1-5
数時間後。
クイは、カーラを発見できなかった体で、ノーラ家に戻った。
「たっだいま~。」
玄関ホールでは、兵たちが、忙しなく行き来していた。
その中心には軍将レオがいて、兵たちと何か話をしていたのだが、レオはクイの姿を見るなり、
「クイ姫!!」
と、それまで話をしていた兵を置き去りにして、クイのところに走ってきた。
その勢いのままのハグ。
「ぎゃふっ!」
本当は「やめてください。」と言いたかったのだが、レオに、
「あなたという人は! どれだけ心配したか……。」
と、悲痛な声で責められると、何も言えなくなってしまった。
(うう。苦し~。……レオって、とことん他人を想いやる人だよな~。)
父モラードを諫め、友人ギオルを匿い、初対面のクイにさえ、ここまで気を配ってくれるなんて。
(どうして、こんなにレオは優しいんだろう。)
しかし、よくよく省みると、クイは、普通の客人とは思えない行動をし続けていた。
オレリアスとの旅行を妄想して、失神しそうになったり。レオの制止を振り切って、二階の窓から飛び降りたり。何時間も行方不明だったのに、しれっと笑って戻って来たり。
これでは、レオに心配するなという方が間違っているのかもしれない。
(……。……私が悪いのか?)
もちろん、レオが悪い訳じゃない。
ただ、ちょっと密着度が高すぎるだけ。
クイは、なんだか申し訳なくなって、反省の言葉を口にした。
「あ、あの……勝手にいなくなって、……ごめんなさい。」
すると、レオは、いくらか抱きしめる力を緩めて、
「分かってくれればいいんだよ。」
と微笑んだ。
「あの~、カーラ姉さんは見つかったの?」
「ああ、領内で見つかったよ。今、我々の軍が、カーラ姫のいる建物を包囲しているところだ。」
そうか、もう、デノビア領軍は、あの倉庫を見つけたのか。
「カーラ姉さんは、大丈夫なの?」
「ああ、心配いらないよ。力押しで取り返してもいいんだけれど、カーラ姫の安全を考えるとね。今から私が、交渉に行こうと思っているんだ。」
「……そうか、よかった。」
「だけど、君を連れては、行けないよ。」
「……。」
「お姉さんの事が心配だと思うけど、君はここで、私を信じて待っていてほしい。」
別について行くつもりはなかったので、クイは、素直に頷いた。
「うん、分かった。さっきは、心配かけてごめんね。今度はちゃんと待っているから。」
その返事に、レオは満足そうに微笑んだ。
「そう言ってくれると助かるよ。必ず、カーラ姫を無事に取り戻すからね。」
すると、一人の兵がレオに近寄ってきた。
「軍将。」
レオの耳元で、何か囁く。
「?!」
すると、レオの表情が変わった。
「一人か?」
一転して低い声。
「はい。今、外に。」
「分かった、応接室に通してくれ。」
誰か客人が来たらしい。
誰だろう。
だが、それを問う間もなく、レオは、クイを離してネリーを呼びつけた。
「ネリー。」
呼ばれて、ネリーはすっ飛んできた。
「ここに。」
「クイ姫を部屋へお連れしろ。」
「はっ。」
「くれぐれも、同じ失敗はするなよ。」
レオに睨まれて、ネリーは、緊張した面持ちで敬礼をした。
「はっ!」
★
その後、クイは、カーラの部屋の隣にある客間に通された。
デノビア領に滞在する間は、ここに泊まっていいらしい。
つきあたりのカーラの部屋よりやや狭いが、南向きの窓から、障壁や外界との門がよく見える。また、西隣にモラードやレオの家があるらしく、その建物自体は死角に入って見えないが、その敷地の南にある正門はぎりぎり見えた。しばらく見ていると、そこから、家の者が出入りしていくではないか。
(わおっ。絶好の環境じゃないか~。)
どこかで隠れていなくても、ここから出入りが途絶えるのを待てばいい。
そして、辺りが静まり返ってから、こっそりレオの家に忍び込みに行けばいいのだ。
(いやっほ~。さっさと終わらせて、ウテリア領に帰ろっ。)
当面カーラの説教は回避できたし、あとは、ギオルを見つけてカーラに引き渡すだけだ。
「あ~疲れた~。」
見通しが立って、その気楽さから、クイが伸びをすると、
ぱたん。
と、扉が閉まる音がした。
それに少し遅れて、
「あなた方のお陰で、私の信用はガタ落ちです。」
と声がした。
「?!」
振り返ると、ネリーが、扉の前で立っている。
まるで、別人のような冷たい目。
「ネ、ネリー……さん?」
このとき、クイは、ハッとした。
この目つき。
「も、もしかして……、ネリーさんは、王国人?」
すると、ネリーは、ため息をついた。
「……そうですよ。私は、デノビア領民ではありません。王都から派遣された、潜入捜査官です。」
「潜入捜査官?」
「……ええ、マーティン卿に私の素性がバレたせいで、今回だけは手を貸しましたが。」
「え? そうなの?」
「ですが、あなた方は、捜査の邪魔です。」
「何の捜査?」
「モラード卿の……って、そんなことはどうでもいいんです!」
捜査機密を喋りかけて、ネリーは、慌てて話をそらした。
(へぇ~、なるほど。)
カーラは「レオ様が押しとどめている」と言っていたが、中央もそれほど甘くないらしい。
中央が内密に捜査官を派遣して内偵する相手は、領主や、それに同等の最高権力者に限られる。領主の罪は、領民には裁きようがないため、基本的に中央が動くしかないからだ。稀に弾劾などの自浄作用が働くときもあるが、そういう制度を採っている領地は限られていて、多くは、王都の執政官に陳情に行く方法を採っている。レオが父の事を「周りから悪く言われている」と言っていたから、そういう声が中央まで届いたという事なのだろう。
ネリーは不機嫌な顔で、
「私はもう、あなた方に手を貸しませんからね!」
と言った。こちらも、ギオルの件で手一杯なので、モラードのことにまで手を広げるつもりはない。
「うん、いいよ。」
承諾すると、ネリーは、いくらかホッとした顔をした。
「では、私があなたの護衛を務めている間は、絶対にいなくなったりしないでくださいね!!」
「……ん?」
よく考えたら、そこは約束できなかった。
なにせ、さっきカーラに、レオの家に忍び込んで来いと命じられたばかりだ。
(う~ん、どうしよ。)
いろいろ考えた末、クイは、そっと手を上げた。
「あ、あの~、ネリーさん。」
「何ですか?」
「私、今晩にも、レオの家に忍び込みに行ってくるつもりです。」
「は?!」
聞き間違いと思ったようだが、クイは、手を合わせてネリーを拝んだ。
「だから、あとの事は誤魔化しといてくれる?」
「は?!!! また、いなくなる気ですか!?」
「うん、ごめんっ。」