1-2
門をくぐると、そこは大きめの広場になっていた。北側には荷造りを終えた馬車の列、南側には薬の露店がずらりと並んでいる。また、案内看板を持った商人たちも開門を待ちわびていて、受け入れる側の準備も慌ただしかった。
(……なんか眩しいや。)
デノビア領内では、人混みが光り輝いて見えた。それは、持っている結界石と個々の結界紋とが、互いに反応するためだ。
(こりゃ、すごいや。一体、どれだけの結界石が必要になるんだろう。)
デノビア領民全体を考えると、その数は結界柱の比ではない。瘴気の濃度は、外界の荒野程度だから、何年かは持つと思うが、一体、どれだけの結界石が、毎日消費されているのだろう。
(……ノーラ家は大変だな。)
と心から思う。これを、ノーラ家で一手に引き受けているとなると、かなりの術力を日常的に消費させられているということになる。
クイは、レオと共に、用意された馬に乗って、石畳の道を駆け抜けた。
デノビア領の街並みは、計画的にきちんと整備されていて、馬車が行き交えるよう道幅が広くなっている。また、瘴気の関係で、街路樹などは枯れてしまうため、色とりどりの旗を掲げて、街を華やかに彩っていた。
「あの先です。」
入り口の門から、かなりの距離を走ったと思う。
軍将レオが指さしたのは、障壁の門だった。デノビア領は、南南東の方角で外界と接しているから、クイたちは、デノビア領を横断してきたことになる。
「あの門の向こうですか?」
「ええ。」
その障壁の外側に、魔草の畑があるらしい。
クイたちは門の手前で馬を降りた。
西日を浴びながら、障壁の門から農民たちが領内へと帰ってきている。この門は、日没とともに閉まるため、彼らはその前に領内に戻らなければならないのだ。
彼らとは入れ違いに、クイはレオに手を引かれ、障壁の門の外へ出た。一歩外に出ると、外界の森ほどの瘴気が立ち込めている。クイは耐性があるから平気だが、確かに、これほどの瘴気の中、長時間の労働は、結界石がなければキツイかもしれない。
「これが魔草の畑……。」
魔草の畑は、普通の畑とは全く異なっていた。
木の板を組んで足場にし、それを格子状に区切って、その一角ごとに違った種類の魔草が育てている。ナキリ、カイハ、ヒリエミナ、比較的、森の入り口付近に生えている魔草がほとんどだ。その区画の中で作業している男性は、ふくらはぎ近くまで土に埋まっていた。人為的に水が張られている訳ではないが、畑というより田んぼのように見えた。
「もしかして、ここって湿地?!」
「そう。デノビア領の外界はね、ほとんどが湿地帯なんだよ。特に、この辺りはぬかるみがひどくてね。人も足を取られると、なかなか抜け出せない。もちろん、大型の魔獣は入ってこれないよ。だから、デノビア領は、結界がなくてもやっていけるんだ。」
クイは、栽培の秘密を前に、息をするのも忘れて立ち尽くした。
この湿地帯が、魔草の栽培を可能にしていたのだ。
「すごいや~。これは絶対にマネできない。」
だから、他の領地では、魔草を採取に行くしかない。
「驚いたかい?」
「うん!」
クイは、好奇心を満たされて、興奮気味に頷いた。
ただ、いつの間にか、レオの口調がフレンドリーになっている。それに、肩も抱きよせられている。
(ん?)
これはデノビア領式の接待術か、あるいは、安全面への配慮からか。
理由はどうあれ、不思議と不快には感じなかった。レオの過剰なスキンシップも、彼の人徳のお陰か、断固拒否というほどでもない。
(この人、モテるだろうな~。)
こんな風に距離を詰めてこられたら、その気になる女性は少なくないだろう。
レオを見ると、目が合った。
「もうそろそろ、領内に戻るかい?」
至近距離の笑顔。
「は、はい。」
クイは慌てて下を向いた。
(や、やばい。帰りたくなくなってきた。)
優しいイケメン軍将と巡る、最先端の魔草研究の旅。
こんな旅行プランがあったら、即予約したい。
ガイドとしても、軍将レオは十分すぎるぐらい素敵なのだが、……もし、これが、最愛の軍将オレリアスだったら……。
(ごふぅ!)
想像して、クイは、その衝撃に倒れそうになった。
「大丈夫かい?」
抱き寄せられて、クイは、
「だ、大丈夫です、一人で立てます。」
と、レオから離れた。
危ない、危ない、妄想旅行から、帰ってこれなくなるところだった。
「本当に大丈夫?」
手を差し伸べられて、クイは、丁寧にそれを遠慮した。
「大丈夫です。デノビア領の魅力に気を失いそうになっただけです。」
「ふふっ。」
普通の令嬢とは違う返答に、レオは笑った。
「では、デノビア領を気に入ってくれたかい?」
「はいっ! 私! できるだけ早く、また来ます!」
ぜひ、今度は、新婚旅行で!
すると、レオは、聞こえるか聞こえないかの小さな声で、
「……帰したくないんだけどね。」
と呟いて、クイの手を握った。
★
そのうち、門のそばの大きな建物の屋上から、
ドオォン。
と、低い鐘の音が響き始めた。
「わわっ。何?」
「あれはね、日没の合図だよ。」
ドオォン、ドオォン。
鐘の音が響く中、畑にいた人々が続々と引き上げてくる。クイたちは、彼らと一緒にデノビア領内に戻り、横に外れて道を譲った。
農具を持った人や、魔草を背負った人。
その後を、小型の魔獣を警戒しながら、デノビア領軍の兵たちが戻ってくる。
(そうか。こうやって、勤労日が終わるんだ……。)
五日間の勤労日の後、二日間の回復日がやって来る。回復日だけは、領内に結界が張られるため、結界石を持たない外の領地の人々も出入りできるのだ。
最後の一人が門の中に入ると、障壁の門は、静かに閉められた。
すると、先ほどの建物から、結界の光が四方に走った。その光は、デノビア領の結界柱と共鳴し、領内の瘴気を一気に浄化していく。
(あ、これ、カーラ姉さんだ。)
姉妹だからか、術力の雰囲気でなんとなく分かる。
この結界は、カーラが張ったのだ。
たぶん、あの建物の中には社があって、デノビア領を守る領礎結界石があるのだろう。
(……そうか。)
カーラを思い出したことで、クイは、デノビア領の結界士が、どのように生活しているかを想像した。
(そうだよな。こんなに瘴気が濃かったら、ローブじゃ浄化しきれないもの。)
デノビア領の結界士はたぶん、回復日以外、あの建物の外に出ることはできない。
これは、よその領地の結界士より、何倍も不自由だった。
大量の結界石の構築作業と、建物内だけの暮らし。
デノビア領の結界士は、魔草の栽培という領益と引き換えに、過酷な環境下での生活を強いられていた。
★
その後、クイは、領内の施設を見せてもらった。
魔草の選別所を通って、薬の加工所の作業を見せてもらい、新薬の研究所までさしかかったところで、クイの記憶の許容量が限界を振り切った。
興奮の連続と膨大な情報量に、頭がふらふらする。
(あわわ、……カーラ姉さんの説教を食らったら、全部忘れてしまいそう~。)
ふいに、クイは、研究所の裏手で蔵を見つけて足を止めた。
「ん?」
そこには、窓のない蔵が四棟。
あまり人の行き来がない場所だからか、妙に気になって、
「あの~、この蔵は、何が入っているんですか?」
とレオに訊いてみた。
すると、レオは、その蔵の一つに近づいて、
「ああ、これはね。」
と、入り口に掛かっている錠を取った。この錠に何かが書かれているらしい。
レオは、その錠のさびを指でぬぐうと、
「……油だね。」
と、言った。
「?」
薬は、魔草だけでは作れない。
服用したり、湿布したりしやすいように、薬用成分以外の物も混ぜられ、用途に応じた形に加工される。
そういった人の世界のものが、この蔵には、何百種類も納められていたのだが、このとき、クイは、まったく関係のない聞き間違いをしてしまっていた。
(え? 今、「ブラだね。」って言った?)
ブラ? ブラジャーのこと?
しかし、単語が単語なだけに、男性には尋ねにくい。
「この蔵にはね、他にもいろいろな種類のものが集められているんだよ。」
具体的には?
クイがヒントを待っていると、レオは、蔵を見回して、ため息をついた。
「ここにあるものはね、私の父が若いころ、王国中を回って趣味で集めたものなんだ。」
……ま、まさか。
クイは、息をのんだ。
(そ、それは、あなたのお父様が、下着ドロボウをしながら、王国中を行脚したってことですか?)
あまりに人聞きが悪いので、クイが目で尋ねると、レオは、その視線に気づいて、誇らしげに頷いた。
「そうだよ。私の父は、とても研究熱心な人だったんだ。」
「!!」
研究熱心すぎて、相槌もうてない。
「自分で試行錯誤した専用の器具もあるんだよ。」
専用の器具?
何の?
すると、レオは、真面目な顔でクイの手を取った。
「クイ姫、聞いてほしい。」
「は、はい。」
「私の父は、周りから悪く言われているかもしれないが、本当は、そんなに悪い人ではないんだ。」
立派な犯罪者に思えたが、レオの熱意で言葉にならない。
「父は、まじめで、勉強家で、今もその情熱を失っていないんだ。」
……い、今も、現役?!
「私は、そんな父を、とても尊敬している。」
……そ、そうなの?!
「だから、誰に何を言われようと、私のことを信じてくれないか?」
もう、誰のどこを信じていいのか分からない。
クイが恐ろしくなって半歩退いたとき、遠くからレオを呼ぶ声がした。
「軍将! レオ軍将!!」
夕闇の中を、一人の兵が走ってくる。
「何事だ?!」
レオが大声で応えると、兵は、息を切らしながら叫んだ。
「大変です! カーラ姫が!」
「カーラ姫がどうした?!」
「カーラ姫が!! たった今、さらわれました!!」