暖かな暖炉と、推理小説
読みかけの本を持って、ソファへと足を進める。
最近では少し寒くなってきたと昼に嘆いたおかげか、ミイラ男がリビングの暖炉に火をつけておいてくれたらしい。部屋に入った瞬間、寒々しい廊下との違いにほぅっと、思わず声が出て体の力が抜けた。屋内とはいえ、日の沈んで冷えた空気に知らず体が緊張していたらしい。
「暖炉、つけてくれたのね」
「最近ハ、確カニ冷エルカラナ」
「有難う」
今日私たちがいる場所は古びた洋館で、大きな町に建っているというのに、大通りを一本入ったところにあるため、滅多なことでは人が寄り付かない。一時は幽霊屋敷だなんだと騒いでやってきた輩もいたようだけれど、綺麗に掃除して建物中の明かりを毎日つけるようにしたら、すぐに興味を失ってくれたらしい。
ここは時に、ハロウィンの集会場所として提供しているため、煩わしいことが一つでもなくなるのは良いことだ。今晩だって、新月という闇の深い夜だというのに、変な輩が湧いて出る様子もない。以前に興味本位で、ホラーハウスだなんだと侵入した若者を、手ひどく追い出したのが良かったのかもしれない。
こんな寒くて静かな夜は、分厚い推理小説をゆっくり読むのがいいだろうとかねてから続きの気になっていた本を引っ張り出してきた。辞書よりも厚く、三段構成になっている推理小説なんて、そうそう読めるものではない。進みは遅くとも、長く楽しめるという点からいえば、私にとってこれは充分面白い本だった。
長い『生』を楽しむのには、うまく暇をつぶすのも重要なポイントとなってくるのだから、こんな物ひとつも馬鹿にできない。
丸テーブルにはすでにミイラ男が紅茶を用意してくれているから、軽くつまめるものを用意するだけで事足りる。袋をつかむ仕草で、中身を予想したのだろう。苦笑しながら「有難ウ」と受け取る彼に、「絶対、私に中身を見せないよう食べて」と忠告する。
何も、彼の好みを否定するつもりはない。
自分にとってはどうしようもなく受け入れがたいだけで、幼虫型のグミやくわがたチョコなんてものも、こちらの目に入らないように食してもらえれば問題ないのだ。……そう、例え自らが彼の膝の上に座った状態で、大っ嫌いな物を食べていたとしても。
「絶対に、中身を落としたりしないでね?」
「承知シタ」
少しでも袋の中身から意識をそらすため、自分お気に入りの真っ赤なキャンディーはおしゃれなカクテルグラスに入れた。気まぐれに数個だけ入れた青いキャンディーはとても苦いから、自分一人のロシアンルーレットを楽しむつもりだ。時々こうやって遊びを入れておかないと、ついついキャンディーを食べすぎてミイラ男に怒られてしまうのだ。この前だってそうだ。
「あっ、私のキャンディー!」
思わず、ミイラ男によって視界から消えたお菓子を追いかける。
その様子が、自分でもちょっと中毒者のようだと感じてしまったけれど、好きなものをたくさん食べて何が悪い。私は人間ではないのだし、病気になる心配もない。憤る私に対し、相手はどこまでも冷静だった。
「幾ラ何デモ、食ベ過ギダ」
「ちょっと、別にいいじゃない!」
「以前モ、キャンディー欲シサニ、変ナ男カラ怪シイ薬入リノ物ヲ買イソウニ、ナッタダロウ?」
あの時は、二の句が継げなくなったし、反省した。
だからと言っては何だけれど、あれからこうして彼とまどろむような時を過ごすときは、お行儀悪く目も向けずにグラスへ手を入れる。しっかり見てしまってはロシアンルーレットにならないし、ミイラ男が時々きまぐれに参戦してくれるから、意外とこれは楽しめる。ミイラ男は説明せずともこちらの意図を汲んでくれており、私同様、視線も向けずに手を伸ばすのはいつもの事となりつつあった。
一人掛けと呼ぶにはいささか立派すぎるソファへ座るミイラ男の膝へ、横向きにして乗っかった。相手も慣れたもので、片方の肘掛を背もたれにし、もう片方へは両足をひっかけようとも注目すらされない。
彼の方も、最近手に入れた美術展の画集に夢中になっている。
こちらはA3サイズの大きなもので、「実物ニハ劣ルガ、見応エガアル」と珍しく褒めていた。生前から本物の美術品に触れていた彼にしてみれば、その言葉だけで、どれほど気に入っているのか分かるというものだ。
画集のみならず、レプリカ作家にも苦言を呈していた時に思わず笑ってしまった。
そんなに美術品が好きなのに、よく王家のお金を食いつぶさなかったわねと。正直、夢中で作品を評価する彼はまともとは言えない時もあった。今だって身動きせず、声一つ上げていないというのに、そこはかとなく興奮した様子が伝わってくる。
「本当に、楽しそうね」
若干呆れを含んだ呼びかけは、目元をほころばせただけで充分な答えとなっていた。
周囲まで幸せにしそうなその表情は、本当に楽しそうでこちらまで楽しくなってしまう。感情を素直に表現している彼があまりにほほえましくて、小説の中では連続殺人が起こっているのに笑ってしまった。
「君ノ方ガ、楽シソウダ」
思いがけず言われた言葉に、面食らう。
驚いて何を言うことも出来ない私を見て「目ガ真ン丸ダ……」なんて、からかうように頬をくすぐられた。それだけで、部屋の温度が一度上がった気がする。包帯に包まれたその指の感触や、予期せず顔がほころんでいる自分が恥ずかしくて、パッとうつむく。
―――けれど、むき出しになったうなじに彼のくすくす笑う息がかかって、さっきよりもっと恥ずかしくなった気がするのはどうしてだろうか?「わざとやっているのか」とミイラ男に聞いてみたい気もするけれど、「何故か」と問われたらさらに追い込まれそうで、沈黙を選んだ。
最近は慣れたつもりでいたというのに、彼のささやかな行動ひとつで頬が熱くなる。
こんなに暑かったら、暖炉の火も消した方が良いかもしれない。その後、なかなか本の内容が頭に入ってこなくて、一向に次のページに進むことが出来ずにいた。




