揺れる風船と、とどまる心
全く、彼が同じ人間であったのなら、「生まれ変わったら来世で一緒になりましょう」なんていって、成仏できるというのに。
彼は所詮死神で、私がたとえ生まれ変わったとしても彼が担当になるかはわからない。
そもそも、彼は死をつかさどりはせども「生命の誕生は専門外だ」なんて言っているくらいなので、この世に本当に輪廻転生があるのか分からない。無鉄砲だなんだと言われる私だけど、意外と慎重なタイプなので、勝ち目の薄い勝負に出る気はない。
第一、彼と離れているなんて寂しいし。
もしも離れている間に可愛い女の子が現れたら、粉をかけられてしまうかもしれない。
「お母さん!あれ欲しいっ」
「あんな大きな風船、ずっと持ってられないでしょう?」
「ちゃんと紐を持っているから、大丈夫だよ。お願いぃ!」
時々、親子連れを見ていると思うことがある。
私なんて所詮、子どもが持っている風船のようなものなのかもしれない。たまたま子供の手に渡ったものの、興味を無くされて手放されればそれでおしまい。どこか遠くへふわふわと飛んで行ってしまう。きっと、どこへ行ったのかなんて気にもされないまま、忘れ去られるのが怖かった。
白く、ハートの形をした風船なんて、平和の象徴としか思えないものを見てもそんな事を思うのだ。私もなかなか死神さんを暗いだなんて非難できない。
「なんだ?君も風船が欲しいのか」
何時までも、通り過ぎた親子連れを見ているから、風船に興味を持ったと思われたらしい。死神さんは、ふわふわと色とりどりの風船が売られている出店を、じっと見つめだした。彼の手にかかれば手に入れることなど容易いかもしれないけれど、さすがに、あんな可愛い形の風船を彼に持たせるのは気が引ける。
それこそ、私が実体をもって風船を握りつづけるのは難しいだろうし、黒いローブを羽織った彼がふわふわと風船を持っている姿なんてシュールすぎる。「いらない」と断りの文句を口にしようとしたところで、後ろから短い悲鳴が聞こえつい振り向く。
「あっ」
「あーあ。買ったばかりなのに、もう飛ばしちゃったの?」
泣き叫ぶ女の子を見て、自分と別れたら死神さんもさびしがってくれるだろうかと想像する。どこまでも続くような、青い青い空に吸い込まれるように、白い風船が風に乗って舞い上がる。
青い空に浮かぶ風船は、どんどん遠のいていくのに目が離せない。
親子連れが去っても、消えた残像を追いかけて空から目が離せなくなってしまった。そろそろいい加減にやめなければと思うのに、まるで、見つめ続ければ風船が戻ると思っているかのように視線が固定されてしまった。
どうしようかと焦り始めたところで、ふっと視界が防がれ深呼吸する。
知らず知らずのうちに、体に力が入っていたらしい。いくら体を無くしたと言っても、緊張しっぱなしで疲れない訳がない。背後から視界を覆ってくれている死神さんに、ぽすっとその体をゆだねてみる。
「あまり集中しすぎると、無意識のうちに成仏するぞ」
「…………」
「…………」
たぶん、死神さんにとって渾身の冗談だったのだろうけれど、あまりにも笑えな過ぎて言葉がでなかった。冗談がスベッたことに気付いたのだろう。わずかに、目元を抑える手に力が込められた。
きっと、ここに伯爵様がいたら、「貴方はなんと無神経なことしか言えないのですか」と呆れるだろう。もしも魔女ちゃんがいたら、「ちょっと、フランケン一発死神を殴ってきて」なんて言って、死神さんとフランケンくんの追いかけっこが始まりそうだ。
伯爵様と魔女ちゃんは、何かと言い争いをしているけれど、結構考え方が似ている気がする。そんな風に、愉快ないつものメンバーを思い出していたら、うじうじ悩んでいたことが馬鹿らしく思えてきて苦笑がこぼれた。
だって、伯爵様は最愛の人を失ってしまっているし、魔女ちゃんは、いつかくるフランケン君との別れを自覚している。いくら魔女が長生きだと言っても、私たちよりよっぽど人間に近いのだ。人造人間であるフランケン君との「別れが近づいたら教えてちょうだい」と、死神さんに懇願している姿は何度も見ている。
そんな風に、なんだかんだでみんな苦労や苦悩を抱えているのに、今ある幸せを見ないだなんてもったいない。たとえ自分が消えた後に死神さんが悲しんでいなかろうと、しょうがないと割り切ろう。……むしろ、今から得難い存在を亡くしたと思ってもらえるように、努力しようと考えを改めた。
「わっ、なんだ!」
「ふふっ。急に目をふさがれて驚いたので、お返しです」
本来だったら、死神さんとこんな風に普通の人は関わることすらない。
それを思えば、私は意外とラッキーだったかもしれない。たとえ、これから待ち受けているのが、『成仏』という彼との別れだとしても。その時が来るまでは、こうして抱きしめて離れないでいよう。死神さんは、くすくす笑う私を見て、困惑した様子も隠さずにぎゅっと抱きしめ帰してくれた。
「連れて逃げて」と言えたら楽だけれど、多分貴方はそんなこと考えもしないだろう。
きっと、いつもは感情の薄い瞳を不思議そうに丸めて、「お前は天国に行く予定だが、地獄にでも興味を持ったのか?」なんて聞くのが関の山だ。
そんな事をすぐに思い描けるほど長く一緒にいたことを誇らしく思うと同時に、自分が望むような答えが返るはずがないことに、微かに落胆しているのもまた事実。「好きになる相手を間違ったかしら」なんて、詮無いことを口で転がす己すら思い浮かべ……思わず笑った。
未来や、この世の摂理から逃れたいなんて、
不自然すぎる願いは、きっと彼には届かなくて良い




