蒼い吐息を吹きかけた、朱い満月
言いたいことはわからんでもないけれど、『スパーブルーブラッドムーン』って、なんだそれて感じですね。とりあえず、ちょっと書きたくなって書いてしまったので、よろしければお付き合いください。
俺はその日、何度かになるのか分からない舌打ちをした。
ぞわぞわする毛にいら立ち、数日前から落ち着かない。珍しいことではないというのに、この時期になるといつもこれだから嫌になる。いくら他の奴らより寒さに強いと言え、雪の名残が色濃いこんな夜は寒さも身にしみるというものだ。
動きが制限されるから、あまり着こむのは好きではない。そんな俺がなぜ、こんな夜のにおいの満ちたなか明るい夜道を歩いているのかと言えば、理由はくだらない。俺に逆恨みした奴らに追い掛け回されていたからだ。奴らは以前に町をぶらついている時に絡まれた人間の男で、あいつらをのすくらいでは全然体は温まらなかった。面倒なのは飛び道具だけで、それを使う暇さえ与えなければ、瞬きひとつで終わる。
俺の呼吸が上がるほど何てレベルは、吸血鬼の野郎だが、こういう時は煽ってもうまく乗ってこない。2年前の冬だってそうだ。
「戦おうと煽っても無駄だよ。この寒いのに、無駄に動くなんて冗談じゃない」
「なんだとっ」
「犬っころは犬っころらしく、一人で雪のなか走り回っていなよ。僕はホットワインでも飲んで、温まるから」
「……爺くせぇ」
最後の言葉にはいらっとした様子で眉を動かしたが、「君と違って、相手してくれる女性には事欠かないからね」なんてすかして扉は閉められた。ハロウィンの時に集まるメンバーはみんなそうなのだが、長く同じところにとどまることはない。あまり長く同じ場所にいると人間共が不審がるし、色々と騒がしい。
大体の奴は同じような落ち着ける場所をいくつか確保しており、少なくとも数十年単位で渡り歩いている。そうすれば自然と周囲の人間は様変わりしているし、たとえ姿かたちが変わらなくても勝手に親せきか何かと勘違いしてくれたりする時もある。
そんな希少な場所で問題を起こすなと言われればもっともで、いくら考えが足りないなどと言われる俺でもひくしかなかった。……大体今年はまだ、吸血鬼の野郎がどこを住処にしているかまだ把握できていないから、乗り込もうにも出来ないのが現状なのだが。今日は満月だから血が騒いでしょうがないのに、憂さを晴らすことも出来ず極力、月明かりに背を向けることしかできない。
「寒い寒い」と吐く息すら寒く、鼻から吸う息で内側から凍えそうだ。
満月をあまり見過ぎるのはよろしくないから、早く温まるところを探したいのにうまくいかずに苛立つ。
「ったく、だからこの時期は嫌なんだ」
「なぁーに、月のものに悩まされる乙女、みたいなこと言ってるの?」
「んっだと、コラ!」
あーこわいこわい。そんなに怒ったんじゃ、イケメンが台無しですよぉ?なんて言ってきたのは、見たこともない女だった。見るからに千鳥足で真っ赤な顔をしている奴は、武器を持っている様子もないし、さほど害はなさそうだった。武器になるとしたら、女が持っている手提げかばんと、ヒールくらいだろう。
周囲に人通りはなく、俺の目にはかすかな明かりでも充分だが、人間に取ったら暗いだろう。ましてや、年頃の娘が千鳥足でふらついているなんて、こいつはバカ女なんだなとすぐに理解した。
「そんな事よりぃ、この神秘的な夜に、何辛気臭い顔してるんですかぁー」
「酒くせぇ、お前しこたま飲んでるな」
「やっだぁ!ちょぉーっと、日本酒とビールを数本飲んだだけですよぉ」
「数本って、それだけ飲んでりゃ充分だろうが」
いきなり絡んできた酔っぱらい女は、「仕事で嫌ぁなことがあってー、飲んできたんですぅ」なんて、馴れ馴れしく人の腕に手を絡めてくる。車の通りすら少ない夜分に、他に任せられそうな人間は見つからない。
とっとと警官にでも、このバカ女を預けてしまおうと引きずったまま歩き出す。
「ほらほら、見てくださいよ!月が隠れていきますよぉ」
「あぁ?こんだけ明るいのに、隠れてるわけねぇだろう」
いくら直接月を見れずとも、それくらいは分かる。
馬鹿にするなと吠えたいのをこらえていると、意外な言葉が降ってきた。
「あれぇ?知らないんですか」
「何をだよ」
「今日は、皆既月食なんですよ」
「はっ?」
思わず、ぱっと後ろを振り返る。
一瞬見た月は、確かに三日月のように欠けて行き、思ったより早いスピードで変化していく。月をゆっくり眺めるなんて、ここ最近ではしていないし、こんな現象をはっきり見るのは久しぶりだ。
「あーあ。最後まで見たかったのに、雲に隠れちゃいますねぇ」
「……そうだな」
むしろ、比較的雲の多かった今日、この現象が少しでもみられたのは僥倖といえるだろう。
何時もだったら疼く牙や戦闘本能に襲われるのに、こんな凪いだ気持ちで満月を眺めることがあるだなんて思わなかった。
「いやぁ、こんなイケメンのお兄さんと、こんな素敵なもの見れたんだから、今日もいい日になりそう」
「……おい、気が変わった。送ってやるから、家教えろ」
確かに、「いーもん見れた」といってもいいような月だった。
明かりは透き通って綺麗だし、ぼんやりと輪郭が分かる程度の月は、この女が言ったように神秘的だ。酔っぱらった横の女は温かいし、先ほどのむしゃくしゃした気持ちはちょっとはマシになっていた。
ぽかぽかと温かい部屋の中、吸血鬼野郎を前に座り込む。
俺は運よく吸血鬼野郎の現在のねぐらを知ることが出来て、まんまとそこに上り込んだ。幸い今は日本にいたらしく、知り合いが近くにいて助かったと、こんな寒さの時は切に思う。
「―――ということが、この前あったんだよ」
「……ああ、そう」
「なんだよ、もう昼過ぎだって言うのに、まだ寝ぼけてんのか?」
何処かぼんやりしたこいつは、こちらの話を聞いているのか定かではない。
だが、俺としても温かい部屋を確保したかっただけだし、運よく見つけだした場所に転がり込めたのだからまだよかった。一昨日の不思議な女のことを、もっといろいろ話したかったが、どうも反応が悪く手ごたえがない。
「さっきから、ぴーちくぱーちくうるせぇな!こっちは夜行性で、この時間はまだ眠ぃんだよっ。無理やり追い出すなんて面倒しねぇから、暖炉の前で丸まってろっ」
「わっ、本性出しやがったなエセ貴族!」
「もともとは貴族のせがれなんだから、エセじゃねぇっつってんだろが!いい加減に覚えろ犬頭!」
こちらの不満にこたえることはなく、吸血鬼はとっとと寝室に引っ込んでしまった。
俺は食堂にあった食料を有難くいただき、暖炉の前で家に着くまで千鳥足だった不思議な女の事を、思い浮かべていた。




