序-2
定例会議が終わって、オレリアスが書類をまとめていると、下の階からドタンバタンと慌ただしい音が聞こえてきた。
「……。」
下で誰かが騒いでいる。
まあ、だいたいの予想はつくが。
兵長ゴドウィンが会議室から出ようとすると、その横を「ごめん。」とすりぬけ、クイが転がり込んできた。
「オレリアス!」
予想通りのクイ。
クイは、手紙を握っている。
「見て!! カーラ姉さんから、手紙が届いたの!!! あ、会議終わった?」
「終わったよ。」
オレリアスは、苦笑しながら、その手紙を受け取った。クイ宛ての字を見ると、それは美しく整った字で、クイの字とは似ても似つかない。本当にこれが、クイの姉の字なのか。
クイの「読んで読んで。」の目に急かされて、オレリアスは、封筒から手紙を取り出した。
------クイ、元気でいますか?
人様に迷惑をかけていませんか?
行動を起こす前に、よく考えるようにしていますか?
周りの忠告に耳を傾けていますか?
悪いことをしたら、きちんと謝るようにしていますか?-----
冒頭からの説教づくし。
オレリアスは、思わず、
「はぁ~、よくできた姉さんだな~。」
と唸った。
「うん、カーラ姉さんはね、母さんが亡くなってから、ずっと母親代わりをしてくれていた人なんだ~。」
クイの母が他界した時、長女にあたる姉は、すでにアムイリア領主と結婚していて、ルルト家を離れていた。そのため、次女にあたるカーラが、母親代わりを務めたのだ。カーラの下には、四人も弟妹がいて、もうそれだけで、十分大変さが伝わってくるのだが、その四人の中にはクイがいた。たぶん、想像を絶する苦労を強いられてきたに違いない。
もう一度、手紙の冒頭を読み直すと、その苦労に溢れていて、こちらまで泣いてしまいそうになる。
「そうか、それは大変だったろうな~。」
何となく話を聞いていたスフィアも、うんうんと同調して頷く。
「でね、カーラ姉さん、今、デノビア領にいるんだって。」
続きを読んでいたオレリアスに代わって、スフィアが応える。
「あら、近いじゃない。デノビア領なら半日もあれば行けるわよ。」
「え? そんなに近いの?」
「ええ。」
スフィアは、壁に貼られている地図を指差した。
デノビア領は、ジルべニア領をはさんだ二つ隣の領地だ。間に挟まれたジルベニア領は、ウテリア領の半分ほどの小さな領地なので、デノビア領までの距離は、思ったよりも近い。
「へぇ~。」
オレリアスの記憶によれば、デノビア領は、かなり特殊な領地だったはずだ。
領主を置かず、代議員から選出された議長が政治を行い、結界の管理は、結界士の名家ノーラ家に任せている。手紙を読み進めると、クイの姉カーラが嫁ぐのも、そのノーラ家だとわかった。
「ん? 婚約発表会か……。」
この手紙には、婚約発表会の招待状も同封されている。主催は議長。内々の会と書かれていて、ドレスコードはなく、招待されているのは、クイだけのようだ。
「ね、行ってきていい?!」
「う~ん。」
オレリアスは、招待状の日付をにらんで唸った。
「その日はダメだ。」
「え? なんで?」
「悪い。その日は、長老議会の爺さんたちと先約があるんだ。大切な客人が来るとかで動かせない。……う~ん、すまない。結婚式には必ず連れて行ってやるから、婚約発表はあきらめてくれ。」
「え? 一人で行けるよ。」
すると、オレリアスは、先を見越して首を振った。
「お前を一人で行かせるのは、リスクが大きい。」
クイに肩書きがなければそれでいいが、クイは今、領主オレリアスの婚約者だ。
その未来の領主夫人が、騒ぎを起こして帰ってきたら、ウテリア領の名誉に傷がつく。
「んが!」
クイは助けを求めてスフィアを見た。
が、頼みのスフィアは、さっと目を逸らす。
「ううう。」
クイは涙ぐんだ。
「じゃあさ、行けなくなったって、カーラ姉さんのところに言いに行ってきてもいい? 来いって言われてるのに行かなかったら、カーラ姉さん、怒ると思うんだ。」
確かに、フォーマルな場にさえ出なければ、それほどの被害ないだろう。
オレリアスが許可を出そうとすると、今度はスフィアが首を振った。
「それは、物理的に無理だと思うわ。デノビア領はね、週末にしか出入りができない特殊な領地なの。今から行っても間に合わないし、次の開門にあわせれば、ちょうど婚約発表会の日になるわ。」
すると、クイは急に青ざめた。
「……え? そ、それって、……当日ドタキャンするってこと?」
他に連絡手段がないので、そういうことになるのか。
「……や、やばい。……やばいよ。……殺される。」
「え?」
よく見ると、あの無敵のクイが、ガタガタと震えている。
「どういうことだ?」
歯をカチカチ鳴らしながら、クイは必死に訴えた。
「あ、あのね、カーラ姉さんは、アムイリア領最強なんだ。」
「ん? アムイリア領最強は、お前じゃなかったのか?」
「ああ、「剣の一対一勝負」ってルールなら、私が一番だよ。」
「?」
そのルール以外なら、クイが負けるって事か?
まさか、マフィアのボス? 猛毒コレクター? マッドサイエンティスト?
オレリアスが意味不明な想像に首を傾げていると、スフィアが、
「じゃあ、何? クイの姉さんは、一体、何の使い手なの?」
と、クイに問いかけた。
「え?」
しかし、それは案外難しい質問だったようだ。
クイは「ん?」と固まると、しばらく頭を抱えて悩み続けた。
「え? ええっと……。うう~んとね。……何だろう。」
なんだか分からないけど最強って、一体何だ?
「……う~ん、……何て言えばいいんだろう。……ううう。……魔法かな?」
「え? 魔法使いなの?」
魔法使いという響きに引きずられて、オレリアスの頭の中に、想像上の姉妹が現れた。最強の魔法使いカーラと、最強の女剣士クイ。その最強姉妹が、魔獣の群れを無双する!
「……すごい姉妹だな。」
オレリアスが呟くと、クイは、ぶるんぶるんと首を振った。
「違う、違う。そうじゃなくて、う~、……うまい言葉が見つからないよ~。とにかく、カーラ姉さんが、ああしろ、こうしろって言ったら、誰も逆らえないんだ。」
「……?」
それが姉の魔法?
人心を意のままに操る魔法か?
すると、スフィアが、腕を組んでボソリと言った。
「……なんかラスボス感が出てきたわね。」
その言葉に、クイはパッと顔を上げた。
「そう! それ! ラスボス! まさにラスボス!! カーラ姉さんはね、アムイリア領で一番権力を持ったラスボスなんだよ!」
「……ん?」
領内の最高権力者は、普通、領主だ。アムイリア領主から見れば、カーラは妻の妹、つまり義妹になるのだが、どうしてそこに権力の逆転が起こったのだろう。
「お前の言っていることは、訳が分からない。」
だが、クイは真剣だった。
「お願い! 婚約発表会に行かせて! カーラ姉さんに「日を改めてまた来ます。」って言ったら、すぐ帰って来るから!」
必死に頭を下げるクイ。
オレリアスは、スフィアを見た。
「なぁ、スフィア。」
「嫌よ。」
まだ何も言ってないのに。
オレリアスが領主として頼んでも、クイに同行する気はないらしい。
「……うう、分かった。」
オレリアスは覚悟を決めた。
「じゃ、一人で行ってこい。その代わり、婚約発表会には出るなよ。」
「うん!」
「結婚式には、ゆっくりできるようにしてやるから、今回だけは我慢してくれ。」
「うん!」
クイの顔に生気が戻ってくる。
「何かをやらかす前に、すぐに帰って来るんだぞ。いいな! 絶対だぞ!」
「うん、分かった! すぐに帰るよ!!」
そう、何度も約束させたはずなのに……。
しれっと、デノビア領編が始まるのである。