数十世紀を経ての、嫉妬
今回は、デビィ(小悪魔)が少々マイナス思考に飲まれています。
ミイラ男と二人きりでまどろむ中、ふと森で暮らす可愛らしいカップルのことを思い出す。
魔女とフランケン君はなんだかんだで仲が良くて、いつも寄り添っている。素直じゃない魔女と、フランケン君のカップルは私のお気に入りだ。
傍目で見ればとても想いあっているのに、どこかちぐはぐな様子は面白い。前回はついつい手を貸してお使いに行ってしまったけれど、たいていはあの子たちがすれ違い、やきもきするさまを見るのが楽しみなのだ。
そんなことをみんなで集まっていた屋敷で洩らしたら、狼くんに言われた失礼な言葉まで思い出してしまった。
「……悪魔おんな」
こちらは、なんだかんだで楽しそうな二人を見てほほえましく感じていたというのに、なんてことを言うのかしらと苛立った。
ぼそりと牙の間から呟かれた言葉を、がさつな性格ごと矯正してやろうかと手を払う。その数秒後に、ぎっやぁぁぁなんて綺麗とはとても呼べない声が耳を刺激した。ちょっと自分の使い魔をけしかけただけなのに、大げさなことだ。でかい図体に似合わず、彼は大概情けない。
「まったく、狼くんは礼儀がなっていない子だね。『デビィ』って呼びなさいって、数百年前から言っているでしょう?」
『悪魔』なんて呼ばれ方は可愛くない。
だから、自分をデビィと呼ぶようにずっといっているのに、ことあるごとに悪魔と呼ぶのだから全く失礼してしまう。そんな愉快ではない会話を思い出していると、ふっと唇へ優しく何かがふれたのを感じる。
「―――如何シタ?ソノヨウニ、難シイ顔ヲシテ」
可愛ラシイ顔ガ台無シダゾなんてことを言われて、慣れていない訳ではないのに嬉しくなってしまう。それはきっと、王族なんて立場にいたくせに、全然飾らない言葉のなせる技だろう。
「ふふっ……ちょっとね。狼くんに言われた言葉を思い出していたの」
私の本性なんて、彼には知られてしまっているけれど。
それでも、できれば彼の瞳にはなるべく素敵に映っていてほしいと思う。慌てて笑顔を作ったそんな気持ちを裏切るように、包帯に包まれた表情が曇ったことに焦りを覚える。包帯まみれの彼にとって過ごしやすいように整えられた部屋は暑くなんてないはずなのに、思わず汗がしたたり落ちる。
なにか、自分は失言をしてしまったのだろうか?それとも、先ほどの表情はそれほどまでにひどかったのだろうか。そんな動揺は、この世界の大陸が分断するより長く存在している経験からおくびもださない。愉快でもないのに唇を笑みの形にかたどる。
「どうして、そんな顔をするの?」
「ソンナ顔?」
驚きの様子を隠そうともしない彼をみて、今度こそ本当に笑ってしまう。
小首を傾げてみせる可愛い彼の、こけた頬にそっと手で触れた。
「貴方の表情を曇らせるようなことを、私が言ってしまった?」
私はただ、どうかしたのかと問いかけただけなのに、ふっと彼は目元を和らげて笑って見せる。他の人間には例え分からなくても、彼の優しく笑って見せるその表情はお気に入りだ。
「ソンナ事ヲ言ウナンテ、デビィ以外イナイ」
「あら、そう?貴方の表情は意外と読みやすいわよ」
王族だった彼は、生きている時こそその立場からポーカーフェイスを貫いていたつもりのようだけれど、私が知る限りだとさほど腹芸はうまくなかったようだ。そのせいで兄弟との戦いに敗れ、元来優しい性格だった彼は玉座を抱くことなく死んでしまった。それが心残りでこの世に縛られているのかと思えば、国民の平和や残された母親のことが心配で見守りたかったなんて言うのだからどうしようもない。
首へ腕を回して、その頬へ口づける。
変えたばかりの包帯からは清潔な香りがして、アルコールを鼻で感じた途端くらくらする。
「……この潔癖すぎる香りは、拒絶されているようで好きになれないのよね」
「デビィ?」
「うーん?うん。何でもないから気にしないで」
ちょっと自己嫌悪に陥って反省する。
なにせ、彼は望んでこんな形でこの世にとどまっているわけではない。むしろ、もうこの世に未練はないという彼を無理やり連れまわし、様々なものに触れさせたのは私だ。少しでもこの世に彼を縛り付ける未練が出来ればいいと、わざと苦手な海辺へ連れ出したのも一度や二度ではない。ちょっとでも素敵な思い出を作って、ここに縛り付けるものを増やしたかったのだ。
いつも彼は「デビィガ望ムナラ、私モ行キタイ」なんて、軽く了承して苦手な場所にもついてきてくれる。もちろん、全身包帯づくめの彼にとって最悪の環境に連れ出すときは、万全の対処はとっている。……それでも、本来なら砂の上で王族として崇めたてられているはずの存在を、大きなぬかるみへ導く私は傾国の魔女と唾棄されてしかるべき者なのだろう。
『悪魔がっ。お前がいなければこの国が滅びることはなかった!』
悪魔なのだから、多少気まぐれなのは当たり前でしょうに。
むしろ、『悪魔』と思っている存在にその口のきき方はやめておいた方が賢明だ。
『女狐め!お前のせいで、王が狂ってしまわれた……』
被害者ぶっているところ悪いけれど、あの節操なしの色情魔はもともと最低の人間だったし。だからこそ、私はわざわざ愚かな人間の末路を見物したくて奴に近づいたのだ。都合の悪いことに目をつぶって、己の不甲斐なさをこちらのせいにしないでほしい。過去に浴びせられた罵声が、突然鼓膜を揺るがした。
「―――嗚呼、気分が悪いっ!」
せっかく珍しく愁傷な気持ちになっていたというのに、愚かな人間共のせいで台無しだ。
私だって、何も苦しむ人間を見たいだけで手を出していたわけじゃない。世界の力関係や、自分のお気に入りのため多少手出ししていたのだ。……それを、まるで『食べる気もない小鳥をいたぶる猫』を叱るように責め立てないでほしい。
紅い紅い爪の先は、確かに人間の血や切り裂く感触を知っている。
何度となく吸わせた真紅の色が、醜い錆色に変化していく感覚もわかっている。
「それでも、貴方は拒絶しないかしら?」
どうしても確かめたくなって、ぐいっとシャツの襟もとを引き寄せた。
本来眼球があった筈のその場所は、いったい何を映しているのだろう。いっそ、どうなっているのか暗くうかがえないその穴に、鋭利な指先を突き刺してやろうかと考えたけれどやめておく。彼にはなぜか、壊れてほしくなかった。
「ナンダ?」
「―――とっても、綺麗な貴方が憎い」
そう、私はずっと彼を心のどこかで憎んでいた。私は人々に恐れられ、憎まれてもしょうがないことをしてきたというのに、同じような立場にいてもおかしくない彼はこんなにも清らかで。時折ミイラであることを気にするそぶりを見せるけれど、抜き取られた臓腑の代わりに綺麗な心根や優しさがたくさん詰まっているのを知っている。
「…………」
「ごめんなさい、ちょっと嫌なことを思い出して感傷的になっちゃったわ」
それもこれも狼くんの責任だから、今度会ったら思いっきり八つ当たりしてやろう。
狼くんに取ったらまったく嬉しくない決意をした私は、照れをごまかすように首筋へ頬擦りする。彼は飼っていた猫を溺愛していたから、それを模した行動は好まれるだろう。
ときどき膝で可愛がられていた存在を妬ましく思ってしまうけど、今は亡き存在には勝てないから利用してやるつもりでいる。
「ねぇ……まだ、本当の名前で呼んではいけないの?」
「デビィ」
「分かっているわ。過去の名は捨てたって言うんでしょう?覚えているわよ、貴方の言葉は全部」
昔は辛いものが苦手で食べれなかったことや、初めて飼った猫に引っかかれたのが原因で熱を出したのに、猫を溺愛していたため嬉しかったこと。王族としてのやるせない日々や、重責なんかは私が変わってあげたいくらいだけれど、彼のことを知ったのはミイラ男となってからだったのだから不可能だった。
彼としては、それなりに弟を可愛がっていたつもりだけど、偏った教育により玉座に魅入られた男へそれは伝わらなかったらしい。結局、さほど欲のなかった彼は権力争いに負け、早々に暗殺されてしまったのだという。
死しても家族を憎んでいる様子のなかった彼だけれど、「自分ハ、過去ヲ捨テタ身ダ」と言って、自らその名を口してくれることはなかった。あんまりにも気になるものだから、周囲を探って彼の本名を知ってはいるけれど、きちんとした挨拶をしていないからこれはカウントしない。
自分の欲しいものが手に入らない歯がゆさと、私の外見に魅了されず自我を保つ彼に対する愛おしさ。
これまで容易く堕とせていた人間に、ここまで心乱されるようになるなんて思いもしなかった。小悪魔である私を翻弄する彼が憎たらしくも、なぜか誇らしかった。私の選んだ存在は、こんなにも素晴らしいのだと世界中へアピールしたいくらいだ。
でも、そんな事すると他の女が彼に言い寄ってくるかもしれない。
そんな危険を冒す前に、どうにか彼と自分は特別な関係なのだという証明のようなものが欲しかった。彼を気に入れば気にいるほど。彼を想えば想うほど。どんどん貪欲になって、過去まで手に入れたくなった私は、決して間違っていないはずだ。
もう、優に数世紀は呼ばれていないはずの彼の名を、呼べる唯一の存在になりたい。
その願いをかなえるには、勝手に暴き出したのではなく、きちんと彼に教えてもらわなければ意味がなかった。
「デビィニハ、今モ未来モ全テヲ捧ゲテイルノニ……マダ足リナイノカ?」
「…………」
「オヤ、真ッ赤ダナ?」
さも愉快という様子で、くすくす笑う。
彼は時々可愛くなるくせに、ひどく憎らしく思える時もある。
いつも、ちょっと相手してあげただけで独占欲をむき出しにする存在なんて面倒でたまらなかったのに、この感情は何だというのだろう。からかうのはいつも私で、からかわれるなんて許せない。私のこれまでの常識が、彼に逢った途端変わってしまった。
「過去ノ名ナド、如何デモ良イジャナイカ」
「どうでもいいなら!」
「君二呼バレル名ガ、一番大切ダ」
これまで聞いたことがない、恐ろしい言葉を聞いて絶句する。
「―――本当に、貴方は怖い人ね」
恐ろしい殺し文句を前にしては、名前にこだわっていた自分がちっぽけに思える。
良くも悪くも、私はこの包帯まみれの男に翻弄され続ける運命なのだろう。そんなことを、彼の腕のなかで考えていた。