05.ロキシィ
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※一週間に一話更新です
「ロキお姉ちゃん!」
ユイを筆頭に、子ども達が広間の入口へと走っていく。
そこに立っている少女を見て、私はスプーンを取り落としそうになった。“ロキお姉ちゃん”は想像よりもずっと綺麗な人だった。身につけている服は、子供たちと同じように薄汚れているが、その美しさを霞ませることはない。
肩口で切りそろえてある髪の毛は、優しい緑色。長いまつげでふちどられている大きな瞳と同じ色だ。生まれたての草木のような淡い緑色。だからなのか、彼女にはあっさりと折れてしまいそうな儚さがあった。少女の後ろに広がった夜の闇に、今にも溶けて消えてしまってもおかしくない。そんな気がしてしまうのだ。
そうしているあいだにも、子供たちの一人ひとりに笑いかけながら少女はこっちに近づいてくる。背筋をピンと伸ばしながら歩いてくる姿には、優雅という形容がぴたりと当てはまっていた。
彼女は隣の椅子に腰掛けると、手を差し出してくる。
「初めまして、ロキシィです。ロキって呼んで下さい。あなたは、えっと……」
「……セラよ」
不意をつかれたせいで、ようやく絞り出した声は掠れていた。それでもどうにか出された手を握る。どうして素直に名乗ってしまったのだ。少し後悔したがもう遅い。
挨拶のあと、ロキは申し訳なさそうにルークを見た。
「……」
ルークは黙ってため息をつき広間を出て行く。怪訝そうに見ていた私に向き直り、ロキは眉を下げた。
「ごめんなさい。喉が渇いているのに気がつかなくて。今、ルー君が水を取りに行ってくれたから、もう少しだけ待っててもらえますか」
よほど心から申し訳なく思っているんだろう。ロキはギョッとしてしまうほど、泣きそうに目を細めながら言った。
それでも、“ルー君”そう呼んだとき瞳に一瞬浮かんだのは、彼に対する無限の信頼。
その言葉通りに、手に二つカップを持ち数秒ほどでルークが戻ってきた。ルークは私とロキの前にカップを置いた。私の時は騒々しい音が立つほど雑に。ロキの時は、優しく音も立てずに。
「セラさんは、おいくつなんですか?」
そのあまりの差に怒りで腰を浮かしかけたとき、ロキが尋ねてくる。突然の質問に驚くが、純粋に興味があって聞いているようだった。
「……十六よ。」
一瞬言葉に詰まったけど、正直に話した。
言ってから水を少しずつ口に含む。途端にスープでは満たしきれなかった渇きが癒えていく。
「私とおんなじですね」
目尻をいっそう下げロキは微笑んだ。その言葉に、水を吹き出しそうになり私は咳き込んだ。
「じ、十六歳?!」
「ええ、よく幼いと言われますが」
そう言いながら、ルークをちらりと見やるロキ。そう言っているのが誰なのかは簡単に予想がついた。
「全然……むしろ、もっと年上かと思って」
「そうですか?」
そう言っておかしそうに笑う。
それにしても十六歳だなんて。とてもそう思えなかった。
所作といい。礼儀正しさといい、この儚げな少女は、自分よりもずっと大人に見えていたのだ。けれど、驚く私を見ているあどけない笑顔に、急に彼女が私と同じ年に見えてくるのだから不思議だ。
でも、ロキが十六なら、じゃあ……? ちらりとルークを見た私に、ロキは首を傾げると、
「あぁ、ルー君は今年で十八になりますよ」
あっさりとそう言った。
今度こそ、飛び上がんばかりに驚いた(実際に椅子を蹴り飛ばして立ち上がったほどだ。)
いくらなんでも、十八には見えなかった。せいぜい十五歳くらいが妥当だと思っていた。
もう一度、ルークを見た。付き合っていられない、とでも言うような顔をして窓の外を見つめている。その背丈、態度、どれをとっても信じられなかった。(並んでいるところはまだ見ていないけど、明らかにロキの方が背は高い)
「本当ですよ」
ロキを疑わしげに見つめてもそう言うばかりだ。どうやら本当らしいと、ようやく納得して、腰を下ろす。
椅子に座り直して、カップから改めて水を飲んでいると、じっと見つめているロキの視線に気がついた。
「何?」
「あ、いえ」
普通に言ったつもりだったが、きつく聞こえてしまったらしい。ロキは焦ったように視線をそらすと、自身もカップに手を伸ばした。
彼女が見ていた理由は薄々分かっていた。私の髪と瞳の色が珍しかったのだろう。赤い髪だけならまだいいけど、金色の瞳とくればそうはいかない。あの場所でも、まずあの人たちは私の見た目を不思議がった。いや、今思えば、不気味に思われていたのかもしれない。
「お腹すいたー」
子供たちの中の誰かがそう言ったのはその時だ。
そういえば、この子達はまだ夕飯を食べていないのだ。私だけスープを飲んでしまったことに、今更申し訳なさがこみ上げてくる。
「そうね。ご飯にしましょうか」
声を上げたロキがさっと席を立ち、広間を出て行った。先ほど入ってきた入口とはまた別の扉に……あっちは厨房にでもなっているのだろう。しっかりと伸びた背中を、子供たちが追いかけていく。二十人ほどの子供たちが吸い込まれるようにいなくなっていく。
急にガランとしてしまった広間で、どうしたらいいか分からずに、中身の減ったカップを手の中で弄んでいると、
「で、お前は? いつまでここに居るつもりなんだ」
「え?」
そんな呟きが聞こえた。ルークが顔だけでこっちを見ていた。疑わしそうな目をしている。
けれど、その疑問はもっともだ。いつの間にか普通に居座ってしまっていたことにようやく気づく。
何をしていたのだろう。あんなに自然に会話してしまっていたことに愕然とする。慌ててカップを置いて立ち上がってみたが、どこに行くべきなのか全然思いつかなかった。
やはりぼうっと立ち尽くしていると、ため息と共に椅子を引いた音が聞こえた。立ち上がったルークは私のそばまでやってくると、
「暇なら、自分の食器くらい片付けたらどうなんだ?」
と言った。テーブルの上に置きっぱなしになったままのスープ皿を指している。一滴残さず飲み干したものだ。
けれど、食器の片付けなんて、
「どうやってやるの?」
言ってしまってから、しまったと思った。普通の人は、こんなことを聞くはずがないのに。どうやって誤魔化そう……。
「……」
けれどルークは驚く素振りを見せずに、黙ってスープ皿を取るとロキの向かった扉へと歩いていく。
「待って、今のは」
「ごっはーん!!」
弁解しようとした声は、ルークと入れ違うように広間に入ってきた子供たちの声で遮られた。みんな手に自分の分の夕食を持っている。
「席の取り合いはすんなよー!」
ルークが大声で注意する声が扉の向こうから聞こえた。さっきのことはどう思われたんだろう。気になっていたけど、問うタイミングを見失ってしまった。
「「「「はーい!」」」」
子供たちは元気に返事をしながらも、自分が決めた席を目指して走っている。瞬く間に広間にあった席が埋まっていく。
三十ほどあった広間の椅子のうち、二十三の席が子供達で埋まった。一体、これだけの子供たちがどこに潜んでいたのだろうか。
「セラさんはどうしますか?」
ぼうっと考えてしまっていたら、ロキがそんな呼びかけとともに広間に戻ってきた。
どうしますかと言われても……どうしたらいいのだろうか?
正直、今のこの状況が飲み込めていない。
森で倒れたはずなのに、今はこの孤児院にいて、さらに夕食までご馳走になってと言われている。出会ってまだ一日も経っていない彼らに。
けれど、私はどこに行こうとしていたんだろう。あの森にいたのは、ただひたすらに逃げた結果だった。そして今だって私は逃げている。目的なんて何もなかった。私は、何も持っていなかった。
そのことに今更気付いて私は愕然とした。そう、私には何もないのだ。
そして、今何かを決めれる意思の力すらも持っていないのだ。なんて……空っぽなんだろう。目をそらしてしまいたくなるくらいに。
「行くあてがないのでしたら、しばらくここにいてください」
唐突にそう言ったのはロキだ。その言葉にすがりついてしまいそうになる。しばらくここにいてというのは、言葉通りに? 一瞬不信感が芽生えてしまう。その笑顔を見る限り、彼女は本心でそう言っているのだろうと思うけれど。でも、見ず知らずの私になのだ。
「けど、」
ようやくそれだけを言った。
けれど、続けようとした言葉が喉の奥で詰まって出てこない。自分のしたいことと、しなければいけないことがぐるぐると頭の中を回っている。
「死にたいのか?」
追い討ちをかけるかのように言ったのはルークだ。いつの間に入ってきていたのだろうか。窓際のテーブルに腰掛け、開け放した大きな窓から見える空を眺めている。
彼の見ている空に昇っているのは、蒼い月……死を照らす蒼月。昨日の夜、木々の隙間から見上げた夜空に浮かんでいたのも、あの色の月だった。
欠けているところが見当たらないそれは、美しさを通り越していっそ禍々しい。
不意に、ルークがこっちを振り向いた。目が会った瞬間、どきりとする。ルークは、目を覚まして見たあの目をしていた。何を考えているのかわからない、底を見通すことができない深い黒。
「今の季節に、街の外をうろつくのは自殺行為だ。まぁ、死にたいのなら勝手に死ねばい――」
「ルーク!!」
鋭い叱責の声が広間に響いた。高く澄んだ声。けれど、こらえきれない怒りが滲んでいた声。突然の大声に、何人かの子供達が不安げで泣きそうな顔をした。
私は驚いてロキを見つめた。立ち上がったロキは、また目を泣きそうに眇めながら肩で息をしていた。
がたん、と音を立ててルークが椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がる。そのまま、
「……冗談だ。悪かったな」
そう低い声で言い捨て、広間を出て行ってしまった。途端に、広間はしんとした空気で包まれる。息を一つ吸うのにも気を使う空間だった。
「お騒がせして、すいません」
数秒して、ロキが恥ずかしそうにそう言った。また笑顔に戻っている。けど、努めて明るく振舞っているのが、私でもわかる傷ついた笑顔だった。
「ちょうどいいことに、部屋は一つほど余っています。それに、もう夕食だって用意してしまいました。ですから……」
私は、反射的にロキの言葉に頷いてしまっていた。頭は考え事で飽和している。
確かに、ルークは言ってはいけないことを言おうとした。それも子供たちの前で、だ。
でも、それだけであんなにも声を荒げたロキが、私は少しだけ不思議だった。けれど、今はロキの申し出に答えを返す時だ。
「お外はあぶないよ?」「そうそう!」
ショックから立直った子供たちも笑ってこっちを見ている。事情はわからなくても、みんな、私の決断を待ってくれていた。ロキや子供達の笑顔を見渡す。今日出会ったばかりのはずなのに、あの人よりもずっと家族のような温かい笑顔を。
『……して。……の……を』
脳裏に浮かんできたのは、あのときに聞いた不思議な声だった。そう、私はあの声に導かれてここにいる。けれど自分がどうしたいのか、何をするべきなのか。今は何もかもわからないことだらけだった。
それだったら、今だけはこの温かさに身を委ねてもいいのかもしれない。ぼんやりとしたものが形になって、ようやく思いついたのはそんな言い訳のような思いだった。けれど、それだって、紛れもなく私の意思だ。
「世話になるわ。あ、ええっと……なりま、す?」
ようやく選んで言ったその言葉に、ロキは嬉しそうに笑いながら頷いた。
ありがとうございました