ひどく痩せていて、滅多に笑うこともない。寡黙で、粛々と職務に励む様子は、声をかけるのも躊躇われるほど、繊細な青年に見えた。
ただ、そんなギオルが、別人のように輝いている日が、たった一日だけあった。
あの日、ギオルは、「レオ聞いてくれ!」と饒舌に語りだしたのだ。ギオルは、ずっと心に秘めていた想いを、「ついに打ち明けてしまった。」と照れながら言った。そして、「あの人も、同じ気持ちでいてくれたらしい。」と。それが「本当に、嬉しかったんだ。」と。ギオルは珍しく、はしゃいでいた。あの日のギオルは、とても幸せそうだった。
けれど、ギオルには、結婚の自由もない。
その日以降、ギオルは、身を切るような苦しみに苛まれた。ギオルが手に入れた恋は、誰にも祝福してもらえない恋だった。ギオルの頼みで、何度か逢瀬を手伝ったが、それは、たぶん逆効果だった。ギオルの苦しみは晴れようがなく、愛情が深まれば深まるほど、ギオルは一層、追い詰められていった。
ギオルは、いつも彼女の事を案じていた。
もし、この関係が公になったら、たぶん、彼女は、デノビア領民から「悪女」と罵られることになるだろう。生まれ育った土地で、後ろ指さされて暮らすことになる彼女に、自分は何ができるのだろう。
不自由な環境と、度重なる不幸、報われない恋。
ギオルはもう、限界だった。
そんな憔悴しきったギオルを、レオはもう、見ていられなかった。
★
「軍将、こちらにいますか?」
誰かの声に、レオは、ハッと我に返った。
「ああ、ここにいる。」
返事をすると、扉が開かれ、ネリーが、
「ああ、こちらでしたか。」
と、顔を出した。
「あの~、国王軍の方は、帰られたんですか?」
「……お前が心配することではない。それより、ネリー。そちらの首尾はどうだ?」
「もちろん、バッチリです! 久しぶりのガールズトークに盛り上がっちゃいました~。」
「そうか。」
やはり、同性同士の方が話しやすいのだろう。
心配事が一つ減って、レオは、安堵の息を吐いた。
「それで、クイ姫は、どんな男が好みだった?」
「え~っとですね~。」
しかし、ネリーは、なぜか、もったいぶって視線を泳がせた。
「え~っと、一字一句そのまま伝えますね~。え~っとですね~、クイ姫が好きな男性は、……「レアな変態さん」です。」
「は?」
「そんでもって、「レアな変態さん」に「束縛されるのがサイコー」なんだそうです。」
「は?」
ネリーの言葉に、レオは、眉間にしわを寄せた。
「……お前、もしかして、「男の好み」ではなく「夜の好み」を訊いてきたんじゃないだろうな?」
ネリーは慌てた。
「ち、違いますよっ!」
「じゃあ、他に、クイ姫は何と言っていた?」
「他ですか? え~っと、「すっごくおっきい人がいい」って。」
その瞬間、レオは、カチンときた。
「何がガールズトークだ! 貴様らが盛り上がっていたのは、ただの猥談ではないか!!」
「ぎょぎょ!」
ネリーは慌てて言い訳をした。
「ち、違います! たぶん、それは、器が大きい人って意味で……。」
「もういい、出て行け!」
「ぎゃふっ。」
レオは、ネリーを蹴り飛ばすと、力任せに扉を閉めた。
バン!
扉に苛立ちをぶつけても、気持ちが収まらない。
(ああ! ネリーが、ここまで使えないヤツだったとは……。)
しかも、役に立たないのは、肝心なところだけだ。
体力もあり、剣も使えて、雑務もそつなくこなすのに、護衛対象は逃がすは、収拾した情報はエロ方向に偏っているは。これでは、何のためにネリーを重用してきたか分からなくなる。
(くそう、まともな奴はいないのか!)
まだ入隊三年目のネリーを重宝してきたのは、女兵士がごく僅かしかいないからだ。デノビア領では、領軍の活動は、ほとんど外界で行われるため、「将来の母体に悪影響があるのでは?」と、女性の入隊が敬遠されてきた。また、よそ者が入りにくい社会構造をしているために、護身術を習う女性も少なく、武術に触れる機会が乏しいために、それを志す女性も少なかった。
(……いまさら、そんなことを言っても始まらない。)
レオは、気持ちを落ち着かせるために、長く息を吐き出した。
「ふぅ~。」
情報を整理すると、クイは、「束縛系の変態」が好みらしい。
(……クイ姫を喜ばすためには、何をすればいいんだ?)
想像すると、急に悪寒がした。
(……ダメだ。)
考えるだけで、吐き気がする。
(……くそっ、クイ姫を口説き落とせる気がしない。)
レオは、がっくりと項垂れた。
自分とクイが恋人同士になれば、すべてが丸く収まると思ったが、やはり、人の心をどうこうしようと思うこと自体、間違っていたのだ。
今日、なるべくそばにいて、クイとの距離が縮まってきている実感はあったが、この先、クイが普通以上のものを求めてきたら、とても応えきれないだろう。「束縛系の変態」の役など、自分にこなせる自信がない。
(……すまん。)
レオは、クイをあきらめて、窓の外を見やった。
窓の端に、半月がぽっかり浮かんでいる。
レオは、その月に、部下たちのことを思った。
(……俺は、もう無理だ。……あとは、お前たちだけが頼りだ……。)
彼らも、この半月を見上げているだろうか。
彼らは今も、この月明かりの下を歩き続けている。
西へ、西へ。
その先にある、ウテリア領を目指して。