蕩けた、キャラメル
目の前の、酷い有様になった物をみて呆然と立ちすくむ。
何も発することができない私の横で、巨体でおろおろとするフランケンの姿が視界に入る。テーブルの上に大切に置かれているお皿を見ながら、ようやく呼吸の仕方を思い出した。
あまりに衝撃が強すぎて、知らず息を止めていたようだ。
「―――溶けたわ」
パリッという音で歯を立てて、カリッという音で噛み砕くのが好きなのに、目の前にあるそれらはどれも表面がドロドロになって、無残な状態になっている。
もはや、キャラメルをかけたリンゴというより、リンゴにキャラメルをなすりつけたといった方がよさそうなその見た目は、子どもが作った方がまだ見栄えがするのではなかろうか。
沢山もらったキャラメルアップルは、ありがたく少しずつ食べようと心に決めていた。だからお皿にうつして少しずつ味わっていたのに、つい暖炉の傍で味わおうと長時間放置した結果。残ったキャラメルアップルが全てくっつき、スライムのようにキャラメルはお皿にへばりついている。デコレーションなども崩れて、尚のことすごい見た目だ。
自分が食べているものが「ずいぶん食べやすくなったなぁ」とは、途中で気づいていたのにそこまで考えが及ばなかった。
しゃりしゃりしたリンゴの歯ごたえを楽しんでいるときには、……もう遅かった。食べやすいのも当たり前だ。冷えたキャラメルは歯が欠けそうな程に固いけれど、溶けたキャラメルなんて熟れたトマトよりも柔らかい。
「まじょ、だいじょうぶ、か?」
「……大丈夫、じゃない」
―――ショックだった。
とても大切にしているつもりが、こんなにも無残な状態にしてしまった。どうしてすぐに口にしていない分を冷蔵庫へ戻さなかったのか、そもそも暖炉のまえでどうして食べようなどと考えてしまったのかと、後悔しだせばきりがない。
貰った時は、それこそ嬉しくてしょうがなくて食べながらにやついてしまったのに、わざわざフランケンが買ってきてくれたものを台無しにしたことは、まるで彼自身も大切にしていないようで泣きたくなる。普段の行いが悪いせいなのか、嫌に胸に響いてしまう。
「また、すぐかう。だいじょうぶ」
「大丈夫っじゃ、ない」
なにも、好物のキャラメルアップルが台無しになってしまったから、悲しいのではない。これまで散々傷ついてきたフランケンを、悲しませることをしてしまった事が辛いのだ。
フランケンは本当に生みの親である博士のことを慕っており、命日にはお墓参りを欠かしたことはない。それなのに生まれた瞬間から拒絶され、勇気を出して贈った花は「怪物から送られた野草など受け取るものかっ」なんて、言われてしまったというのだ。
それからしばらくは、困っている人を助けるときや贈り物をするときは緊張したと、笑いながら話していた。初めて聞いたときは、どうしてそんな話を笑いながら話せるのか理解出来ず馬鹿にしてしまった。悔しいならば怒ればいいし、悲しいならば泣けばいい。
まだ感情を抑制していたときの癖が抜けていなかった当時の私は、うまく感情表現ができずに苦しんでいた。それなのに、そんな悲しくてつらいことを、普通に受け入れる彼の気持ちが全く分からなかったのだ。……今考えれば見当違いな考えだし、嫉妬していたのだと思う。
魔女としてある程度感情を殺さなければいけない私と違って、貴方は素直に感じたままを表現できるではないかと。―――しかし、彼から返ってきたのは望んでいたような怒りや憤りではなく、優しい微笑みだった。
フランケンは自分を拒絶した博士を許すのみならず、失礼な態度をとった出逢って間もない私ですら許してくれたのだ。
「まじょ、なかないで」
彼に逢った時点でも、結構生きてきたはずなのに。私は家族の元を離れたときから、さほど成長できていないのだと痛感した。命を輝かせる問題は、長さではなくどう生きるかなのだ。
戦争に巻き込まれたくなくて故郷を追われ、苛ついていた私はちょうどいいと彼を八つ当たり紛れにからかってやろうと考えていた。あの時はすでに親族との交流もなく、私という人間が魔女になったことどころか、存在自体も忘れ去られていた。魔女裁判などが行われていた手前、親族に魔女が存在することを公にしたくなかったのだろう。そんな中でもかすかな繋がりに縋り、役に立とうとしていたことが無性に虚しく思えたときでもあった。
そんな気持ちを晴らすために、周囲の人間よりよっぽど心優しい彼を利用しようとした自分を堪らなく恥じた。
「また、かう。だいじょうぶ」
慰めの言葉を沢山くれるフランケンに対し、無言で首を振る。
あの時に、彼のことは特別大切にして、優しく接しようと誓ったのに。こんな些細な出来事ですら、彼を傷つけているだろう自分が許せなかった。
感情が高ぶって、ぼろぼろ涙がこぼれだす。
本当は、魔法で再生することも可能だけれど。せっかくの贈り物をそんな風に扱うのは少し違う気がして、つらくなる。たとえこの世に沢山のキャラメルアップルが存在して、すぐに作ることができるものだとしても。彼が私を喜ばせようとして、買ってきてくれたのはこれだけなのだ。
まだ半分近く残っていたのにと、お皿を抱えたまま途方に暮れる。
「え……?うわっ!」
ひょいっと体が浮き上がったかと思えば、ぽすりとどこかに不時着した。
背後から突然、フランケンに抱き上げられたようだ。そのまま揺り椅子へ座った彼の膝へ乗せられ、頭を撫でられる。彼専用にあつらえさせたそれは、私が座ると思ったように動かないのに。
ゆらゆらとした動きと、頭を撫でる感触に肩の力が抜けていく。
私が以前に怒って殴りかかったからか、彼はずいぶん力の加減が上手くなった。
初めて慰められた時などは、頭ががくがくと振り回されて首に痛みを覚えると共に気持ち悪くなったものだ。そして、それにイラついて彼の体を殴ってみたら、思わぬ頑丈さにこちらの手が痛くなった。
今、その胸板は私の背中をやさしく受け止め、太ももは硬すぎると思っていたけど安定感があっていいかもしれない。
涙も止まらぬままお皿を抱えていると、おもむろにフランケンが手を伸ばしてきた。
「ほら、まだ、たべら…れる」
指でキャラメルを掬い取ると、そのまま彼は口へ運んだ。
とろりとしたキャラメルはいとも簡単に大きな舌へ移り、美味しそうに目を細める。私がキャラメルアップルを好きだと知られてから、彼がこれを口にしている姿を見たことがない。もしかしたら、あまり好きではないのかとも考えていたから、この行動は予想外だった。
上を見上げたまま喉の動きを見ていると、再び大きな手がお皿に伸びてきた。
「いやなら、おれ、ぜんぶ、くう」
「ダメ」
お皿からキャラメルを掬い取った太い指を、強引に引き寄せてぱくりと咥えた。
自分と全く異なる指は、まるでキャラメルのついた固いグミのようだ。キャラメルを取られ、「あっ」と声を上げた後ろの彼は、諦めることなくお皿の中身を狙っている。
「ダメだってば!これは私のでしょうっ?」
足を意味もなくばたつかせながら、腕をめいいっぱい伸ばして逃れる。
キャラメルは溶けてしまったけれど、チーズフォンデュのようにつけながら食べればいい。彼が特別気にしていないことに安堵しながら、本日二本目のリンゴへかじりついた。
適温になったリンゴも美味しくて、キャラメルを掬いながらどんどん食べる。
頬の濡れた感触を無理やり拭うと、こちらを窺っていた彼が恐る恐るといった様子で話しかけてくる。
「まじょ、ぜんぶ、たべる?」
「あら、あんたも食べたかったの?」
ほらっなんて言いながらリンゴを差し出すと、困惑した表情でかじりつく。散々「一日に一本っ!」なんて決めて食べていたのに、いきなりバクバク食べだしたから驚いたのだろう。大きな口に似合わず、ネズミがかじる程度しか食べなかった彼に苦笑しつつ言葉を返す。
「もう、今日で食べちゃうことにするわ。
また……フランケン、が買って来てくれるみたいだしね!」
無言で次のリンゴを差し出すと、今度は先ほどよりも大きく齧り付いた。
このあと暖炉で前から、フランケンに後ろから温められて、キャラメルアップルを食べ終わる前に眠ってしまうことになる。そして、先ほどよりもどろどろに溶けたキャラメルアップルを見て落ち込むのは、全く予想外の出来事だった。
ちょっと魔女が不安定になったように思えますが…。何だかんだで、最後は高飛車になって終わりです。
子どもの頃は、大切な物や気に入っているものを仕舞い込んだり、大切にしすぎて駄目にしたことが多々あります。そんな雰囲気を思い浮かべて頂けたら嬉しいです。
これで本当のネタ切れで、今回の連続投稿はおわり…かな?