人喰いマント オードブル
今日も赤ずきんは大急ぎ。
お使い、お使い、お使いです。
もちろん昨日もお使いでした。多分明日も明後日もお使いでしょう。
この世に彼女を待つお祖母さんのいる限り、赤ずきんのお使いは終わることがないのです。
鉄の少女、赤ずきん。噂の少女、赤ずきん。
今日はもう真っ暗になってしまいましたが、赤ずきんの邁進は止まりません。
真っ黒な夜道はちょっと怖いけれど。
バスケットの中のワインをちょっぴり口に含んで、ぱたぱたと三歩先も見えない暗闇を突き進みます。
暗過ぎて、暗過ぎて――それが道なのか、とんと知れずとも。
その電話ボックスが現れたのは突然のことでした。
赤ずきんが近付くと、まるで何かのスイッチが入ったかのように、ぺっかり煌々と光り出したのです。
赤ずきんはきょとんとして立ち止まりました。
そうして、やっぱり突然に、
――プルルルルッ…………プルルルルッ……――
電話ボックスの中から、震えるような着信音が聞こえてきました。
赤ずきんは溜息を吐きました。どのお祖母さんも溜息は嫌いだから、プロの赤ずきんに溜息は禁物だけど、今は誰も見ていません。だから、赤ずきんはもう一度、溜息。
「急いでいるのに、仕方ない。電話が鳴ったら、出るものだから。
これ、世間の常識」
足下の泥にぽろぽろと愚痴を撤きながら、赤ずきんは電話ボックスの折り畳みドアを開きました。皓々と輝く電話ボックスの中には、ダイアル式の黒電話がちょこんと置いてありました。
呼び鈴はまだ鳴り止みません。赤ずきんは無造作に受話器を取り上げました。
「もしもし、夜道です。とても急いでいます」
『そうなの? でも、ちょっとお話しましょうよ』
「お祖母さんが待っているの」
『平気よ、お婆さんは待つのに慣れているもの』
「お婆さんはそうかも知れないけど、お祖母さんはいつだって赤ずきんを待っているものなのよ」
『そういうものなの?』
「ええ。これ、赤ずきんの常識」
『でもわたし、とってもお話したい気分なの。……ううん、せめて、わたしのするお話を聴いていって。短くするから。それくらいなら良いでしょう?』
「いいわ。でも、面白くなくっちゃ駄目よ」
赤ずきんが折れてくれたので、電話の向こうの声は「きゃっほぅ」と喜びました。
『じゃあ話すわね。
これはわたしが友達から聞いた、とっても不思議なお話なの――
昔々……ある森の中の村に、男の子と女の子が住んでいました。
二人は小さな頃からいつも一緒でした。遊ぶのも働くのも、笑うのも泣くのも、いつもいつも一緒でした。
ある日、二人が森の中で遊んでいると、女の子が突然に言いました。
「ねぇ、人喰いマントって知ってる?」
男の子は知らないと言いました。人喰いマント、へんてこな言葉です。熊や虎ならともかく、マントが人を食べるわけがありません。
でも女の子は、得意げな笑顔をつんと反らして続けます。
「人喰いマントは不思議なマント。
なんと、自分を着た人を食べちゃうの。マントの内側が胃袋になっていて、中の人を少しずつ、少しずつ、溶かしていっちゃうのよ。
――でもね、普通の動物と違って、ただ食べるだけじゃないの。自分の食べた人の頭が溶けてなくなるまでの間、不思議な魔法でその人の願いを叶えて上げるの。
食べさせてくれてアリガトオ、ってね」
女の子の話を聞いて、男の子は拍子抜けして笑いました。何を言うのかと思えば、ただのおとぎ話です。そんなことを真面目ぶって話すなんて、ああ、おかしい。
馬鹿にされて、でも女の子は怒りませんでした。やっぱり笑っていました。
男の子は気を良くしました。その女の子と一緒に笑うのはとても楽しかったのです。ずっと昔から、一緒に笑っていました。
でも、でも。
女の子の笑いはいつもと違っていました。あまり楽しそうではありません。それどころか、今にも泣き出しそうではありませんか。うつむくと涙がこぼれて、女の子の小さなほっぺたを伝いました。青白い、奇麗な頬でした。
「ど、どうしたんだ?」
男の子は、自分でも驚くくらいにぎくりとして、女の子に訊きました。
「なんで泣いてるんだ?」
女の子はふっと顔を上げ、今度は妙に楽しそうに男の子を見詰めました。それは、それは、彼女がとびきりのいたずらを仕掛けた時の顔です。その女の子に一番似合う、素敵な笑顔です。
「それはね……私がね――」
その時、女の子の体がパァッと淡い光を放ち、それが収まると服が変わっていました。緑色の、奇妙な光沢を放つ――
マントに!
「喰べられちゃったからなの」
泣き笑いの告白。女の子のその儚い涙は、ふわりと降りかかったフードに隠されてしまいました。まぁるい目のような模様の付いた、お面のようなフードでした。余裕を持ってたるんだその歪みが、まるで笑っているかのようでした。
そうして、呆然としている男の子を残して、風のように消えてしまったのです。
後になって、森の奥の深い沼の側に女の子の靴が落ちているのが見つかりました。本人はいくら探して見つかりませんでした。木の実を採っている内に、足を滑らせて沼に落ちてしまったのだろうと、大人たちが言いました。
きっと、沼に落ちた女の子は、死ぬ前に一目男の子に会いたくて、人喰いマントの力を借りたのでしょう。
人喰いマントは、死にゆく人の強く純粋な願いが何よりの大好物なのです。
その後、女の子と人喰いマントがどうなったのかは誰も知りません。
ただ、森の狼たちが噂しているそうです。
ワォゥ! ワォゥ!
人喰いマントがやって来た!
ワォゥ! ワォゥ!
人喰いマントがやって来る!
……なんつってね。
どうだったかな、不思議な不思議な人喰いマントの物語。
不思議と言えば、このマントは本当にいろんな場所で、いろんな時代に目撃されてるんだよ?
わたしが知ってるのは今の「女の子と男の子」の話だけだけど、ひょっとしたらもっと他の物語を聞く機会があるかもね。
ンじゃま、話を聞いてくれて――
アリガトオ!』
プツッ
それきり電話が切れて、電話ボックスの中に「プ――――――――――……」という無愛想な切断音だけが残りました。
もう、赤ずきんの姿はありません。
一面の暗闇の中、ぽっかりと光を宿す電話ボックスの中には、ただ受話器を垂らした電話だけが残っています。
その真っ赤な受話器は、いつまでもいつまでも、「プ――――――――――……」と返事のない音を発し続けたのだと云います――
あなたの電話は、どんな色?
Mantle Maneater : Episode 0
"Hors-d'oeuvre"