甘い記憶と、苦い喜び
再び、伯爵の話に戻ります。
マカロンは、彼女が好きだった菓子だ。
丸っとした可愛らしい見た目や、さまざまなフレーバーに色彩。小さな彼女の掌にさえおさまるその形は、等しく彼女に似合いものだった。
「あっ、これ美味しい」
そんな風に頬を緩める姿が見たくて、ヴァンパイアとしては強すぎる陽の光にもまけず行列に並んだのは、一度や二度ではない。多少礼金をはずめば別口で用意してくれたりもするのだが、「あーまぁた、ずるしたの?」なんて彼女に責められたくはなくて、本心からの笑顔を見たくて。
ジリジリとわが身を焦がそうとする熱さにもローブで耐えて、いそいそと彼女の元まで運ぶのだ。
「わぁー今日は、ずいぶん手の込んだマカロンですね!」
「嗚呼、最近できて社交界でも人気の逸品だと聞いて、並んできた」
「ふふっ、ちゃんと自分で並んできてくれたんですね」
「勿論。そうじゃないと、受け取らないなんてそっけないことを言う人がいるからな」
「当たり前でしょう。どこの世界に、他の女性に買ってこさせたお菓子の贈り物を喜ぶ女性がいるんですか」
少しの皮肉を込めて口にした言葉は、思わぬ返しを貰うことになった。
「い、いや。いくらなんでも、そんな事はしない」
正直、最初の頃は、どんな贈り物を彼女へ渡せば喜んでもらえるのか分からず、街の女性に聞いた頃もあった。けれど、何故か彼女はすぐに見破ってしまい、どれだけ高級であったり手が込んでいるものであろうと受け取ってくれない。そんな事を繰り返すうちに、試行錯誤しながら自分で選ぶようになった贈り物は、必ず受け取ってくれるようになった。
まぁ、あまりに高級すぎるものを送ると、教会などに寄付されてしまうと知って抑えるようにしているが。確かに受け取る時に「寄付しても良いか」と聞かれていたが、照れ隠しだと思って本気にしていなかった。いくらなんでも、渡した翌日には教会の手に渡っていると知り、それからは更に頭を悩ませるようになったのは言うまでもない。
「あら伯爵さま、こんばんは。次は何を持ってきてくださったの?」
「……今度の贈り物は、人に渡さずに自分で食べてくれ」
「まぁ、知られてしまったのですね」
自らが用意したものが、そうもやすやすと他人の手に渡っていることにショックを受けた俺は、勿論抗議した。だが、それをした時彼女は一瞬悲しそうに眉を寄せ、視線を下げたかと思えばにっこり、こちらを見つめ笑ったのだ。
「―――でもあれは、伯爵様が実際に買ってきてくださった物ではなかったようですし、『本当に喜ぶ方』の身に渡った方がよろしいと思いませんこと?」
そう笑った彼女は、そこいらの王族よりよっぽど堂々としていて、息をのんだ。
素っ気なくされたのはこちらだというのに、まるで非は自分にあるような気持になり謝りたくなる。
考えてみれば、人として生まれてからヴァンパイアとしての生を歩んでからも、金に困るようなことはなかった。おかれた環境も良かったために人に傅かれることが多く、人を使うことに何ら疑問はなかったのに、彼女に逢って大分『一般的な感覚』というものを学ばせてもらった。
普通に人間として生きていた頃は、今のように使用人を連れずに歩き回るなんてこと考えられなかったし、自らの振る舞いに気を使わないで良い生活なんて考えもしなかった。
「うわぁ、伯爵さまったら、あの有名店のマカロンを買ってきてくださったの!」
「嗚呼。今回は君が言った通り、自分の足で並んで買ってきたよ」
「……ふふ、これは本当に嬉しい」
あの時の笑顔は、それこそ花がほころんだように美しく。「せっかくですし、伯爵様も一緒に食べましょう?」と渡された菓子は、驚くほどおいしかったのを覚えている。
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ゆらゆらと揺れる暖炉の炎が、突然誰かによってさえぎられたのを感じる。
疲れた目を休めるつもりが、少々思い出に浸りすぎていたらしい。現在に意識が戻ると、やけに獣くさい気配がして眉間にしわを寄せる。
「おっ、魔女!吸血鬼が起きたぞー」
「あら、ようやく伯爵様はお目覚めなの?」
幸せすぎて涙がでそうなまどろみの中、無理やり現実へ引き戻すように毛むくじゃらの男が見えた。次いで聞こえた声も彼女の声などではなく、幻覚や幻聴にすら見放された己の身を嘆いた。―――もう少し狂わせてくれたら、彼女を長く感じることが出来たのに。
どうしてここに彼女がいないのかという虚無感と、また俺は何事もなく目覚めたのかという微かな絶望感。いい加減飼いならしたはずの彼女への恋慕は、突然訪れては底なしの闇へとわが身を引きずり込む。
いっそ、この魂を持っていかないか?と死神に聞いてみたこともあるが、「まだその予定はない」なんて断られて仕舞だった。じゃあ、何時だったらいいのかと何度か詰め寄ったこともあるが、「そんなことは知らん」と取り付く島もない。
ひょっとしたら、何かの拍子に気が変わるかもしれないと、死神が集まるというこの化け物たちの会に参加するようになって、ずいぶん時が経過した。
気づけば、「前回、うまく出し抜かれたのが気に入らないっ」といって狼がやってきて以降、会に加わるようになり。骸骨男が「何か、楽しそうなので私も参加させてもらえませんかぁ?」などと気まぐれにやってくるようになった。
本当は、死神との話が終われば早々にお暇しようと毎回企んでいるのだが。デビィの「あら、あら伯爵。この会に参加するからには、お菓子を集めるという決まりを守らなきゃダメよ?」という、それこそ悪魔の宣告を受けては従うよりほかない。
何だかんだ文句を言っていたはずの狼は、最初こそ反発していたが今では楽しんでいる様子だ。
「はい、伯爵様が好きなマカロンが手に入ったから、特別にプレゼント」
「あれ、魔女ちゃんが伯爵に優しくするなんて珍しいね?」
「だよな、幽霊娘!俺も熱があるんじゃないかと疑ってるんだ」
「失っ礼ね!ただフランケンが、彼の故郷のものだから買って行ってやったらどうかって、言ったから買ってきただけよ」
「まじょ、やさしい」
「嗚呼、フランケンが言うことには逆らえないって、だいぶ遠回りした惚気なのな」
「わー、分かりにくいけど、単純で魔女ちゃん可愛い!」
「ちょっと、いい加減にしないと怒るわよっ」
ぎゃーぎゃーと周りがやかましいが、僕の目は箱に入れられたそれに目が釘付けだった。
「―――マカロン」
そうだ。こんなにも彼女恋しさが溢れだしてしまうのも、この菓子が原因だったのだ。
甘くて、サクッとした歯ごたえなのに、口どけは優しい。時々感じる酸味が好きだと言っていた彼女は、中でもフルーツジャムが入ったものがお気に入りだった。
あいにく、この種族に無理やり引きずり込まれてからは、食べ物を正しく『味わう』ことがなくなった身だが。彼女が好ましくかんじる感覚は、何度も語られることで覚えてしまった。
ただのクッキーではダメで、ふんわりとしたスポンジ生地でもよろしくない。
「この、独特の感覚が大好きなの」と笑う顔が、何より俺のお気に入りだった。
「魔女、ありがとう。この店は思い出の味だから、ありがたく頂戴するよ」
「っっ、べっつに、フランケンが言わなきゃ、私は伯爵様の事すら思い出しもしませんでしたわ」
「うん。フランケンも気遣い有難う」
「まじょ、うれしい。おれも、うれしい」
そんな魔女たちの会話を聞いて、更に狼男がギャーギャー喚き散らしている。
どんなうるさい状況で食べても、彼女との思い出の味は薄れることがなく美味しいままだった。




